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別マー連載

更新日 2012/02/03

別マー連載 冷えとりガールズの集い

第40回:読マー! 被災と過食の日々を越えて ペンネーム・カーオさん

この春、看護学校の3年生になるというカーオさん。若いうちに冷えとりをはじめたおかげか、次々とからだに反応が現れました。そして、昨年の東日本大震災にあい、混乱しているさなかでも、重ねばきだけは忘れずにしていたそうです。どんなときでも、自分のことを素直に受け止められるようになったカーオさんの、こころ打たれるレポートです。

冷えとりに、からだが素直に反応

わたしが冷えとりを知ったのは、
看護学校で受けた産婦人科の先生の授業でのことでした。
先生自身も冷えとりをしていて、
見るからに「すてきオーラ」を放っていました。
わたしもこんなふうになれるかなぁと思いながら、
冷えとりをはじめたのです。

わたしは、高校生のときに生理が止まり、
ホルモン剤を飲みはじめたのですが、
まもなく体調を崩し、むくみがひどくなり、
特に下半身に痛みを覚えるようになりました。
そして、だんだん進学した看護学校へ行くのも
おっくうになってきた矢先に
授業で冷えとりのことを知り、すぐに靴下を購入。
制服でも冷えとりをするために、
自分なりの工夫を凝らして通学していました。

すると、効果はすぐに現れました。
放課後になるとカチンコチンだった足が、
少しですが、柔らかくなったのです。
そして、日にちを重ねるうちに、足の裏に変なボツボツが……。
はじめは「水虫!?」と思いましたが、様子が違っていて、
お風呂の中でゴシゴシかいていたら、
次の日にはよくなりました。
ボツボツの出た部位を本で調べると
「消化器」の毒の現れだったみたいです。
確かにそのころ、勉強のストレスで
過食を繰り返していたので、
からだに「ごめんね」とつぶやきました。

また、以前は気にならなかったのですが、
人がぶんぶん漂わせている香水の香りや
ケミカルなにおいが苦手になり、
ボディクリームやシャンプーも、
すべてオーガニックのものに変えました。
下着も、友だちはエロチックなローライズのパンティや
テロテロしている素材のもの、
レースふりふりのものを身につけていますが、
わたしは、おなかまですっぽり隠れるLサイズの絹のデカパン!!
見た目にエロさは感じませんが、
それ以上に安心感を得ることができました。

それからも、めんげんが出るたびに
「よっしゃー!」とガッツポーズ(笑)。
生理も、しっかり28日周期でくるようになったのです。

そんなわたしを近くで見ていた母も、冷えとりをはじめました。
母はわたし以上に毒の出かたが派手で、少し心配になりましたが
「年齢を重ねた分、毒もたっぷりなんだよ〜」
なんていいながら、
以前は重宝がっていたサプリメントも使うことなく、
めんげんを乗り切りました。

靴下だけは、いつでも肌身離さずに

そんな平和な日々が続くのかと思いきや、
昨年3月11日に、あの地震がありました。

わたしは岩手在住で、地震のときはまだ学校にいて、
先生たちもパニック状態。
クラスメイトたちも泣いていて、
窓ガラスは張り裂けそうなくらい、しなっていました。
外に出ると、信号は止まり、交通も混乱しまくっていて、
あたりの様子がまったくわかりませんでした。

そして、自分たちの居場所が「被災地」と呼ばれるような
すごい事態になっているのに気がついたのは、
地震発生から2日ほど経ったころでした。
電気が通じていなかったので、
何も情報が入ってこなかったのです。
とても不安でした。
静かな夜。真っ暗な夜。
このような状況の中でも、
靴下だけは肌身離さず身につけていました。
どこか「安心感」があったからです。

街の中では、いつ開くかわからないガソリンスタンドに、
何キロもの行列ができていたり、
食べ物も買いだめされたり……。
頭の中は常に「?」でした。
また、母の実家が沿岸にあり、安否がわからず、
不安な日々でした。
やっと連絡が取れたころには母の実家も津波に流され、
多数の親戚が亡くなったり、行方がわからない状況でした。

意外にも、父親がわんわんと泣き叫んでいて、
こころが痛みましたが、
そんな父親を、自分の実家や親戚が被災したのにも関わらず、
慰めている母の姿に、びっくりしました。
以前の母は、泣き虫でよく人のせいにしていたし、
怒りんぼうだったのに。
もしかしたら、知らず知らずのうちに、
母の「こころの冷え」も毒として出ていたのかなと思います。

「こころの冷え」を意識しながら

そして、いろんなことが落ち着いたころ、
また、わたしの過食がはじまりました。
しかし、今回の過食にはしっかりと理由があると
自覚していました。
「いつまた地震が来て、
食べられない状況がくるかわからない!!」。
まさに、そんな恐怖からでした。
からだが重くなるにつれ、なぜか不安も大きくなっていき、
とにかく「こわい、こわい」と食べ続けました。

震災からようやく11か月を迎えようとしている今、
過食も、少しではありますが落ち着き、
食べ過ぎたあとのからだの重さが
「苦」だと感じるようになりました。
靴下は何が何でもはき続けていますが、
その間の靴下のやぶれかたは半端ではなく、
もはや、原形がわからないほど(笑)。
そしてやはり、やぶける部位は、「消化器」や「腎臓」でした。

あらためて、からだに無理をさせているんだと実感し、
どうにか震災の恐怖から自分を解放してあげたいと思いました。
一方で、どこか「ふつうに戻ることがこわい」
と感じる自分がいます。
半身浴が好きだったのに避けてしまったり、
眠いのにむだに夜更かししてしまったり、
小食にしたほうが体調がいいのも知っているのに
できなくて……。

でも、もしこれを乗り越えたら、
すごい自分が待っている気もして、
もしかして、「これらすべてが毒出し?」
と思ったりもしています。

冷えとりをしていなかったら、
こんなふうに自分を意識して生活することはありませんでした。
まだまだ変化の途中である自分を素直にとらえ、
日々、冷えとりをしていきたいなと思います。
一皮剥けた自分に、いつの日か出合えることを、
楽しみにしています。

編集長より

カーオさん、お便りを本当に、ありがとうございました。
大変な経験をなさいましたね。それを正直に書いてくださり、本当に、うれしいです。靴下をはき続けたこと、またおかあさまの話、とても興味深く読ませていただきました。
食べ過ぎを、こころのほうから「食べ過ぎないようにしよう」とするよりも、わたしは、食べ過ぎのことはひとまずおいておいて、 まず、冷えとりをしっかりやる、ということのほうにコミットすることが、とても大事なように思っています(もちろん、専門家に相談する必要がある場合も多いのですが)。
冷えとりは、自分で自分を抱きしめる行為に似ていると思います。
大変だった自分を、しっかり冷えとりで抱きしめてあげてくださいね。またあたらしい自分を発見したら、お便りください!

☆プロフィール
[ペンネーム・カーオ]

岩手県在住。日々、テストと実習に追われている看護学生です。趣味は、ヴィンテージの洋服などを見つけたり、集めたりすること。古着に冷えとりファッションを取り入れています。「ほっこり系」以外のかわいいスタイルを、いつも考えています

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