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マーマーなリレーエッセイ

#21 五十嵐武志さん、ひろこさん(50noen) 第1回

お米の収量について考える

 

2015年春・岐阜・美濃に移住したエムエム・ブックス。

その大きなきっかけとなったのは、

『マーマーマガジン』19号、20号

「土とともに生きる」特集でした。

自然農法、自然栽培の取材を重ねるうち、

「もっと土の近くで暮らしたい」と思うように……。

 

移住後1年目から、試行錯誤しながら、

まず、ちいさな畑をスタート。

今年は、服部福太郎のかねてからの希望であった

「田んぼ」もはじめました。

 

お米づくりについてまったくの素人のわたしたちを

導いてくださっているのが

南房総で、耕さず、農薬、肥料、

除草剤を使わない方法(冬期湛水・不耕起移植栽培)で

お米づくりを続けている「50noen|五十野園」の

五十嵐武志さん、ひろこさんご夫妻。

 

この「50noen」さんの田んぼでの講義がすばらしくて!

ぜひみなさんとシェアしたいと思い、

ワークショップの内容をぎゅっと凝縮して、

このリレーエッセイで、全3回にわたってご紹介させていただきます。

では、さっそく、どうぞ!

 

 

収量はなぜ増加したのか

 

五十嵐武志さん(以下、敬称略 武) 田んぼを目の前にすると、よく「この面積でどのくらいお米が収穫できますか?」と聞かれます。でも、ぼくは、この考えかたに違和感があるんですよね。

 

まず、この表を見てください。

 

 

800年代のところからはじまって、1985年までに、お米の収量が徐々にあがってきているんです。どうしてだと思いますか? それは、人間が収量をあげるために、科学的に考えたり、機械という方向から工夫したり……、人間が利益を求めた結果なのです。

1800年代のだいたいの収量は一反(約1000㎡|約300坪)あたり3俵以下(約180kg)。1900年からは同じ面積で5俵とれるようになってきました。でも、実は田んぼって、肥料などの手を加えなくても、放っておけば毎年180kgとれるんです。

 

服部みれい(以下、み) 草をとらなくても?

 

武 草をとらなくても。今みたいに草とりをしているはずがないんです。「たくさん収穫したい」という人の欲が出てきているのが、1956年から1980年までの話です

 

み 人の欲!

 

武 そう! 人間の欲。

 

五十嵐ひろこ(以下、敬称略、ひ) ただそれが、欲とも捉えられるのですが、国をあげてお米を日本の主食にしようとした背景もあるんですよね。お米は、縄文時代の後期に日本に伝来して、その後、国がお米を主食に育てようと決めたそうです。そもそも安定した収量を供給できるようにしていこうとした歴史的な動きがあるわけです。

その中で、「欲」というならば、「いっぱい収穫しよう!」という気持ち、ですよね。1800年の江戸時代に肥料(家畜・人糞尿、草木灰、魚粉など)を入れはじめ、1900年には、メンデルの法則によって、遺伝学に基づく交雑育種をつくって、いい種を残すことを人為的に行いはじめました。その後、種が安定した後には、今度は機械を使って労働力を軽減しようとしました。

 

み なるほどー。

 

武 機械化が進んだのは、1950年からです。機械と同時に、農薬と化学肥料が普及し、それ以降は、農薬、化学肥料ありきのやりかたに変わっていきました。

お米だけではなく、畑も同じです。最初に石灰をまいて、耕して、1回リセットして、化学肥料がちゃんと効くような土をつくるようになってしまっている。そうしないと、作物が育たないようにしてしまったんです。

 

み 薬や栄養ドリンクを飲まないと生きられない人間にした、みたいなイメージですね。薬ありき、サプリメントありき、みたいな人間。そうして、めちゃめちゃ無理して働く感じ。本当は1日休めば自己治癒力が働いて快癒するのに、そこを薬で抑えて働いて……。しかもそういうことを続けていると、自己治癒力が弱っていくため、より薬やサプリメントに頼るようになってしまう。予防接種のことにくわしい方には、予防接種にもたとえられるかもしれません。「すごくいいこと」、「当然」と思い込んでいる人が多いところも似ている気が。1つの症状に捉われて、全体が見えていない感じも似ているというか……。

 

武 そうそう。今、土自体は病んでいるんです。本来180kgしかとれないのに、その10倍とっているから、土の中に肥料がない。だから、外から(農薬なり、肥料なりで)補う必要が出てきてしまったんです。

そういうわけで今ブームになっている無肥料とか自然栽培とか、不耕起栽培とかも、ある程度、知識をもった上でやらないといけないんです。肥料をやらないと死んでしまうぐらいの、すでに歯車が狂っている「病んだ土」に拍車をかけて、もっと重度な状態にしてしまう可能性があるんです。

 

自分は田んぼで何をしたいのか?

 

武 1956年に、コシヒカリが誕生し、急激に国のお米が安定しました。コシヒカリは、いろいろな品種のかけ合わせで、おいしさ、収量ともに日本のNO.1になりました。よく出回っている「◎◎ヒカリ」というお米も、コシヒカリがもとになってかけ合わせでつくられているものです。コシヒカリがつくれるようになれば、古来のお米含め、つくる人に合ったお米をつくれるようになります。ぼくは、お米づくりをはじめる人には、コシヒカリから勉強してもらいたい、と思っています。

なお、田植えに関していうと、1966年から、手で押すタイプの歩行用田植機が使われるようになりました。それまで手植えだったため、ずいぶん楽になったそうです。その後、肥料も同時にまくことができる、車のような乗用田植機が使われるようになり……。今では、農家の間では、一反(約1000㎡|約300坪)あたり、8俵とれないとプロじゃないといわれていますね。

 

み そうなんですか! 本来の3俵の倍以上。

 

武 でも、8俵とるということは、絶対に肥料をあげなくては叶わない収量なんです。

 

ひ そう。1800年の、肥料もまかないまっさらな田んぼでやっていた時代が3俵だったから、そこから歴史をたどると……。

年表を追っていくと、こうしてご先祖さまたちがいろいろ試行錯誤した結果、1985年に収量8俵になった。それ以来、農家の間では、8俵がスタンダードになったということです。

では、一反(約1000㎡|約300坪)あたりの収量が6.5俵になった背景をまとめてみましょう。

 

  1. 1. 農具の機械化
  2. 2. コシヒカリの誕生
  3. 3. 農薬、化学肥料を使う
  4. 4. 稲作の一貫した機械化

 

この背景のおかげで、今わたしたちが安定してお米を食べることができているのです。

でも、実は今、こういった背景の裏には、お米を余らせてしまっているという事実もあります。戦後、アメリカから小麦が入ってきて、パンなど普及し、日本の食文化が変化しましたよね。

 

武 現状、ぼくたちの農法(冬期湛水・不耕起移植栽培)でも一反あたり平均6.5俵とれているので、本当はこれ以上とらないほうがいいと思っています。特に、自給自足の生活を目指していくのであれば、収量ではなく、「自分がどのように田んぼに携わるか」ということに重点を置いたほうがいいという考えです。

ぼく自身は、実は、米を食べることが好きというより、米をつくっていく過程と、生きものたちを見るのが好きなんですよね。生態系が完全に働いているうつくしい景色をつくりさえすれば、お米の収穫なんて、勝手についてくる。場所さえ整っていれば、必要な収量とれるのはあたりまえのことなのです。そういうわけで、時間がかからない方法である「不耕起」という方法にたどり着きました。

 

み 6.5俵以上をつくらないほうがいい理由は、土が疲弊するからですよね?

 

武 そうですね。

 

ひ 6.5俵以上つくるためには、(上記であげた)1〜4が必要だということです。どれかが欠ける場合、代わりになるものを自分で考えなければならないんです。

 

武 そこで、ぼくたちは、農薬の役目を生きものたちが、化学肥料の役目を糸ミミズが担ってくれるだろうと考えました。たとえば、カエルがカメムシを食べてくれたり、糸ミミズの糞が肥料になったり。それで充分。6.5俵とれています。でも、1年目からいきなり6.5俵とれるわけではなくて、段階を追って、3年後にとれはじめました。

 

ひ だから、1〜4を使わずに、もっと自然に近い方法で栽培したい人は、1〜4をどう補うかを考えなければならないんです。

よく考えないで「作物ができない」と悩んでいても、それはあたり前の話。自然農を実践したい人は、知識から入るのもいいけれど、自分で体験して、よく考えて、気づいて、改善して……。自分の体験をもって、やっていっていく必要があります。

 

武 そう。自分が本当に何がしたいのかをはっきりさせて、取り組むことが大切なんです。

 

スタッフM(以下、M) 繰り返しになりますが、この農法だと、ここの田んぼで3年後、6.5俵とれるようになるんですね。

 

武 あくまでコシヒカリの場合は、ですが。ぼくたちの田んぼも、もう7俵近くなってしまっているから、正直、とりすぎだと思っているんです。

 

み 田植えのときに混み混みにしないということで、収量が変わったりもするのですか?

 

武 そうではないんです。ぼくたちのやり方だと、化学肥料の代わりに糸ミミズを使っています。糸ミミズのえさは、有機物であるぬかなんだけれど、一反あたりの、えさとして最適な量を超えてしまって、今はぬか自体が肥料になってしまっているんです。そうすると、肥料が過剰になり、ほかの生きものが入ってきやすくなって、バランスが崩れて、土が病んでいく……。たとえば、糸ミミズが占める割合が高くなったり、カエルが少なくなったり、鳥が増えたりと不自然なバランスになってしまうんです。

 

ひ 1種類のものだけがすごく増えたら不自然なんですよね。

 

(次回へ続く)



50noen | ごじゅうのえん

五十嵐武志・ひろこ

千葉県南房総市で、「自然の美しい秩序を見ることができる田んぼづくり」、「イネ本来の生理生態を活かしたお米づくり」をしている。土を耕したり、イネの生長に必要な肥料分を担っているのは田んぼに棲む生きものたち。「生きものを観察してフィールドを用意することがわたしたちの役割」と考え、「冬期湛水不耕起移植栽培」の第一人者、岩澤信夫先生から学んだ栽培法をベースに、五十嵐武志が10年以上「耕さない田んぼ」でお米づくりと向き合って培ってきた生き物・雑草・イネ・田んぼの観方とお米のつくり方をお伝えしている

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