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みれいニュース

1111|おもに詩のはなし

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「私たちは誰もが、自分を誤魔化すことにかけては天才的なのである。

こうして自己欺瞞は、言い訳を正当化するだけでなく、言い訳する自分さえ正当化することがある。(中略)要するに、誤魔化していることさえ誤魔化してしまおうというわけだ。

 

いま言論界では、客観的・実証的なデータにもとづかないで、自分たちに都合のよいように状況を理解しようとする傾向を『反知性主義』と呼んで警鐘を鳴らすことが、ちょっとした流行になっている。中には、そうした傾向を単に『バカの開き直り』として片づけてしまう人もいるようだ。けれども、いま、問題になっているのは、複眼的にものを見たり、さまざまな意見を比較したりしないで、自分に都合のよい見方だけにこだわって、それ以外の見方を受けつけない態度なのではないのだろうか。自分自身を誤魔化していることの後ろめたさや、簡単に解決のつかない複雑な問題を忍耐強く考える面倒から、スッキリした気分になれる安易なカタルシスへと流される傾向といってもいいだろう。

 

(中略)

 

社会状況がますます複雑で困難なものになるにつれ、私たちの不完全な理性では、十分に対処できなくなっている。そのため、私たちはそうした状況にいっそう注意を向けなければならなくなった。だから、理性的に対処しようという意志の力が足りなくなるのではないか。実際、私たちの注意力には限りがあるし、意志は、そもそも怠け者だ。だから、カタルシスを得られる感情的発露の方が、忍耐を強いられる理性的判断より優先されてしまう。

 

私たちはもともと感情的な動物だから理性的になるには努力が必要なのだ」

 

 

『感情で釣られる人々……なぜ理性は負け続けるのか』(堀内進之介=著 集英社新書=刊)「はじめに」より抜粋

 

 

にん!

 

みなさん、こんにちは!

 

マーマーマガジンあらため

『まぁまぁマガジン』22号、

今週の頭に、ぶじ、校了いたしました!!

 

月曜日に書いたブログは、校了中に書かせていただいたのですが、

こうして、下版していよいよ印刷がかかるタイミングというのは

こう、なんとも言えない、ホッとする感じと、

一方で、どういう本になってくるのかという気持ちと、

売っていくということへの燃え上がるような気持ち、

そうして、読者の方々へこの本が届いた時に

こころやからだに立ち現れる化学反応などなどを想像して、

頭がぼうっとしてしまいます……

(ぼうっとしている場合かって話もありますが!)

いや、ぼうっとするっていうか、

なんかもう、感情がわやくちゃっというか、(わやくちゃ?)

制作している時よりは、静かな日々なのですが

こころの中が本気と書いてマジで忙しいです。

 

もう、することと言ったらクリーニングのみ(ホ・オポノポノの)

という手放すだけの状況には違いないんですが、

紅白歌合戦に出る直前の、ステージ袖の演歌歌手のごとく、

ことばにならない気持ちをからだいっぱいぱんぱんにもって、

震える膝を抑えているという感じです(本当に)。

 

みなさんに、受け入れていただけるといいなあ。

 

それにしても、今、なぜ、本誌を

「詩とインタビューの雑誌」にリニューアルしたのか。

詳しくは、22号に掲載した、「はじめに」に委ねたいのですが、

うーん、どうしてなのでしょうねえ。

「はじめに」には、もっともらしいことがまあ書いてあるんですけれども

(もちろん、それも本心に違いないんですが)

もう少し、こう、俯瞰して考えるに、

言ってみたら「流れ」なんでしょうか。

 

よく覚えていないんですが、

今回ADを担当してくださっている中島基文さんと

打ち合わせをしていたのか、ただだべっていたのか、、

その時に決まったんです。

でも、決めたのは、中島さんだったかも、、、。

で、イイネ!となりました。

 

世の中にはいろいろな編集長さんがいらっしゃると思うのですが、

わたしは、あんまりたくさんのことは決めていません。

なんか、前から来たものをじっと見ていて、

とにかくじーっと見ていて、でそれをある程度は選ぶんだけれど

受け入れるという感じ。それで流れができていくのを見守るという感じ。

 

今回は、本当に流れができて、

そうして、その流れに、自分も乗ってきたという感じがします。

 

その流れの背景には、きっと、

時代みたいなこともあって、

この冒頭でご紹介させていただいた「感情に釣られる人々」というような本が

発刊されるようになる、そういう世界にわたしたちは今生きている、

ということもあるのかもしれません。

 

よくわからないけれど。

 

だって、詩、ですよ、詩。

実は、わたしは、かつて

マガジンハウスから出ていた『鳩よ!』という雑誌の熱心な読者でした。

(でも、当時、オリーブと、家にあったクロワッサンと、家にあった週刊朝日と、ナンバーと、そういったものもむさぼり読んでいましたが)

 

『鳩よ!』って詩の雑誌だったんです。

すごくおもしろい雑誌だったんですよね〜。

ニューまぁまぁは、『鳩よ!』とは違いますけれど、

そういう自分の体験も、

からだのどこかに残っていて、

その燃えかすみたいなのが突然燃えはじめたのかも。

 

そう、

あれは高校生の頃でした。

本当に熱心にノートに詩を書いて、

見てくれる大人がいて、

適切な批評があって、、、

幸福な日々でした。

 

その頃読んでいたのが、『鳩よ!』だったし、

名古屋の美術館で聞いたのが、

谷川俊太郎さんのポエトリーリーディングでした。

 

 

もう、もう、もう、もう、あの時なぜか

くやし〜〜!!!!!!!って感じだったのです。

セーラー服(すごく似合ってたんですよ)の裾を

歯でキーっと噛んで、

くやしいくやしいとその場で、地団駄踏んだ記憶があります。

今でもあの瞬間の気持ちを思い出せる(多感な高校生だったんです)。

 

なぜくやしかったのか。

「あれ、わたしがやりたい!!!」と思ったのです。

うーん「先越された!!!」っていう方が正しいかしら……。

 

 

ひとりっ子で育って、

あんまり、あれがどうしてもやりたいとか、

なんか、競争心みたいなものは皆無だし、

くやしいとか、そんなになく育ったと思うのですが、

あの瞬間だけは、何か燃え上がるような感情が沸き立ったのを覚えています。

 

 

詩が好きだったんです。

詩を朗読するということも(演劇部でした、、、、暑苦しいでしょう)。

 

 

……と!!

その気持ちをずっと悶々と重ねて

今いっきに解放!!っていうんじゃ、ぜんぜんないんです。

 

詩への火種みたいなものが自分も忘れていたけれどあった、

という程度のことで、

ルサンチマン的に、あの時のあの思いをはらす!!みたいな(爆)

そういうのは、ないんです。

 

ただ……なんか、自然に出てきたのかな。

何かの具合で、消え入りそうな火種が

燃えるような風が吹いたとしか言いようがありません。

 

 

そして、インタビューです。

 

インタビューは、マーマーマガジンでも大切に考えてきたコンテンツで、

長いものでいうと、黒柳徹子さんの号とかは、

ほとんどインタビューで構成した号だったのですが、

そこをもっと深めたいという気持ちになりました。

 

今回の号では、

子どもがインタビューするという取り組みについても

スタートします。

かつて、子どもの雑誌づくりのワークショップをお手伝いしてきた経験も

活かそうと……。

 

ふむふむ。

 

こうして書いてくると、

何か、本当にこれは必然の流れだったのかな。

やってみたいなと思うことを

てらいなくやってみようと、

そういう年齢になったのかもしれません。

少しは解毒が済んで、

自分自身の表現をより素直にできるようになったともいえるのかも。

 

 

詩の書き下ろしもあります!

シンガーソングライターの前野健太さん。

(中島さんが教えてくれた、この番組、爆笑でした)!

「ことば」のある「歌」ということを、

本当に取り組んでいらっしゃる方、という印象があって、

今回書き下ろしをお願いしました。

わたし、正直、音楽を聴く時にあまり「歌詞」って重要じゃなかったんです。

リズムとか、メロディとか、そういうの重視、みたいな感じ。

たとえばボブ・ディランを聴くとしても、

歌は歌で聞いて、

歌詞は歌詞で別で読んでいたという感じ。

でも、前野さんの歌は、歌の瞬間に「ことば」が聞こえてくる。

しかも、暑苦しくなく。

(なんか、「ことば」が聞こえてくる音楽って、

暑苦しい、みたいな印象もあったんです)

ことばの、さりげない、現代性みたいなのにも惹かれています。

注目の人、ですよね。もうすぐ映画もはじまりますし!

まぁまぁ書き下ろしの詩も、乞うご期待、です!!

 

もうひとりは、

ホホホ座の山下賢二さん。

山下さんの詩は、以前から、詩のZINEなどに掲載されているのを読んで

「うまいなあ」とうなっていたのですが、

(うまいなあって上から目線でゴメンなさい)

フェスで直接お会いした時も詩について語りまくって、

そういうあれやこれやの流れから、お願いしたしだいです。

まぁまぁに掲載される詩、

女子に読んでほしい詩、たちです。

 

 

さらには、木工作家の荒井智哉さん、

COSMIC WONDERの前田征紀さんにも書き下ろし詩を

書いていただいています。

何かお二人ともそれぞれの芸術活動をされていて、でも、

その合間から漏れる「ことば」があって、

その「ことば」もなんとも魅力的なんですよね。

さりげない、ひかり。

ほら、ミュージシャンの人が俳優やると光るみたいな

(前野さんみたいなことですね)

そういった「ことば」の世界も、味わっていきたいなと思っています。

 

そうそう、

前田さん

とうとう、来週の土曜日には、詩も交えたトークショーを行います。

また12月には、東京でも詩の朗読会を行うのですが、

詳しくはこちらをごらんくださいませね!

 

 

 

そして、書き下ろしをしてくださった方、、、

谷川俊太郎さんです。

 

朝日新聞でも、連載がはじまりましたよね!

(最新の天使の詩もすてきでした。

あいかわらず、谷川さんの詩を読むと、

あの美術館で聞いた時の「ヤラレタ!!!」みたいな感じが必ずあります)

 

今回、谷川俊太郎さんにも書き下ろしの詩をお願いすることができたのですが、

これが、おもしろいマジックがあって!!

またこれはいつかお話ししますネ。

 

人は、完全に、潜在意識化で繋がっている、という

そういう確信を持つに至りました。

そうして、大作家は、

潜在意識に、健康的に、かつ的確にアクセスできる存在なのかな、と。

 

これから誰もがどんどんそうなっていくと思いますが!

 

すごい時代!

 

誤魔化すことも誤魔化してしまうような、

そんな時代に、

さて、何を思う、何を書く、何を聞く、何をやる、

という感じですが……。

 

詩は、インタビューは、さて、何か役割があるでしょうか。

 

 

いろいろネガティブな流れを

つい感じてしまうこともあるかもしれませんが、

思いもよらないような

あたらしい時代へと、

少しずつ、時はうねって進んでいるのかなと思います。

 

振り返ると「ああそうだった」とわかりそうですが。

 

何もかもぶち壊しにするような人が

あとから見たらありがたかった、

となるかもしれません。

 

悪魔は天使かもしれないし

天使は悪魔かもしれません。

 

 

と、そんなことを思っています。

 

またまぁまぁマガジンのお話をしていきますね。

ほぼ同時発売の

『あたらしい移住日記』のお話もまた……。

 

どうぞどうぞ、

ご注目いただけるとうれしいです。

 

 

どうぞよい週末を!

 

 

服部みれい、ど、え、した!

 

 

チャオ風

 

 

 

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翠れんさん、

あたらしいひかり。

 

 

追伸

レナード・コーエン氏がお亡くなりになったそうです。

ついおととい、レナード・コーエンを印象的に聴いた日のことを思い出していて、、、、

びっくりしました。

ご冥福をお祈りいたします。