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みれいニュース

0826|正直に|自分になる|時間の魔法

 

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みなさん、こんにちは!

 

先週の結婚のお話、反響があって

あの後すぐに、友だちに電話して、

誰か紹介して、とお願いした、とか、

実際の行動に出た方がたくさんおられたようです。ブラボー!

 

勇気を出すと、その瞬間、

人の波動って変わるんですよね。

その高まった波動が、また次の必然を呼び起こします。

これがすばらしいことだなと思います。

 

上記の方もそうですが

先週のブログで書いたかどうか忘れてしまったけれど、

「人に紹介してもらう」は、すごくいい方法ですよね。

みんなに、「相手を探している」と上手に言っておくんです。

あと、1回や2回の失敗で、「わたしってダメ」とか言って

あきらめないこと。

なんども言ってますが、30回でも40回でもトライする気持ちで、ネ。

 

ちいさなころから、恋が少なかった人、

恋愛をしたことがない人、

誰とも付き合っていなければなおさら、

「試合」にはたくさん出た方がいい。

「これは練習試合なのだ」とこころえて、どんどん

パートナー候補とあってくださいね。

場数を踏むこともとても大切です。

ならうより、慣れろの精神ですね。

 

 

さてさて、

8月も終盤にさしかかってまいりまして、

いやいや、なんだか、こう、

クライマックス前、みたいな様相になってまいりました。

 

とても御世話になっているふぇみにゃんさん

「秋にははっきりしてくる」「9月には形が見えてくる」

(もう少し違う言い方だったかも。まちがってたらごめんなさい!)

という風におっしゃってくださっていて、

わたしの中では

「この夏が終わったら」「この夏が終わったら」とブツブツ言っていたのですが

でも、なんだかどういうことだか、だんだんとわかってきました!

 

(ってモノローグすぎる文章でごめんなさい)

 

まあ、簡単にいえば

 

「自分の仕事をする」。

 

これに尽きますね。

 

「自分以外の誰かになろうとしないこと」

 

ともいえるかも。

 

いやあ、それにしても

人はどうして

自分じゃない誰かになろうとしてしまうのでしょうねえ、、、。

 

これすらも、

自分自身に戻っていくためのレッスンの一過程、

なのかもしれませんが!

 

何を隠そう、

このわたし自身、

本当に、わたし自身であることが、

今まで以上に大切になっているなあとあらためて思っています。

(全然できていなかったんだワン!!!)

 

 

SMAPも解散することになって、

それは必然だったのだと思う。

 

 

もう仮面夫婦、仮面グループ、仮面上司、仮面社員、仮面芸能人、

仮面親子、仮面なんとか、をやっていられない、

そういう時代に入ったのかもしれません。

 

それが明らかになる時

痛みも伴うかもしれませんが、

長い目で見れば「よかったねー」ってなるはずです。

 

 

そうそう、あと、

ごくごくごくごく

僅かの人たちが、

恐怖心から「やばい!! どげんかせんといかん」と言って

わたわた、恐怖心をあおるようなことがどうも起こっているようですが、

しかし、なんでも度が過ぎれば、

また次の展開が来るのかな、と。

 

 

いや、今週、友人、知人やその子どもたちと

時間を過ごすことがすごく多くて、

あかちゃんから、小学生男子まで、

大勢の子どもたちと会って、

抱っこしたり、あそんだり、おしゃべりしたり、

すごく濃密な時間を過ごしたのですが、

それが本当にすばらしい体験だったのです。

 

 

 

なんか、

おかあさんとかが、すごい感情的になってしまったりするのも、

「もういや〜〜!!」となるのも、いいなーと思って。

お母さんが、自然でいればいい。

無理しないことです。

 

「いい母」「いい妻」「いい子」「いい社員」「いい編集者」

 

もうね、全部、幻です!!

 

自分自身であること以外、

本当はできないし、

何より「自然」であること、が、最適解なのかな。

 

がまんしたり、無理したり、

自分ではない誰かになる時、不幸なことが起こるのかな、と。

かっこつけないことですよね。

SOSをちゃんと表現すること。

 

どうして人間はかっこつけたいのですかね。

世間体みたいなものを気にしてしまうのか。

やれないのにやれるフリをしないことでしょうか。

 

めぐりめぐって、無理が、自分たちの首をしめて

生きるのを窮屈にさせ、

自分や周りを混乱させていくのかなと思うのですが。

 

 

 

前者・後者論についても考え続けています。

前者が極まると後者っぽくなるのかな、

後者が極まると前者的な働きができるのかな、とかね。

 

後者の多い地域では、

優秀なリーダーシップがなくてもまとまるように、

システムで、ものごとがまとまるようになっている、とか。

広告代理店は、前者の極みみたいな人の集まりなのかな、とか。

(で、バランスとして、クライエントの御曹司の後者的な人が

入ってバランスとってるのかなとか)、、、。

 

 

まだ考えている最中だから、

何が本当かはわからないですけれど、

でも、

何度も書いてますが、

前者・後者論をどう使うかって、

前者は前者らしく

後者は後者らしく生きる、そのためのツールなんだと思うんです。

 

自分が自分でいいんだ、と

自分くらい認めなくてどうするのか、という話です。

 

認めるって、強がるってことじゃないんですよね。

勝手に、書き換えることでもない。

 

自分があるがままの

「ダメな自分」「できない自分」「ヘンタイな自分」、

そのままがいい、

それがいい、と思うときに

本質的な解放がはじまるのかなと思います。

 

「いい母やらなきゃ」「いい妻やらなきゃ」「いい彼女」

「いい部下」「いい上司」、、、、。

 

 

むーん。

 

 

「認められたい」という気持ちがあるときに

「いい○○」をやってしまうのかもですが、

「いい○○」をするよりも

自分自身に

立ち戻って、開き直って、

自分が得意とするものを伸ばすことを考えるほうが

本質的に自分自身が認められるのだと思います。

 

わたしがわたし自身に戻った時

どういうすばらしいことが起こるか!

 

それはやってみるしかないですね。

そういう景色をこれから

たくさんの人が見る、そういう時代になったのかなと思うし、

アセンションするとか、

次元上昇するとか(あ、同じか)、

とにかく、あたらしい時代になるって、

誰もが正直に生きるようになるということなのかな。

 

そんな風に思っています。

 

まあ、本当の意味で、あきらめる=あきらかに見る、

そういう時が来ているのかもしれませんね。

 

どうあがいても

本質は、いつかばれる。

そう開き直ったら

もう怖いものも何もないと思うのですが

いかがでしょうか。

 

仕事ならば、そういう思いをベースに

やぶれかぶれ、ダメ元で

あたって砕けろでやるしかないと思います。

あ、恋愛も同じか。

 

それと「時間」のマジックもあるなあと

ここ数日間で思いました。

時間が「ない」人の方が

(時間が有限であることがわかっている人といったほうがいいかな)、

動きがシャープになりますよね。

判断もパッキリする。

でも、時間が有り余っている人の中には、

平気で人の時間も奪ったり、

判断がよくわからなくなってしまったりするケースがある。

 

あと3日しか生きられないと思ったら、

何食べたいかはっきりしますよね。

そんな感じ。

 

その辺りもキーワードだなあと思いました。

 

何をしたらいいかわからない人は、

とにかく、一生懸命、時間を惜しんで働いて、

時には自分を追い込むことも大切かも。

 

わたしも2時に、キッチンの整備の方がいらっしゃるので

これから掃除してきます!

あと30分で掃除。

(家事は全部そういう風にしています。際限ないから、、、)

 

では、どうぞ、よい週末をお過ごしくださいね!

 

 

服部みれい、ど、え、した!

 

 

 

チャオ酢