連載

井上博斗

第2水曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話

18話 身のよるべなさとダンス白州の衝撃 後編

 

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開けた田んぼに忽然(こつぜん)と現れる鉄のプール。高さ20センチ、横幅は8メートル、長さは20メートルを超えるであろう黒いフレームが、満々と水をたたえて白州の青空を映しだしています。1977年、世界最大級の現代美術祭「ドクメンタ」に日本人としてはじめて選出された美術家・原口典之の代表的な作品「オイルプール」の白州版で、原作は漆黒の廃油が注がれることで、黒い鏡のような直方体となって世界に衝撃を与えたわけですが、ここでは用水や雨水によって表情は刻々と変化し、生きものや踊り手がかかわりつづける野外作品「水の舞台」として息づいています。2003年の夏は、ここで、ダンサーの田中泯率いる「桃花村舞踊団(とうかそんぶようだん)」の公演がはじまろうとしていました。

数百名のお客さんは、スタッフの誘導によって、白州の一般道からは見えることのない水の舞台まで農道や畔道を歩いてたどりつくのですが、まだ夕闇がせまる前、あたりに鳴り響いているのは、ホセ・フェリシアーノがうたう「ケ・サラ」でした。「ダンス白州」の、そして「桃花村舞踊団」の出囃子(でばやし)として地区放送のように鳴り響くそれは、切なく、切なく、どこまでも切ない。「ダンス白州」に対する個人的な郷愁と、「ケ・サラ」がもつ音楽性があいまって、毎年の夏の空はこの歌謡曲とともにあったため、歌詞の意味はわからずとも、失われつづけてゆくもの、二度と帰ってこない何かをわたしたちに痛感させていました。

 

田中泯とホセ・フェリシアーノ

 

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Paese mio che stai sulla collina Disteso come un vecchio addormentato

La noia, l’abbandono, niente Solo la tua malattia Paese mio ti lascio, io vado via

Che sarà, che sarà, che sarà Che sarà della mia vita chi lo sa?

So far tutto o forse niente Da domani si vedrà

E sarà, sarà quel che sarà!

 

意訳:

丘の上に、眠る老人のように横たわるわたしの村よ

退屈で何もなく、病で見捨てられたわたしの村よ、わたしはそこをはなれ、去っていく

どうなるのだろう、どうなるのだろう、わたしの人生はどうなるのだろう

何でもできるかもしれないし、何もできないかもしれない 明日は明日 どうにかなるのだろうか

 

原曲はこちら:

https://youtu.be/cfiPKNyEvaY?si=bNi-alZnZIo_6lJM

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何度も何度も繰り返しうたわれる、「ケ・サラ」は、徐々にヒートアップしていきます。それは身のよるべなさを最高潮にまで歌い上げることで、どうなるとも知れない不安をしずめようとする鎮魂歌にも聞こえます。安住の湖畔を飛び立ってゆく水鳥たちのように、ときはとまることがなく、確かなものは何もない、けれども鳥たちは羽ばたいて彼の地に向かうことを選ぶのです。

 

田中泯と同じ1945年に、プエルトリコで生まれたホセ・フェリシアーノは、出生後に盲目となり、5歳でニューヨークのスパニッシュ・ハーレムに移住(プエルトリコは1898年にスペイン領から米国領となったため移民とは呼ばないという)。9歳にして音楽の才能を発揮し、1968年にはグラミー賞の最優秀新人賞をとったシンガーであり、スパニッシュギター奏者です。1971年、イタリアのサンレモ音楽祭で「ケ・サラ」をカバーしたことで、原曲よりもフェリシアーノ版が有名となり、彼が歌う英語版やスペイン語版も世界的にヒットしました。ギター一本で故郷から出てきたかのような彼の風貌と人生が、そのまま歌にのりうつったのでしょう。田舎に憧憬をもっていた当時のヨーロッパの都市生活者、またヒッピームーブメントのなかにいた若者たち、そしてスペイン語圏の移民たちのこころをつかんだのです。朴訥(ぼくとつ)な語りとエモーショナルな歌声は、名声を得た今も、故郷を出るほかなかった孤独をはらみつづけていて、とまることのないとき、とどめるすべのないときのことわりが、視力をもたないホセには、はっきりと見えていたのではないでしょうか。

 

ここではないどこか、どこでもないここで

 

なぜわたしたちは、安住の地から出ようとするのでしょうか。もしくは出なければならないのでしょうか。田中泯は、1985年に東京・八王子の稽古場から、山梨県・白州に拠点を移した理由を、アルバイトに追われ、その疲れから踊りの稽古もままならない仲間たちの現状打開のためであること、若いころからバイクでたずねた八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳のあたりをよい場所だと思っていたこと、そして農という生きかたにダンスを、ダンスではままならない世界を発見したのだと数々のインタビューで語っています。1981年からはじめていた世界中から踊りを学びにくる人のための「舞塾」や、土地に根ざし、農で生計を立てる踊り手による「身体気象農場」が、ここ白州で展開することになったのです。

 

1997年に解散した「舞塾」から3年、2000年にあらたに結成された「桃花村舞踊団」は、白州や、泯さんのまわりで農業をしながら暮らす踊り手たちでした。今にして思えばわたしは、「桃花村舞踊団」に、踊りという舞台芸術を見ていたのではなく、彼、彼女たちの生きざま、人間関係、日々の共同性を舞台に重ねてみるようになっていました。夏だけでなく、冬や春にも通うようになり、彼らがふだんどんなふうに思考し、からだを動かし、迷っているかを踊りとして感じていたのです。彼らは踊りの型やメソッドを獲得しようとしていたのではさらさらなく、故郷からはなれたそのうつろ、欠落をかかえながら、あらたな故郷、生の場を見出そうと、踊りの旅をつづけるものたちでした。

それがホセ・フェリシアーノが歌う「ケ・サラ」と通ずるものだったのでしょう。郷愁の花をひしと抱きしめながらも、その花は散ってゆかざるをえない。かけがえのないものがからだからこぼれ、ほどけ、枯れ、はなれてゆく。それでもわたしたちは出会い、どうなるかわからないままに、ともに生きてゆくのです。

 

2003年8月16日、前述の「水の舞台」のまわりには、ぎっしりとお客が座り込み、その黒いフレーム全体を覗き込めるように取り囲む土手に、さらに人々がひしめくように座っていました。夜の帷(とばり)がすっかりおりたころ、鉄骨を引きずるような轟音の音楽を皮切りに「桃花村舞踊団」6名による「家族からからか」公演がはじまりました。わたしたち観客には照明がすっかり届いているけれど、水の舞台はほとんどが暗く、踊り手一人一人に、照明を手にもった黒子がついていました。その手持ちの照明ですら、踊り手のからだをまるまる照らすことはなく、その黒子は踊り手の影のようにくっつきながら、光源でもあるという逆説となり、それではその影に照らされた踊り手とは何ものなのか、わたしたちは結局照らされたものしか見えないのか、という問いが、わたしたちにせまってくるのでした。プールの向こうからこちらを見つめている大勢の観客も同じような自問自答をしているとみえて、お互いの表情を盗み見するように視線がラリーするのでした。

 

迷える眼差しのすきまをぬうように、影に照らされてうごめく存在は、水の舞台の闇のなかを足をとられながらバシャバシャと走り、誰かが誰かを抱きかかえてまわったり、どこかで力つきた誰かが倒れたりしているようでした。まるで夜の田んぼで迷子を、自分を、存在の落としものをずっと探しているふうで、そのような切実さがいつ終わるとも知れない緊張感を高めていました。しだいに、プール中ほどの枠から外へ、唯一せり上がった斜面台があり、そこに登ってからだをめいいっぱいのけぞらせる田中泯の姿がありました。ですが、その大きな背中から天に両手を広げたとて、まるで時代はずれの家父長が孤立しているようで、ほかの家族たちは見向きもせずそれぞれに分散しながら、時折、雷にでも打たれたかのように、みずからの立っている場におののいているのでした。ここで生まれたばかりの家族がからっぽなのか、散らばってゆくのか、はたまた共同してゆくのか、その答えがわからぬままに、激しい拍手の嵐で公演は終わりました。

 

無数のダンスの種がばらまかれた

 

わたしが2003年から2006年にかけて見た「家族からからか」から「人さらい」、「重力と愉快」にいたるまでの桃花村の舞台作品には、はっきりとした物語、筋立てはないにもかかわらず、焦土の上のかがり火に自らとびこんで焼け死んでいってしまう夏の虫が見ている夢のような、水中で溺れて息絶えるにしては水深が足りないような、わたしたちの無力さや滑稽さが、踊り手のからだから立ち上がってくるものでした。そして、そこから生まれる慟哭(どうこく)や熱さが、自分もいちはやく動かねば、この一瞬を大事にせねば、という実にいてもたってもいられない気にさせられるものでした。

 

なんでこんなにも胸が焼きつくほどに切なく、わけがわからないのに動きたくなるのか。「桃花村舞踊団」の踊り手たちは、伝統的な舞踊キャリアを積んできた人たちではありません。それに白州ではまず農家として生計を立てている人たちでした。「ダンス白州」の期間中も、彼らは早朝から野菜の収穫に汗を流し、出荷をしては、鶏に給餌をし、草を刈り、山羊の世話をし、それぞれのソロ公演や舞台美術を手がけるのでした。真っ黒に灼(や)けた彼らのからだは、陽のささない劇場や屋内スペースで開かれる舞台芸術というものの構造をひっくり返したようなものでした。

 

といって「暗黒舞踏」(16話参照)のような西洋舞踊史へのアンチテーゼでもなく、日本芸能への回帰を声高にうたっていたわけでもありません。「農村から都市を逆照射する」とうたわれた視座以上に、踊ることへのあくなき好奇心、その自然との関わり方こそが激しくわたしを揺さぶっていたのです。それは田中泯がフランスの哲学者、ロジェ・カイヨワのアパートまで踊りにいって名付けられた「名付けようのない踊り」とでもいうべきものでしょう。その名付けようのなさは、田中泯以上に、彼のもとで農業につとめながら踊り続けた玉井康成さんや、夏井秀和さんにもあらわれていたものではなかったでしょうか。

 

身のよるべなさから踊る

 

泯さんはわたしたちに二度と忘れられないような具体的で鮮やかな動き、あるいは風景のなかでの立ちかた、切り取り方で、場の印象を生まれ変わらせたり、焼き付けたりすることで、どこまでも広い世界をわたしたちに提示するのですが、この二人はどこまでもうろうろと迷い、すべったりひっくりかえったりしながら、からだの内側へ内側へと後退してゆくのでした。彼らは文字通り、そこに根ざして暮らしている存在であり、畑でもアスファルトでも彼らの生活の地続きみたいなものですから、そこで踊りとして起きること、起こしていることというのは、その土地の地霊か、野良犬か、酔っ払いかが、ひょんなことから、わたしとすれ違った、というようなところがありました。もはや踊り手とは気づかれない風情です。

 

ところがわたしたちと不意に出会ってしまった“おすそわけ”に、彼らみずからの秘密や、からだの内側の暗がりをこちらにひらこうとしてくれるのでした。もちろん「ダンス白州」には多くのダンサーが外からやってきて、毎夏無数のパフォーマンスをつみかさねてきました。見るものは、その堆積をとおしてそれぞれの踊りを見ていましたから、ひとりの踊り手に信じられないような獰猛な獣の顔や、かつて神さまと呼ばれたような生きもののふるまいが立ち現れたりしたとき、それはフォッサマグナのきわにある白州という土地や、これまでの「ダンス白州」の軌跡が地殻変動を起こしたものとしても受け取っていました。わたしたちは、そのつどこうした踊りの奥深さにふるわせられたものです。ですが、玉井さんと夏井さんは、日々慣れ親しんでしまってゆく白州での暮らしに、踊りという行為を安住させずに、自らも知ることのないからだの内側にもぐろうとするのでした。その誠実さに、人々は、彼らをタマちゃん、カズさんと親しみをこめて呼んでいたのです。

 

2001年から毎夏続いた「ダンス白州」は、2009年から2010年にかけて開かれた「四つの節会(せちえ)」という四季分散型の会をもって終了し、「桃花村舞踊団」も同時に解散しました。「これが踊りだと思うと、そこから踊りは逃げていく」と、マンネリをきらい、安住を決してのぞまない田中泯らしい終わりかたは、無数のダンスのこぼれ種を残したに違いありません。

わたしはダンスに飢えていたのでしょうか? それとも「ダンス白州」を求め続けていたのでしょうか? すでにありとあらゆるものは踊っていた、踊っていると気付いたのに? 白州から当時在籍していた大学に帰ってくると、魂が抜けたようになりながら、それでも生きていく場、踊りたくなる土地を探していました。それにはもう一つの大きな出会いが待っていました。

 

◎終編へと続く


 

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井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

インスタグラム https://www.instagram.com/hierotix

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