連載

井上博斗

土曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話

第16話 静かな父との舞踏 前編


病める舞姫を読む

「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな。」


このようにはじまる舞踏家・土方巽(ひじかたたつみ)の1983年の著作『病める舞姫』(白水社=刊)を読んだ20歳のとき、わたしは自分をとりもどしたような、わたしもここで育ったのではなかったかと錯覚するような驚きにとりつかれたものでした。そして舞踏という、からだの世界に憧れるようになったのです。


西洋のダンスの流れるような、清く高らかで上昇的な動き、飛翔感にみちた神学的な思想とはまるで反対の、下降し沈潜し、猥雑で病的、どこまでも痙攣(けいれん)的なふるまいの「暗黒舞踏」を創出し、世界にBUTOHの名を刻む祖となったダンサー、土方巽を知ったときには、本人はすでに亡くなっていて写真や映像でしか見ることができませんでしたが、なかでも舞台上でひっくりかえってもがいている姿や、尾骶骨(びていこつ)だけで立ち、目を半開きにして、口を泣きわらうように開けて虚空をさまよう手足は、わたしが前話で目の当たりにした、生まれ落ちたあかんぼうそっくりで、当時その舞台を目の当たりにした小説家の澁澤龍彦は「未生の胎児の眠る姿」から、「様式的な動作への期待を完全に裏切る、今までわたしたちが一度として想像したこともないような、奇怪な肉体行使の可能性を暗示した驚くべきダンス」と評しています。

 

「舞踏とは命がけで突っ立った屍体である」(土方巽が遺したことば)

 

全身を白塗りにしたり、ぼろぼろの着物をまとった土着的な、あるいは祭儀的なヴィジュアルにもまして、わたしには冒頭で紹介した言葉とダンサーとしての肉体がみごとに釣り合っていること、その物質的な具体性に魅力されたのですが、『病める舞姫』をどこから読んでも、ほつれ、はぐれ、ばらばらの糸になって細胞にとけていった、いったん死んでしまったからだの記憶、からだの眼が、まるでつむがれるように、縫いなおされるように情景やオブジェとなってよみがえり、思い出されてくるのです。

 

目の見えぬ父の眼となる

わたしの父は盲目だったので、外出するときよく父の眼になって歩いたものでした。父の左手がわたしの右肩にのせられて、父のゆっくりとした歩みのとおりに足を進めてゆくと、どこかしらわたしと父が一体になって、なんだかわたしは目の見えない父であり、わたしよりからだの何倍も大きい、それでいて、もはや目の見える父となって歩いているような気がしていたのです。

 

それはわたしにとっての確かな踊りでした。まだまだこどもだったわたしたちですから、兄は自分の衝動でかけだしたりできないのをきらって父の手につかまらないように最初から逃げていたので、いつもわたしが父を連れる役になることに歯がゆい気がしたことも覚えています。ところが、しだいにすっかり慣れてしまい、まるで一つの型を得たように、父としずしずと歩くことがわたしの巨大な瞑想であり、能楽(のうがく)におけるワキ(脇役者)のような存在になっていました。

 

能楽は、室町時代に、世阿弥が父の観阿弥とともに大成させた演劇ですが、なかでも諸国をめぐる僧や旅人がワキとして最初に登場し、シテと呼ばれる主人公、それも亡霊、亡魂たちと出逢ってその語りをきく「夢幻能(むげんのう)」が有名です。ふいに出会ったものに耳をかたむける、異様なものに出会うことのできるワキがいることで、この世には現れることができない幽霊や鬼が身をさらして語りうたうことができるという夢幻状態をつくりだしているのす。


父にとって自分で動き回ることのできる家とはちがって、戸外では道ゆきの段差や、曲がり角のひとつひとつを父にうながしながら、父が感じてことばにする景色に耳をかたむけることは、この夢幻能のようなものでした。あるとき、「今日はいい天気だなあ」と父が空を見てつぶやくと、母が「え、あんた、見えるの?」と今さらながら聞きます。「いや、これでわかる」と、強い陽射しであったかくなった自身の着るセーターをさしてみせるのには、他愛もない会話ですが、なんだかまぼろしが現実になるような芝居を見ているようで、なるほどと思わせられるのでした。

 

腰のそげた駄菓子と兄

目が見えない一方で、耳も感性もするどいのが父です。特に家に客人が訪れる寸前に気づくのは日常茶飯事でした。「誰かきたぞ」といわれてわたしたちが玄関に出てみると、その後に人が玄関に近づいてきたり、インターホンを押すことになるのです。それははたして耳だけがよかったのでしょうか。兄が親の小銭と人目を盗んで買ってきたアイスクリームを隠れて食べていることにいち早く気づいたことにも驚きましたが、父がとりあげたアイスを洗面所の水でどろどろととかしはじめたことは忘れられません。あれこそ、息がなくても生きているアイス、「腰のそげたけむり」アイスでした。「きっと何か生まれかわりの途中の」アイスだったのでしょう。

 

「私はよく買い喰いをした。買い喰いの汚れた顔で表を歩いていた。途中ですれちがう犬に飴やするめを擦りつけて食べなおしていた。」(同著)

 

ずいぶん遠くまで駄菓子を買いにいっては補導されていたような、いつも口の端にひからびたキャラメルか、ぬるっとした飴のあとがついたような、そんなふうな兄ですから、おやつに困ると、水屋箪笥(みずやだんす)の中の角瓶の中につみあがった白い角砂糖をとりだして、わたしに手招きして一緒に食べるようにすすめたことがあります。甘すぎてわたしの口にはあいませんでしたが、兄は好々爺のような顔でほくそ笑み、うれしさを抑えきれないといったていで口の中の角砂糖をなぶりとかしていたのです。

 

いつも口さみしくお腹をへらしている欠乏感覚と、それとさしちがえるように過分な甘みやひどくかたいもの、そして過激な調味料がからだにとけてゆくせいで生まれる腐蝕感覚は、あっちへいったりこっちへいったりするシーソーに踊らされているようでいて、わたしたちのからだのもとめる育ち、死生に深くかかわっているはずなのです。

 

◎後編に続きます!

井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

インスタグラム https://www.instagram.com/hierotix

YouTube https://youtu.be/a1wsc91rT8E

源流遊行HP https://genryu-yugyo.com