高橋博の 自然が何でも教えてくれる #03
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第3回 理想を理想じゃなくしよう
自然栽培の理念だけじゃなくて、あの男(先生)に惚れたんだな。出合ったときはわたしが28歳で、先生は36歳。もっと年上に見えたけどね(笑)。先生は、先のものが見えるようなタイプで、ちょっと怖いひとだった。「理想を理想じゃなくしよう」とよく言われたね。「『理想は理想』という言葉を打ち消せるようなことをしよう」ってね。自然界にはそれを達成するためのヒントがたくさんあった。
でも、先生も農業に身を捧げるあまり、家庭のための時間をつくれなかったみたいで。子どもは4人いたんだけど、ひとりも抱いたことがないといっていた。みんな、自分を親と思ってくれなかったって。朝から畑に出ているから、子どもたちと顔をあわせる時間もない。これがずっと続く。周りのひとからみたら、きっとすごく外れ者(はみだし者)だったと思う。寂しいけどしょうがない、っていうんだ。
先生は出会って10年で逝っちまって……。ある夜中に先生の奥さんから電話が来て、「高橋さん、いまうちのひと、逝きました」って。まだ先生、46歳だったんだよ。車で駆けつけたら、奥さんが枕元で泣いてるわけだ。最後まで農業やって、夫婦愛も親子愛も捨てて……。先生はそれほどこの農法に賭けてたんだよ。だからわたしたちも、このひとのためにもやらなくちゃなって。ドラマの物語だったらあれだけど、現実に起きた話だよ。
だから、今やっている自然農法の塾は、30年前の先生との構想なんだ。先生との約束。「高橋くん、将来は学校も必要になるぞー」っていわれていたからね。最初はうちも研修生を預かっていたわけだけど、もう応えきれなくなっちゃったんだ。研修生として受け容れるのは5、6人が精一杯だからね。
学校をつくるには施設も手続きもなにかと大変だし、だから街の施設でできる塾というかたちでやろうかという話になって。それでなんとかなっていったよ。30数年前の先生との夢が少しずつ叶ってきたわけだ。
先生と語りあった夢のうちで、先生がいるうちに実現できたのは3つか4つしかないよ。だから、先生が逝っちゃったときは「これからなのに、なんで逝っちゃうんだ」って泣いたよ。わたしも、妻が離婚同意書を持ってきたり、子どもが隣の家のお父ちゃんの手をつないじゃったりして寂しい思いもしてきたけど、まだまだがんばらないといけないなって。
自然農法はそのくらい自分を賭けてもいい内容だった。農業だけじゃなく、いろいろな真理も掴めるようになった。先生に教えてもらったことでもあるけれど、「情ではひとは救えない」って。情をかけたら人間はダメになる。その代わり、ずっと想っていないとダメだと。
なんていう冷たい人間だと思ったね。でも薄情に感じられたそれも、本当の愛情だったわけだな。あれだけしてもらえてなかったら、きっと今ごろチャランポランな人間になっていたろうな(笑)。
自然農法の塾でわたしが話していると、目が潤んでくるひとがいるんだよ。そうすると、わかってくれたのかと思うな。自分と合うものがあるんだろうね。みんな、いままで自然に近づくことができなかったんだ、なかなか。どうすれば近づけるかがわからなかったからね。でも、本来人間ってみんな、本能が自然に戻ることを望んでる。きっとこの塾に来るとその感覚を味わうことができるから、みんな高いお金を出してでも来てくれているんじゃないかなぁ。こころの故郷に帰ったような、そんな安堵感をね。
先生は今でもここにいるんじゃないかと思うよ。自分でしゃべっていないように思えるときがある。先生は、ひとりでいいから誰か自然農を理解してくれるやつはいないかと、たまたまうちに訪ねてきて、それを託していったわけだからね。
印象に残っている先生の言葉はいっぱいあるけど、見えない世界の話が多かったな。肥料がなくてもできるっていうことが先に経験からわかって、その後で学者が調査するという順番なんだろうね。ほら、ノーベル賞もらったひとなんかも、見えないといわれていたものを発見してノーベル賞をもらっているでしょ。きっとこれから見えてくるんだよ。見えないながらもわたしたちはこの原理を学んでいるんだ。
- 高橋博の「自然がなんでも教えてくれる」
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- ・第1回 純粋なものでやっていく
- ・第2回 自分の感動が覚悟になる
- ・第3回 理想を理想じゃなくしよう
高橋博(たかはし・ひろし)
1950年千葉県生まれ。自然栽培全国普及会会長。自然農法成田生産組合技術開発部部長。1978年より、自然栽培をスタート。現在、千葉県富里市で9000坪の畑にて自然栽培で作物を育てている。自然栽培についての勉強会を開催するほか、国内外で、自然栽培の普及を精力的に努めている。高橋さんの野菜は、「ナチュラル・ハーモニーの宅配」にて買うことができる。