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たのしいよみもの

#23 五十嵐武志さん、ひろこさん(50noen) 第3回

うつくしい景色をつくるために

 

最終回の第3回は、

エムエム・ブックスが今年から田んぼをはじめた理由、

田んぼに携わるときのこころ持ちなどを、

「田んぼには宇宙の縮図が映されている」という

五十嵐武志さんと

「田んぼはあそび」という

服部福太郎(エムエム・ブックス代表)が語ります。

稲の本来の姿を見ていれば、

人間がどう関わっていけばいいかがわかるという

五十嵐夫妻のお話、

どうぞ、お楽しみください。

 

田んぼも会社も「あそび場」

 

H 今回、田植えをする前に、具体的に、どのような準備を行ったのですか?  主に作業をしたのは、福太郎さんと、武志さん、と聞いていますが。

 

武 まず枠みたいな、あぜをつくりました。その後、水の環境を確認して、水が出るようになったらある程度耕して、水を入れました。

 

み 福太郎さんは、どれくらい耕したんですか?

 

福太郎(以下、福) 耕運機で3回ぐらいです。

 

K ならしていると、土が固いところとやわらかいところとあるのがわかりますね。

 

武 1年目ですからね。来年になったら、ほとんど固くなると思います。

 

福 土に触れながら、その違いを感じるのもいいです。実際にやってみると、あ、ここ固いな、とか。

 

み 福太郎さんが、田んぼをやるといいはじめたのだけれど、福太郎さん自身は何が見たいですか? どういう田んぼにしたいのか、ぜひ目標を聞かせてください。

 

福 最初は、単純にお米をつくれればいいなと思ったのですが、武志さんとやっているうちに、これは「あそび」だなと思うようになっていました。その「あそび」の中にすべて含まれています。気づきがたくさんあるんです。

何より昨日と今日、みんなで田んぼの作業…地ならしと田植え……ができてすごくよかったし、お米が何俵とれるとかより、自分にとって、心地のいい場所であり続けるようにしたいなと思っています。うつくしい景色が見たい、つくりたい。これが僕の目的かな。

そんなあそびの場でやる「あそび」のルールを武志さんに教わっているところです。だから収量というより、ぼくの好きな田んぼをつくり続けることが重要かなと思っています。

 

み 福太郎さんがいいなと思う田んぼのイメージはありますか?

 

福 やっぱり生物の楽園です! メダカとか、カエルがたくさんいて、人も集まって……。

 

K 福太郎さんの目標は、田んぼを純粋にたのしむということなのかもしれないですね。

 

福 はい。それが実現できるものだと思っています。例えば、今、武志さんのところは7俵とれてしまっているけれど、3俵に戻すことも可能なんですよね?

 

武 可能ですよ。

 

福 それができるようでありたいと思っています。どんどんとれてしまったときに、自分の心地いいところに戻せるようにしたいんです。でも、今はじめて間もないけれど、いろいろと生物のパワーバランスがあったり、今後、みんなからもっととれるようにしようという意見が出てくるかもしれないし、とらざるを得なくなってしまうかもしれないし、全然とれないかもしれないし、もっと見た目をきれいにしろということになるかもしれない……。それぞれの状況で、最善の状態でありたいと思っています。

 

武 それも可能ですよ。

 

福 すごい! そういうことができるほど確立された方法だし、確実に収量をあげられるのが、とてもすぐれていると思います。今回、武志さんに教えていただき、実践できて本当によかったと思っています!

 

み 武志さんと福太郎さんのベースがすごく合致していますねえ。

 

福 うん、すごく合致しています。武志さんも、たのしいのが一番ですよ、といってくれるし、欲がダメにしてしまうという話をよくするのですが、よくわかるんです。どんな事柄でもそうで。会社経営も同じだと思っています。

 

み わたしたちの会社って、実は、もうずっとお金の目標がないんです。前年比、とかも基本存在しない会社で……。むやみやたらに拡大しないようにも気を配っています。それよりも、働いている人自身の暮らしの質をどうするか、それにはもちろん経済的なこともあるけれど、同時に、もっと人間全体の気づきとか、そういったことを深めていくのにはどうしたらいいかが目標になっている。

 

福 でも、農家さんは、食べていくために必要な場合もありますよね。たとえば、3俵が6.5俵から8俵が必要となっていったように。会社もたとえば、規模を維持するためには8俵必要だったりする部分もあるんです。それを3俵に戻して、みんながたのしくやれる方法があるかなと考えたりしています。

 

み いやあ、田んぼづくり、気づきがたくさんありますね。

 

福 それもおもしろいなと思っています。6.5俵が絶対に必要というのも、会社でいう6.5俵とはどのくらいの数字になるのかなあ、どんな状況なのかなということを、この田んぼでただ過ごしているだけで、いろいろな気づきがあります。

 

み 田んぼは、実は、福太郎さんの経営戦略の場でもあるわけだ。すぐれた経営者の人は、宇宙や自然のバランスを全部わかっていると思うんですよね。利益だけを追求しすぎると失敗することとか……。みんながたのしい場所をつくったり、田んぼでいえば、うつくしい環境にすることが、最終的にはみんなのしあわせのしあわせにつながり、必要なだけの収益がちゃんとあるということを。本当はみんな、気づいていますよね。でも、やりすぎてしまって、時にブラック企業になってしまったり、お金はあるけれどしあわせではなかったり、利益に振り回されたり、といろいろな偏りができるような気がします。

 

稲本来の姿からみえる宇宙

 

武 ぼくたちも、「不耕起」や「冬に水を張る」ことなどを求められるのですが、そうではないと常々思います。ぼく自身は米を見たいと思っているし、育てるみなさんにも、米をしっかり見てもらいたいと思っているんです。何をどういうふうに加えたら、どう変わるか、とか、それは加えた人にしかわからないことで、関わっているその人しかできないことだから。扇型の穂が見たいなら、一本植え、収量を多めにとりたいなら3本植えとか、本当に、手を加えるだけなんですよね。

 

ひ 稲の生理生態そのものというか、稲の本来の姿があるんですよね。本当は自然にそうなれるんです。

 

武 そう、自然に。それは「◎◎方式」とかではない世界なんです。

 

ひ 稲本来の姿を見たことがある人は少ないと思います。人間が手を加えた、作物としての稲や、ごはんの状態でしか見たことがないとか。でも、本来は稲も植物の仲間であり、人間と同じ生きものの仲間なんです。その、生きものとしての姿を見てほしいんですよね。一度、本来の姿を見たら、きっと、「これが自然の形」ということがわかると思います。

 

武 岩澤方式の5.5苗の一本植えと、慣行の苗の一本植えは、たぶん育ち方がちがってくるんです。それを「なぜ?」と思えるといいと思います。肥料が少ないのか多いのか、耕したのか耕していないのか、自分で違いがわかってきます。教科書に載っているような論理ではなく、自分で見てわかることなんですよね。とてもシンプルなんです。

 

A 昨年はじめて、いろいろな田んぼや稲を見て、わたしにとっては本当に新鮮だったのですが、稲があまりよくないところ、いいところというのは、素人目にもよくわかります。あの違いはなんだろうと思いました。水、日、それと、手をかけている人の気持ちかなと。

 

武 それと、場所もありますね。水の量や、日当たりや、田んぼが斜めになっていたり、そういうものも関係します。

 

み 同じ場所でも、昨年はすごくよかったけれど、今年はよくなかったというように、年によって違うこともあるんですか?

 

武 そんなに差はありません。ただ、ひ弱な苗を使って、化学肥料を使ってやっていたら、天候にも左右されやすくなります。岩澤方式のように、成苗を使って耕さないでやれば、そんなに差は出てきません。

 

ひ 手のかけかたが、稲本来の姿になるためのサポートならいいのですが、頭で考えて手をかけすぎると、過保護な感じがしてしまいます。

 

武 あと、土は長年いじらなければいいのに、見ているといろいろ、自家製の有機物とか堆肥とかを入れたがるんです。入れてしまうと、本当に生きもの全体のバランスが悪くなっていきます。

 

み ほったらかしの土のほうが調子がいいということですよね。

 

武 植えたあとに、稲が全部こたえてくれるんです。

 

み その土が、どういう土だったかがわかる……。稲は正直ですねえ。

 

N 武志さんは、稲から、その声みたいなものを、教えてもらえるんですか?

 

武 教えてもらえるというか、感じるというか。でも、実は、正直、稲は見ていないんです。それよりも生きものや周りを見ています。

 

み 田んぼ全体を、田んぼという宇宙を見ているんですね。

 

武 そう。稲は、全体の一部だから、なんとなく見ています。

 

み ピアノでたとえるなら、曲の全体を見ているのと一緒ですね。1音1音ではなく、曲全体を見ているということですね。

 

武 あとは、田植えが終わってからは田んぼの中に絶対に入らないんです。そうすると、ゲームと一緒で、レアキャラならぬレアな雑草と生きものが出てきたりするんです! 絶滅危惧種レベルに指定されている草が出てくるから、すごくテンションが上がるんです!!

 

全員 (笑)

 

T それは、種が地中に残っていたということですか?

 

武 そうですね、やはり地中に残っているから、環境が整ってくると出てくることができる。

 

み でも、ひょっとしたら田んぼの神さまも絶滅危惧種が出てくると、驚いたり、喜んだりしているのかな……。

 

武 草にしても、生きものにしても、レアなものはそうだと思います。あと、噂では聞いていたけれど、やっと出てきたか、というものとか。

 

み 何年目かに……、それは感動しそう。

 

武 たのしいですよ。うつくしい生態系をつくることができれば、稲が育つのは、実はもうわかりきっているから。

 

み 神さまですね。神さまはきっと、できることはわかっているんですよね。人間が勝手に焦るだけで。

 

武 でも、収穫間際になると、みんなにお米を渡さなければいけないから、あたふたあたふたしますよ。

 

ひ 自然の法則も知っているけれど、人間として生まれてきているから、そういう人間的な苦悩もある。

 

武 あと、契約では借りている土地の地主さんにお米を返さなければいけなくて、渡すと、すっごく笑顔を見せてくれるんです。それがとてもたのしみなんです。

 

ひ 教室で生徒さんと分配するから、全然ないとやっぱりさみしいし、渡したいという気持ちはもちろんありますね。

 

その土地土地のお米の味ができる

 

H お米の味はどうですか? 味に対してのアプローチというか、お米の味をどういう評価として考えているのか。

 

武 味は土によりますね。あとは好みです。たとえば、同じコシヒカリをつくっても、ぼくたちの田んぼのほうが、ねばねばした甘いお米になって、エムエム・ブックスのほうは、もう少しさっぱりすると思います。

 

H まだできていないのに、わかるんですね!

 

全員 へえ〜!

 

み コントロールしないということですよね。ここでねばねばしたお米を食べようとしないということなのかも。さっぱりしたお米を、受け取っていただく、と。

 

H 味について、目標はあるんですか?

 

武 味を求めるのであれば、粒の大きさをそろえます。そうすると食べたときに、その土地の本来の味が食べられますから。粒の大きさがばらばらだと、炊いていてわかると思うのですが、水を含みすぎたり、硬くなったりします。同じ大きさで整えることによって、食味がよくなります。

 

H 根本的な考え方としては、目標がこういう味ということではなくて、できたものが、その田んぼの稲の味で、それをたのしみましょうということですね。

 

武 そうですね。

 

H もう1つ、質問です。武志さんのところの、田んぼの周囲の環境は、田んぼとのバランスでどこまで考えてやっているんですか? まわりの環境ありきの田んぼだと思うのですが……。

 

武 それは本当に時と場合によるんですよね。たとえば、お米にとって一番厄介なのが、穂が出たときにカメムシ(いわゆる害虫)がやってきて、カメムシがつくと味がなくなるんです。その場合は、雑草を刈る時期や、雑草の高さをまばらにして、穂を雑草で防ぐようにして、害虫が田んぼに入らないようにしたりして、対処します。

 

ひ 注意が必要なのは、本当に、まるでほったらかしにしてもいいか、ということですよね。そういうことでもないんです。

 

武 やっぱり、草はぼうぼうにしないように、周りの草を刈ったり。でも、虫の種類によっては刈らなかったり。

 

H それは経験を積めばわかりますか?

 

ひ 1、2年観察をしていくと、わかってくると思います。虫や生きものは、秩序や一定の法則のようなものがあって、毎年同じ動きをします。だけど、一部分だけ何かがおかしくなって崩れてしまうと、全体が崩れたりします。毎年見ていると、だんだんわかってくるかもしれないですね。

あと、いろいろな田んぼに行くのもたのしいですよ。稲の花もぜひ、見てほしい! すごく短い期間で花が咲くんです!

 

武 7月10日くらいの朝に咲きますよ。

 

H 稲の花の受粉はミツバチがやるんですか?

 

武 風で揺れて、自分で受粉します。それを意図的にやって、交配させてコシヒカリができたんです。

 

ひ 田んぼをはじめるにあたって、肥料を使わないとか、こういうマニュアル通りにしないといけないと思いすぎると苦しいので、その時の自分に見合ったやり方で、最初から完璧を求めないというのも大切だと思います。肥料を入れる、田んぼを耕す、そういう場合もあると思います。臨機応変にやれるといいですね。



50noen | ごじゅうのえん

五十嵐武志・ひろこ

千葉県南房総市で、「自然の美しい秩序を見ることができる田んぼづくり」、「イネ本来の生理生態を活かしたお米づくり」をしている。土を耕したり、イネの生長に必要な肥料分を担っているのは田んぼに棲む生きものたち。「生きものを観察してフィールドを用意することがわたしたちの役割」と考え、「冬期湛水不耕起移植栽培」の第一人者、岩澤信夫先生から学んだ栽培法をベースに、五十嵐武志が10年以上「耕さない田んぼ」でお米づくりと向き合って培ってきた生き物・雑草・イネ・田んぼの観方とお米のつくり方をお伝えしている

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たのしいよみもの

#22 五十嵐武志さん、ひろこさん(50noen) 第2回

田んぼに対する人間の仕事は?

 

五十嵐武志さんの師匠は、「冬期湛水・不耕起移植栽培」

で知られる岩澤信夫さん。

「自然」に傾倒する思想信条、ではなく、

純粋に、農家目線で安定供給するには?という視点で、

研究に研究を重ねて編み出した結果が、「耕さない田んぼ」でした。

第2回は、実際にどんなふうにお米を育てるのか。

では、さっそくお届けします。

 

自分はどうしたいのかが重要

 

スタッフK(以下、K) 田植えにも、いろいろな植え方があると思いますが、どんなふうに考えたらいいですか?

 

武 まず、前提に、「立派な稲を見たい、稲本来の姿を見たい」という場合、一本植えが一番いいです。収量は減りますが、自分がどうしたいかが重要です。

 

み 田んぼづくりでどういう経験をしたいのか、何が目的なのか、ということですね。

 

K それぞれの苗の特徴は、何ですか?

 

武 苗には、稚苗、中苗、成苗というふうに成長段階によって、名前が違います。ふつうの農家さんは稚苗を植えています。

 

ひ 今日植える苗は、成苗です。

 

武 ぼくがいつも植えているものと同じで、品種はコシヒカリです。苗そのものが病気にかかりにくい強い苗を使っています。

苗は本来、扇型に開くものなんです。一本植えをすると、本当にすごくきれいな扇型に開きます。

 

ひ 分蘖(ぶんげつ)といって、根っこのきわで、茎が枝わかれするんですが、それでいっぱい実をつけるんです。

 

武 でも、一本植えは鳥にやられたりしやすいから、田んぼ全部ではなく、ところどころにしたほうがいいですね。

 

K ふつうは3本ぐらいですか?

 

武 慣行農法の人は、通常5本〜8本で植えていると思います。

 

スタッフA(以下、A) ときどき、田んぼで稲が高く伸びているのが、複数本植えの稲ですか? 昨年、田んぼはすごいなあと思って眺めていたとき、見つけたのですが。

 

武 それはまちまちで、ひえという雑草の場合が多いです。一番やっかいな雑草なんです。

 

M でも、ひえも食べられるんですよね。

 

ひ もともと雑穀ですしね。

 

M ひえを積極的に栽培するという方法もありますよね。成長がすごくて、生命力があるから。

 

武 それもありますね。でも、田んぼをやりたくてひえを出さないためには、水を張って出さないようにすることができます。

 

スタッフT(以下、T) 一年中、水を張っておくということ?

 

武 一年中ではなくても、水の管理ができていればひえは出ないんです。土がでこぼこしていると出るけれど、平らにして水を張っておけば大丈夫です。

 

T 水がないところから、ラッキーといって、出てくるんですね。

 

ひ そうですね。ちょっと、こちらを見てください。

 

 

武くんの師匠である岩澤信夫先生が、長年かけて研究して稲本来の生理生態に合わせてつくった苗が、このイラストです。写真では、岩澤式と慣行農法の苗を比較しています。根の張り方の違い、穂のつき方の違い、がこれほどあります。

 

 

M 五十嵐さんたちは、運転式の田植え機を使っていますか?

 

武 ぼくは、機械を使わずに、手植え・手刈りでやっていますが、岩澤先生から学んだ人たちは、専用の機械で田植えします。

 

M この農法は、機械は使わないという考え方ではないということですよね。

 

武 はい、岩澤先生は、第一に農家がちゃんと暮らしていけるようにということが考えられています。ほかの農家と同じように、機械も使って……。

 

M 経済的にも割に合うように。

 

ひ 岩澤先生は、実は、もともと、福岡正信さんや川口由一さんのように、自然と共生することを一番の目的にしていたわけではないんです。農薬肥料を使わないということからではなく、農家目線からはじめて、稲の生理生態を研究していった結果、この方法に至ったんです。

昔、成苗が元気に育っている田んぼの様子を見て、慣行法の農家さんが使っている稚苗ではなく、成苗で、求めているお米づくりができないかを考え、いろいろと研究したんです。

 

K この岩澤式は、専業農家では取り入れられているんですか?

 

武 取り入れたい人は取り入れているそうです。でも実際、できる人もいるけれど、できていない人もいます。

2000年に岩澤先生の不耕起の学校がはじまり、ぼくは2007年に勉強をはじめました。今まで、実践している方々を見ていると、先生から聞いた話を、自分の都合に合わせていいとこ取りしている人もいる。そういう人は、成り立たないですね。でも、教えてもらったとおり、全部そのまま実践する人は、ちゃんとお米が育ちます。

 

み 自分のアレンジを加えないということですよね。

 

ひ そうですね。先生が、考えて考えてできた方法だから、まずは素直にそのままやってみて、何か思うことがあれば少しずつ変えていってもいいと思いますが。

 

田んぼを整えて見守るのが人間の役割

 

武 特に1年目は、草が出てきます。農家はそれで「草はダメ」だと思ってしまい、つい、いろいろと手を施したがるんです。たとえば、光合成細菌やEM菌を入れたり、田植え機にチェーンをつけて稲以外を除草したり。その場合、結局稲を見ていないから、稲の邪魔をしてしまうことになる、と考えます。

 

M EM菌や木酢液を入れるなど、世の中には、いろいろな農法があるけれど、この農法では、そういったものは使わないということですね。

 

武 はい、使いません。冬に、田んぼに水を張っておけば、生きものたちが勝手に整えてくれます。冬に水が使えない田んぼの場合は、例えば、一番使える3月から水を張っていればいいだけの話です。

そこから、雑草や生きものを見て、自分でどうすればいいかを考えればいいです。とにかく「耕さない」ことに意味があります。

 

み そうやって、菌を入れたり除草したりと、手を加えてしまう理由は何だと思いますか?

 

ひ 全体の仕組みをわかっていないからだと思います。「足りない」と思って入れているものは、本当は土の中にあるものなのです。見えない世界では、そのように微生物などの働きがあります。それをわかっていないから、不安になるけれど、わかっていたら、待てますよね。

人間ができることは、フィールドを用意すること、環境を整えること、見守ることです。

 

武 あとは、水を絶やさないことかな。それと、不耕起は環境にいいとか、冬に水を張ればコウノトリがくるとか、そういう思想から入ってしまうと、稲をちゃんと見なくなってしまって、うまくいかなくなるケースが多い。まずは田んぼをしっかり見る。そうして何もしなければ、勝手に生きものたちが出入りして、そのうちサギなども来るようになるものです。

 

み 昨日、土をならしはじめた時点で、もう、ツバメとかが来はじめましたね。感動しました!

 

武 とにかく、あまり頭で考えないほうがいいと僕は思っています。1年を通してずっと見ていけば、当然、全員が一致した状態にはならないはずです。その時に、自分の思った方法をやっていけばいいと思います。

 

ひ 現代人は、成果を求めてしまうところがありますが……。

 

み 高度成長期や、貧しかった時代だったら、収量をあげたいという欲があってもおかしくないけれど、これだけ豊かになってもまだ、それを求めてしまうのは、人間の悲しい性ですねえ。

 

スタッフH 不耕起栽培のことをもう少しくわしく教えてください。

 

武 まず、「不耕起」とは「耕さない」ということで、間違いないです。「耕していない」部分、表面から10cmぐらい奥の固い土の部分に苗を植えます。

 

ひ  岩澤先生の方法をベースにまとめた「耕さない田んぼのポイント」について簡単にお話ししますね。

まずこの農法は、第一に「冬期湛水・不耕起移植栽培」という名前の栽培法で、冬に水を張ります。水を張るタイミングは気候風土によりさまざまですが、南房総では12月下旬です。これが、先ほど話しました「フィールドを用意する」ということに該当します。微生物や藻が発生して、生きもののすみかとなり、田んぼの生態系が豊かになりますので、肥料農薬除草剤を使わないようになっていくのです。さらにもう1つ効果があり、それは水を張ることで雑草の発芽条件(光、水、酸素、温度)が成立せず、除草剤も必要ありません。

「不耕起栽培」の考えかたもさまざまですが、わたしたちが大切にしていることは、耕さないことで生きもののすみかを壊さないことと、5.5苗を植えるということです。固い土に丈夫な苗を植えることで、自分の力で根を張り、たくましく育っていきます。

このように、田んぼは本来、準備を冬の間にしておきますが、今回エムエム・ブックスの田んぼは1年目ということと時期が遅い(4月ごろにスタート)ため、それに合った方法ですすめています。

 

み もっと早くに準備をはじめていたら、ほかのやり方もあったのですね。

 

武 それもありますが、今回は、今がベストだったと思います。というのも、まず、田んぼをやる大前提が、土が平らだということなんです。ここは今年は、来年のために平らにしたというイメージです。

 

 

この方法は、雑草が出ないようにということももちろんですが、稲の生育にも関係しています。

 

ひ 土がでこぼこしていると、苗の生育にばらつきが出るんです。

 

武 生育にばらつきが出るということは、収穫にも影響があります。ベストなタイミングで刈れなかったりすると、ご飯の味もばらつきが出るんです。

 

(次回へ続く)



50noen | ごじゅうのえん

五十嵐武志・ひろこ

千葉県南房総市で、「自然の美しい秩序を見ることができる田んぼづくり」、「イネ本来の生理生態を活かしたお米づくり」をしている。土を耕したり、イネの生長に必要な肥料分を担っているのは田んぼに棲む生きものたち。「生きものを観察してフィールドを用意することがわたしたちの役割」と考え、「冬期湛水不耕起移植栽培」の第一人者、岩澤信夫先生から学んだ栽培法をベースに、五十嵐武志が10年以上「耕さない田んぼ」でお米づくりと向き合って培ってきた生き物・雑草・イネ・田んぼの観方とお米のつくり方をお伝えしている

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たのしいよみもの

#21 五十嵐武志さん、ひろこさん(50noen) 第1回

お米の収量について考える

 

2015年春・岐阜・美濃に移住したエムエム・ブックス。

その大きなきっかけとなったのは、

『マーマーマガジン』19号、20号

「土とともに生きる」特集でした。

自然農法、自然栽培の取材を重ねるうち、

「もっと土の近くで暮らしたい」と思うように……。

 

移住後1年目から、試行錯誤しながら、

まず、ちいさな畑をスタート。

今年は、服部福太郎のかねてからの希望であった

「田んぼ」もはじめました。

 

お米づくりについてまったくの素人のわたしたちを

導いてくださっているのが

南房総で、耕さず、農薬、肥料、

除草剤を使わない方法(冬期湛水・不耕起移植栽培)で

お米づくりを続けている「50noen|五十野園」の

五十嵐武志さん、ひろこさんご夫妻。

 

この「50noen」さんの田んぼでの講義がすばらしくて!

ぜひみなさんとシェアしたいと思い、

ワークショップの内容をぎゅっと凝縮して、

このリレーエッセイで、全3回にわたってご紹介させていただきます。

では、さっそく、どうぞ!

 

 

収量はなぜ増加したのか

 

五十嵐武志さん(以下、敬称略 武) 田んぼを目の前にすると、よく「この面積でどのくらいお米が収穫できますか?」と聞かれます。でも、ぼくは、この考えかたに違和感があるんですよね。

 

まず、この表を見てください。

 

 

800年代のところからはじまって、1985年までに、お米の収量が徐々にあがってきているんです。どうしてだと思いますか? それは、人間が収量をあげるために、科学的に考えたり、機械という方向から工夫したり……、人間が利益を求めた結果なのです。

1800年代のだいたいの収量は一反(約1000㎡|約300坪)あたり3俵以下(約180kg)。1900年からは同じ面積で5俵とれるようになってきました。でも、実は田んぼって、肥料などの手を加えなくても、放っておけば毎年180kgとれるんです。

 

服部みれい(以下、み) 草をとらなくても?

 

武 草をとらなくても。今みたいに草とりをしているはずがないんです。「たくさん収穫したい」という人の欲が出てきているのが、1956年から1980年までの話です

 

み 人の欲!

 

武 そう! 人間の欲。

 

五十嵐ひろこ(以下、敬称略、ひ) ただそれが、欲とも捉えられるのですが、国をあげてお米を日本の主食にしようとした背景もあるんですよね。お米は、縄文時代の後期に日本に伝来して、その後、国がお米を主食に育てようと決めたそうです。そもそも安定した収量を供給できるようにしていこうとした歴史的な動きがあるわけです。

その中で、「欲」というならば、「いっぱい収穫しよう!」という気持ち、ですよね。1800年の江戸時代に肥料(家畜・人糞尿、草木灰、魚粉など)を入れはじめ、1900年には、メンデルの法則によって、遺伝学に基づく交雑育種をつくって、いい種を残すことを人為的に行いはじめました。その後、種が安定した後には、今度は機械を使って労働力を軽減しようとしました。

 

み なるほどー。

 

武 機械化が進んだのは、1950年からです。機械と同時に、農薬と化学肥料が普及し、それ以降は、農薬、化学肥料ありきのやりかたに変わっていきました。

お米だけではなく、畑も同じです。最初に石灰をまいて、耕して、1回リセットして、化学肥料がちゃんと効くような土をつくるようになってしまっている。そうしないと、作物が育たないようにしてしまったんです。

 

み 薬や栄養ドリンクを飲まないと生きられない人間にした、みたいなイメージですね。薬ありき、サプリメントありき、みたいな人間。そうして、めちゃめちゃ無理して働く感じ。本当は1日休めば自己治癒力が働いて快癒するのに、そこを薬で抑えて働いて……。しかもそういうことを続けていると、自己治癒力が弱っていくため、より薬やサプリメントに頼るようになってしまう。予防接種のことにくわしい方には、予防接種にもたとえられるかもしれません。「すごくいいこと」、「当然」と思い込んでいる人が多いところも似ている気が。1つの症状に捉われて、全体が見えていない感じも似ているというか……。

 

武 そうそう。今、土自体は病んでいるんです。本来180kgしかとれないのに、その10倍とっているから、土の中に肥料がない。だから、外から(農薬なり、肥料なりで)補う必要が出てきてしまったんです。

そういうわけで今ブームになっている無肥料とか自然栽培とか、不耕起栽培とかも、ある程度、知識をもった上でやらないといけないんです。肥料をやらないと死んでしまうぐらいの、すでに歯車が狂っている「病んだ土」に拍車をかけて、もっと重度な状態にしてしまう可能性があるんです。

 

自分は田んぼで何をしたいのか?

 

武 1956年に、コシヒカリが誕生し、急激に国のお米が安定しました。コシヒカリは、いろいろな品種のかけ合わせで、おいしさ、収量ともに日本のNO.1になりました。よく出回っている「◎◎ヒカリ」というお米も、コシヒカリがもとになってかけ合わせでつくられているものです。コシヒカリがつくれるようになれば、古来のお米含め、つくる人に合ったお米をつくれるようになります。ぼくは、お米づくりをはじめる人には、コシヒカリから勉強してもらいたい、と思っています。

なお、田植えに関していうと、1966年から、手で押すタイプの歩行用田植機が使われるようになりました。それまで手植えだったため、ずいぶん楽になったそうです。その後、肥料も同時にまくことができる、車のような乗用田植機が使われるようになり……。今では、農家の間では、一反(約1000㎡|約300坪)あたり、8俵とれないとプロじゃないといわれていますね。

 

み そうなんですか! 本来の3俵の倍以上。

 

武 でも、8俵とるということは、絶対に肥料をあげなくては叶わない収量なんです。

 

ひ そう。1800年の、肥料もまかないまっさらな田んぼでやっていた時代が3俵だったから、そこから歴史をたどると……。

年表を追っていくと、こうしてご先祖さまたちがいろいろ試行錯誤した結果、1985年に収量8俵になった。それ以来、農家の間では、8俵がスタンダードになったということです。

では、一反(約1000㎡|約300坪)あたりの収量が6.5俵になった背景をまとめてみましょう。

 

  1. 1. 農具の機械化
  2. 2. コシヒカリの誕生
  3. 3. 農薬、化学肥料を使う
  4. 4. 稲作の一貫した機械化

 

この背景のおかげで、今わたしたちが安定してお米を食べることができているのです。

でも、実は今、こういった背景の裏には、お米を余らせてしまっているという事実もあります。戦後、アメリカから小麦が入ってきて、パンなど普及し、日本の食文化が変化しましたよね。

 

武 現状、ぼくたちの農法(冬期湛水・不耕起移植栽培)でも一反あたり平均6.5俵とれているので、本当はこれ以上とらないほうがいいと思っています。特に、自給自足の生活を目指していくのであれば、収量ではなく、「自分がどのように田んぼに携わるか」ということに重点を置いたほうがいいという考えです。

ぼく自身は、実は、米を食べることが好きというより、米をつくっていく過程と、生きものたちを見るのが好きなんですよね。生態系が完全に働いているうつくしい景色をつくりさえすれば、お米の収穫なんて、勝手についてくる。場所さえ整っていれば、必要な収量とれるのはあたりまえのことなのです。そういうわけで、時間がかからない方法である「不耕起」という方法にたどり着きました。

 

み 6.5俵以上をつくらないほうがいい理由は、土が疲弊するからですよね?

 

武 そうですね。

 

ひ 6.5俵以上つくるためには、(上記であげた)1〜4が必要だということです。どれかが欠ける場合、代わりになるものを自分で考えなければならないんです。

 

武 そこで、ぼくたちは、農薬の役目を生きものたちが、化学肥料の役目を糸ミミズが担ってくれるだろうと考えました。たとえば、カエルがカメムシを食べてくれたり、糸ミミズの糞が肥料になったり。それで充分。6.5俵とれています。でも、1年目からいきなり6.5俵とれるわけではなくて、段階を追って、3年後にとれはじめました。

 

ひ だから、1〜4を使わずに、もっと自然に近い方法で栽培したい人は、1〜4をどう補うかを考えなければならないんです。

よく考えないで「作物ができない」と悩んでいても、それはあたり前の話。自然農を実践したい人は、知識から入るのもいいけれど、自分で体験して、よく考えて、気づいて、改善して……。自分の体験をもって、やっていっていく必要があります。

 

武 そう。自分が本当に何がしたいのかをはっきりさせて、取り組むことが大切なんです。

 

スタッフM(以下、M) 繰り返しになりますが、この農法だと、ここの田んぼで3年後、6.5俵とれるようになるんですね。

 

武 あくまでコシヒカリの場合は、ですが。ぼくたちの田んぼも、もう7俵近くなってしまっているから、正直、とりすぎだと思っているんです。

 

み 田植えのときに混み混みにしないということで、収量が変わったりもするのですか?

 

武 そうではないんです。ぼくたちのやり方だと、化学肥料の代わりに糸ミミズを使っています。糸ミミズのえさは、有機物であるぬかなんだけれど、一反あたりの、えさとして最適な量を超えてしまって、今はぬか自体が肥料になってしまっているんです。そうすると、肥料が過剰になり、ほかの生きものが入ってきやすくなって、バランスが崩れて、土が病んでいく……。たとえば、糸ミミズが占める割合が高くなったり、カエルが少なくなったり、鳥が増えたりと不自然なバランスになってしまうんです。

 

ひ 1種類のものだけがすごく増えたら不自然なんですよね。

 

(次回へ続く)



50noen | ごじゅうのえん

五十嵐武志・ひろこ

千葉県南房総市で、「自然の美しい秩序を見ることができる田んぼづくり」、「イネ本来の生理生態を活かしたお米づくり」をしている。土を耕したり、イネの生長に必要な肥料分を担っているのは田んぼに棲む生きものたち。「生きものを観察してフィールドを用意することがわたしたちの役割」と考え、「冬期湛水不耕起移植栽培」の第一人者、岩澤信夫先生から学んだ栽培法をベースに、五十嵐武志が10年以上「耕さない田んぼ」でお米づくりと向き合って培ってきた生き物・雑草・イネ・田んぼの観方とお米のつくり方をお伝えしている

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たのしいよみもの

#20 中島正さん×やじーさん

みんな奥へ奥へと引っ越している

 

聞き手|服部みれい(『murmur magazine for men』編集部

 

『murmur magazine for men』3号で特集した

「中島正思想入門 みの虫生活のすすめ」。

「都市」という存在についてとことん明らかにし、

「都市」が生む問題を脱するには、

一人ひとりが「独立農民=みの虫」になり、

自給的に生きることだと鋭い筆致で説いた中島正さん。

2017年2月、中島正さんは、

この特集の制作中に残念ながら逝去されましたが、

今回追悼文を寄稿してくださったミュージシャンのやじーさんは、

生前も交流があった貴重な若者のひとりです。

2015年、中島正さん宅を一緒に訪ねた時のアフタートークを、

中島正さんのコメントも織り交ぜながらお届けします。

 

おじいさんの知り合いだった

 

——やじーさんが、中島正さんに出合ったのは

どういうきっかけだったのですか?

やじーさん(以下敬称略、や) ある時知り合いが

「お前、金山町(岐阜県下呂市)に引っ越したいといっとったけど、

中島正さんを知っとるんか?」っていってきて。

そのおじさんが「あの先生の本は読まにゃきゃあかんぞ」って。

グーグルで調べたら、『都市を滅ぼせ』(双葉社

というタイトルが出てきて、まず、ガビーン!と。

——その時は、名古屋ににいたんでしたっけ?

や 犬山(愛知県)にいた。

で、『都市を滅ぼせ』を買って、おじいちゃんおばあちゃんに

「この人、金山の人らしいけど知っとる?」って聞いたら、

「ああ、正さんか」って(笑)。

一同(笑)

や うちのおじいちゃんも

「正さんはいいぞぉ〜」っていっていて。

おじいちゃん、すごく口の悪い人なんだけれど、

正さんのことは一目置いたような感じがあって。

それで、そのまま家の場所を聞いて、

すぐに正さんに会いに行ったんです。

そうしたら『都市を滅ぼせ』の初版本が絶版になったということで、

僕もたくさん在庫となっていた本を段ボール1箱分もらって、

いろんな人に配りました。

ガイアシンフォニー』監督の龍村仁さんとか、

翻訳家の上野圭一さん……。

その箱の本を全部配り終わった頃に、 今度は、

この本に、アマゾンで5万、6万円と高値がつきだして。

——そうそう、一番高いとき、

みの虫革命』なんて7万円近くしたこともありました。

その後、『都市を滅ぼせ』は、倉本聰さんが再評価されて、

双葉社で復刊してまた読めるようになりましたが。

 

都市という存在がよく分かる

 

——今、実際に都会から田舎に移住する若い人もどんどん増えていて、

みんなが自然なかたちで「独立農民」になったらいいな、

と思っています。

マーマーマガジン編集部の身近では

本当にそういう人がすごく増えているんですが……。

や ドバドバ、増えてる(笑)。

——岐阜に引っ越してきて、名古屋などの大都市圏から

岐阜の山間部などに 引っ越す若い人がすごく多いのは、

なんか、感じています。

や ものすごく増えていると思います。

ここ10年で50倍くらいにはなってる感じがする。

みんな奥へ奥へと引っ越してる。

うちのバンドのメンバーも

正さんに鶏の飼い方を習ったりしています。

この近くにほとんどが空き家という集落があって、

あそこをみんなの村にしちゃいたいな

と 話し合っているんですけれど。

すごい夢が膨らむ!

中島正さん(以下敬称略、正) まあ、あそこは別天地ですわな。

——今、とにかく、これまでとは違う世界に行きたい、

縄文のような平和な世界に戻りたいと

思っている人は本当に多いと思います。

正 文明と称するものが人類の中へ潜り込んできて、

そこから悲劇がはじまった。

それまでは、野生動物と同じだったわけです。

学校もない。政府もない。役場も農協もない。

でも、平和に暮らしていたでしょう?

——本当にそうですね。

やじーさんの周りもみんな縄文人みたいな人ばかりだよね?

や みんなモジャモジャになってる(笑)

——わたしたちは、正さんややじーさんが 住んでいるところよりは

うんと町だけれど、 でも、畑も少しずつはじめたりして……

とにかく想像していたよりおもしろいことやたのしいことばかりだし、

美濃に引っ越してきてよかったなと思うことしかない。

やじーさんは、田舎暮らしはどうですか?

や  (街から来ると)どれくらいのペースで

ご近所付き合いしたらいいのかわかりにくいよね。

——わたしたちも、まだスタートしていないけれど、

人間関係、どれくらいおつきあいしたらいいのかわからない。

田舎暮らしで心配があるとしたら、みなさん、

ひとつにはそのあたりのことも大きいのかも。

や 消防団の勧誘とか来ても、

ツアーで飛んでったりしてたら僕、

なかなか行けないなって思って(笑)。

——消防団のことは、

移住する前に 地方への移住者の方々からよく聞いてました。

消防団入った途端、

コミュニティに入れてもらえた、 という話とか。

でも、うちは、気を遣ってもらっているのか、

勧誘にはまだ来ないです。

や ただ、僕は、祭りの笛だけは吹いてる。

——へえ!

や それだけ。

でも村の人たちが喜んでくれて。

「ちゃんと音を出せる人が来た!」って。

——得意なことをやるっていうのが大事なのかも。

や そうそう。

それでがんばるしかない。

あと、みんな、近所の人の目をすごく気にしますよね。

正 うん。

——同調圧力もすごい。

や だから変わったことはひとつもできない、みたいな(笑)。

だから、正さんが、本を出版しても、

近所の人にいわなかったのはそういうことなんだろうなって。

僕もCD出しても配ってない。

正 ああ。

や こっそりじわじわ……。

昔は正さんも、村人の前でお話されていたんですよね。

正 農業組合をつくって、

このあたりでも7軒か8軒ありましたな。

鶏を飼っとると(養鶏をしていると)、

しょっちゅう研修会だとか、会合がありますから、

慰労会もやるし、旅行へも行ったし。

ふつうに(まわりの人たちと)おつき合いはしてきました。

——正さんも、近所づきあいはされていたんですものね。

正 まあ、一般的な、常識的なことはふつうにおつきあいして。

や 昔、ひと回り若い世代のサブローさんという人に

「正さんってどんな人?」って聞いたら、

昔何かの集まりで前へ出て服の流行について話されたって。

「みんな、あたらしい服を着て、いい気になっているけど、

そういうものは業界が仕組んでいることだ」って話されたって。

正 服の流行なんかに乗るな、

アパレル業界が仕組んでるんだっていう話を。

や でも、それは、村の人もみんなとてもよく理解したって。

田舎にいると都市という存在がよく見えるんだよね。

みんな田舎の人は共通して認識していると思う。

町や都市がどういうものか。

 

(2015年、岐阜・下呂市にて)

 



やじー

1979年生まれ。岐阜の山村バンド「かむあそうトライブス」の唄、作詞&作曲、ベサンギと呼ばれる弦楽器を担当。ビックフェスから田んぼまで、はたまた政治家や学者から子どもに向けて、縦横無尽にシーンをまたぎ活動している。村内では鍼灸師として奮闘する四児の父。多くの自然治癒の事例を観察するにつれ、人体だけではなく社会、地球、宇宙の自然治癒現象に着目し、言葉を拾い、アウトプットし続けている。くわしくはこちらへ。

たのしいよみもの

#19 加藤祐里(郡上もりのこ鍼灸院・鍼灸師)

 

初夏にかけての養生法

 

みなさま、こんにちは。

第16回で「春にかけての養生法」について

お話させていただきました、

助産師&針灸師の加藤祐里です。

 

5月5日を過ぎると暦のうえでは夏です。

今回は「初夏の養生」がテーマです。

 

冷えとりをされているみなさんにとって

「絹」はとても身近な存在だと思います。

絹の原料となる5月から6月にかけて育てられる「春蚕」は

芽吹いてすぐの若い桑の葉を食べるので

とても上質な絹糸を採ることができます。

 

絹の原料である蚕は5000年ほど前に中国で飼われはじめました。

絹糸のたんぱく質は人間の皮膚の成分に近く、

傷の治癒を促したり、肌荒れの改善や

筋肉にたまった疲労物質を除去するので

心身の回復を促します。

 

「服薬」ということばは、

現代では「薬を飲む」という意味で使われていますが、

本来は「病気のときに、癒しやエネルギーを高める

効果のある衣をまとって自然治癒力を促したり、

からだの傷に薬草の汁を浸けた布をあてて、

皮膚を介して衣服で病気を治していた」

という意味で「服」という漢字が使われています。

 

 

人間は犬や猿と違い、進化の過程で「体毛」がなくなりました。

体温を保ち、外部の刺激から身を守り、危険を察知するなど

「毛」がない分、「衣服」によってその機能を補う必要があります。

人間にとって、衣服はもう一枚の皮膚であり

からだの一部であるとも言えます。

 

絹に限らず、木綿、麻、羊毛など

本物の天然の繊維を手にすると、

じわ〜と温かくなってきて、

布そのものが「生きている」と感じます。

 

わたしの治療院に通われている70代の患者さんで、

40代のころから、冬になると皮膚が乾燥して

かゆくて塗り薬が手放せない方がいました。

冷えとりをはじめて絹の下着を選ぶようにしたら、

なんと、まったく薬を塗らなくてよくなったそうです。

まわりの人からも「色白になって、肌がすべすべになった」

と褒められるようになったとか!

 

今は生まれたてのあかちゃんでも平熱が低い子がいっぱいいます。

たとえクーラーを使っていなくても、

「頭寒足熱」のバランスが崩れた状態が「冷え」ですから、

絹の腹巻を一枚着せてあげただけで便秘がよくなったり、

よく眠ってくれるようになったというケースもありました。

 

暑くなってくるとどうしても

「冷えとり」をすることが難しくなります。

一日中、クーラーの効いた部屋でパソコン業務、

冷たい飲食で胃腸も冷えている人などは

「からだの奥(内臓)が冷えて、熱が表に出てくる」

という状態になりやすいので、

足の裏がほてってきて、無意識に靴下を脱ぎたくなります。

 

まずは半身浴の時間を増やして、

その日にたまった余分な水分や一日の疲れを

しっかりと出すようにしましょう。

肌着、レギンスなどからだに一番密着する部分に

薄い絹製品を選ぶようにするだけでも、

汗をしっかり吸ってくれて、裸でいるよりも快適に過ごせます。

 

そもそも汗は体温が上がりすぎるのを防ぐためにかきます。

きちんと汗をかいて氣を発散することができれば、

逆に涼しく感じます。

 

東洋医学的には良い汗と、そうでない汗があります。

手のひらでおなかを触って、おなかのほうが

冷たく感じるような状態の時にかく汗は

実はあまり良い状態ではありません。

疲れやすく、胃腸が弱く、眠りも浅く、

のぼせやすい方が多いようです。

 

こういう方は、真夏の熱帯夜にクーラーなしで

無理に我慢して睡眠不足になって体力を消耗するより、

足元とおなかをきちんとあたためて、

快適に熟睡できる環境を優先したほうがいいようです。

 

実は、わたしは3年前から自宅で蚕を飼っています。

最初は息子たちに蚕を見せたくておそるおそるはじめたのですが、

なんとわたし自身がはまってしまって、今では糸車を使って

自分で育てた繭から糸をつくれるまでになりました。

 

この時期のわたしの頭のなかは

「桑の葉は足りるかな?」

「温度はちょうどいいかな?」

など、人間の息子たちのお世話以上に

蚕のことで頭がいっぱいになります。

 

不食の弁護士の秋山佳胤先生の

『いいかげん人生術』(エムエム・ブックス=刊)でも、

美智子妃殿下が蚕を飼っているエピソードが紹介されていましたね。

わたしは、カメムシをはじめ、ほかの虫は苦手ですが、

蚕だけはもうひとりの家族のように「癒し」を感じます。

 

養蚕をはじめ、糸を紡ぎ、染めて、織る「衣の仕事」のほとんどは、

長い長い人類の歴史のなかで

力の弱い女性や社会的に不利な立場の人でも

簡単な道具があれば自分でつくることができて、

自立できるように人々の暮らしを支えてくれました。

 

わたしにとって養蚕が一番の初夏の養生になりつつあります。

旬の決まった時期にしか食べられないものを食べたり、

地域の行事やお祭りをたのしんだり、

この日のために一年頑張ってきた甲斐がある。

そう思えるような「生きがい」も、「養生」になるのではないでしょうか。

 



加藤祐里

かとう・ゆり|愛知県出身。年間1,000件以上のお産のある総合病院にて、助産師として務めたのち、東洋医学を学びはじめる。鍼灸マッサージ専門学校卒業後、結婚、出産、FMT自然整体の勉強、ふたたびの助産師としての勤務を経て、2012年4月、「自然の豊かな場所で子育てをしたい」という思いから、岐阜県郡上八幡へ移住。移住と同時に、自宅にて「郡上もりのこ鍼灸院」を開く。地元を中心にした多くの人々の健康相談にのっている。

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