土曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第17話 裸のからだを越えて

剃毛する前の20歳のわたし
さて、16話では土方巽の『病める舞姫』(白水社=刊)をもとに、こどものころにはぐれてきたからだ、からだだけの密談について書いてきたのですが、それをどのようにからだにあらわすのか、ということを模索していました。きっかけは、外界とからだを切り分けているかに見える皮膚でした。ずいぶんバカバカしい話のようですが、20歳のころで、わたしは真剣でした。
世界的に舞踏をイメージ付けたものに、つるつるの頭に全身白塗りというものがあります。当時のわたしもさっそくやってみることとなりました。まずは剃毛ですが、そこであらためて気づかされたのは、皮膚がくまなく産毛におおわれている、ということでした。生まれ落ちたときから生えている産毛を死ぬまでまとい続けるという事実には、毛皮を捨てた人間の、それでも産毛を捨てきれない動物時代の執着が残っているのでしょうか。
とはいえ、こちらはムダ毛とすら呼ばれるものを全身そりあげる愉快こそあれ、何の抵抗もありません。のはずだったのですが、最後に困ったのが、睫毛(まつげ)です。本能的な恐怖というのか、剃っても抜いてもいけない、というタブーのようなものが押し寄せて、これはさわることができませんでした。眼球という潤いをもったむき出しの内臓を、上下の睫毛がしかと守っていることを知らされたのです。
そうして剃った毛をシャワーで洗い流したときにまた驚かされました。しずくや流水のかたちが手にとるようにわかるのです。湯船につかれば、水のうねり、水のかたまりそのものがはっきりとわかるのです。これまでこのように水とふれたことはありませんでした。水が皮膚にとどく前に産毛が水をいなしていたために、水の形はまるで川の中でゆれる藻のように、細切れになっていたのです。
からだをタオルでふいても、一瞬で水気がとんでいきます。産毛が水をふくむために、何度となくしっかりふかないとかわかないことを知らされたのです。わたしはまるで水面から顔を出すイルカにでもなったように、つるっとした皮膚の勢いを感じていました。これは外に出ても同じで、歩いても自転車に乗っても、空気のヴォリュームが皮膚に向けて押し合いへし合いしてくるので、やはりこれまでは、産毛が世界を分割し、なびかせていたのが思い出されたのでした。
ところがその夏はこまりました。眉毛がないので、目に汗がながれこんでしまって、いやにしみるのです。麦わら帽子に毛のない頭を蒸れさせながら、それでもわたしは生まれかわったように、その姿であちこちを旅しましたが、日に焼けた毛のない男が、まるでアブラゼミのように目だけをぎらぎらさせて、はたから見るとずいぶんおかしかったのではないでしょうか。
裸と布ガムテープ
そうしたところ、写真を学んでいる友人がストリップショーを企画したというので出演してくれないか、という話になりました。女性ばかりの出演者で、男性はわたしだけです。女性のストリップは歴史があるものですからいろいろにやりようがあると思うのですが、わたしが舞台に出ていって裸になっても、何も起こらないだろうと考え、当時ハマっていた茶色の布ガムテープで、全身を貼りつつむことにしました。
ハマっていたというのも、学生時代は車もお金もないので電車賃をケチってどこまでも歩く、ということがあたりまえだったわけですが、あるとき「?」をひっくりかえしたようなアスリート仕様の義足をテレビで見て、その強靭なバネのスプリングと同じにはいかないにしても、そのような構造で楽に歩くことができないかと考えて思い当たったのが、布ガムテープでした。足の裏に、しっかりテンションを張った状態で布ガムテープを貼ると、想像した以上に跳ねるように歩ける、という体感がえられたのです。まことに単純で、足裏の筋肉のフォローのようなものに過ぎないわけですが、わたしとしては大発見したような気持ちでした。テープがへたってきたら、またあたらしいものに貼り替えていましたので、当時のわたしのカバンには、必ず布ガムテープが入っていました。もちろん、他人から見ればアスファルトを裸足で歩いているのと同じですから、よっぽど人の目が気にならなかったとみえます。
しだいに、わたしにとってはその薄茶の布ガムテープというのが、世界にたいする構え、擬似皮膚であり、かつ世界から跳ねあがる筋膜のように感じられていたのです。事実、全身にそうように、手のつま先から足のつま先まで、裸のかたちのままに筋肉の流れにそってテープを貼っていくと、油にまみれた裸の男とみまがうような姿です。舞踏の白塗りではなく、梱包資材の布ガムテープだ! とこれまた狂喜していたのですが、またまた困ったのが首もとにテープを貼ったときでした。喉まわりにはると、その強いテンションで気管や頸動脈がしめられて、息ができずに苦しく、血流もとどこおって意識が遠くなってしまうのです。わたしたちが自覚できないほどに皮膚は動きつづけていました。そのため、目鼻口を中心とする顔と首正面だけは貼るのをあきらめました。
これは、頭を出して土のなかにからだを埋める実験をしたときも同じです。埋めるさいに土を踏みかためてしまうと、胸や腹が動かせず、まったく息ができなくなるのです。このことの体感はとても大きいものでした。わたしたちは能動的な行動や行為によって生まれる重心の移動や、部位の軌道を動きとしてイメージしがちだけれども、じっとしていても、何もしなくてもわたしたちは動いている、血流や内臓だけではなくて、皮膚も海面のようにゆたかに波打っているのです。
衰弱体の思想
そうして、ほぼ全身を布ガムテープにつつんでわたしはストリップの舞台に登場しました。ぎゅうぎゅうに入ったお客から、声にもならないざわめきと、食いるような凝視が感じられました。全身テーピング状態ですから動きやすいわけではなく、関節もテープが食い込んでやや痛いなか、ひたすら上下にジャンプし続ける、というパフォーマンスです。これも当時、日本各地の祭りに通っていたときに、あまりの人の多さに儀式が見えないことがありました。しようがないので、わたしはひたすら跳び続けてことの進行をみることにしたのです。そうしたら思いのほか、自分のからだが跳びつづけるという行為と相性がよかったようで、マサイ族のごとく、生き生きと跳び続けていたのです。するとお祭りを見ることよりも跳ぶことのほうへ意識が向き、だんだん激しくなってゆく動悸や、限界がちかづいてくるふとももによって、しだいに跳び方がくずれてゆくことに、妙ななつかしさが生まれてきたのです。
これは舞踏で発見されてきた「衰弱体」という思想と響き合ったのかもしれません。西洋のダンスが得意とする伸び栄え、成長していく上昇的な動きではなく、朽ち枯れ、縮み衰えてゆく下降的な動きに着目した型ですが、老人や病人といったキャラクターを演じているのではありません。花鳥風月からアイスクリームまで、万物の勢いが衰弱していくことを、からだにおきかえるものです。別のいいかたでいえば、からだのコントロールをどのように手放していくか、という身体観ともかかわっています。わたしたちは無意識に立っていたり、坐っていたりしていますが、それは実に激しい能動性によって維持された動きです。また、舞踊においては、動きを可能にするイメージが先行します。こういうかたちや軌道で動こうと頭で思い描くイメージです。「衰弱体」も一つのイメージですが、イメージでからだを動かすのではなく、このからだが枯れ衰えるとどのようにからだがくずれていくのか、ということをからだに聞いて、からだにやらせようとするものです。すでにやってしまっている能動的な動きを自覚し、そこから離れ、また衰弱にともなうイメージをも消しながら、勝手にほろんでゆくからだにまかせる、というありかたです。
「衰弱体」はそれまでの舞踊の歴史にはあまり見られなかった、舞踏の思想の根幹をしめすものでしょう。わたしたちが、きずつき、いたみ、とどこおり、うずくまり、たおれこむことを、良し悪しのメガネなく受け入れることができるならば、それは生老病死の肯定であり、自然界のいとなみの一つに過ぎないことを悟るものですが、ダンサーという代理のからだをとおしてうけとることは、大きな癒しにすらなりうるものでした。当時よく見ていた舞踏家たちのからだに、その「衰弱体」の伝承がはっきりと感じられることに、わたしは一つの感動を覚えていたのです。
さてクラブの小さなステージでスポットライトを浴びて、ひたすら上下に跳躍するうちに、汗がふき出てきて、皮膚とガムテープの間をすべるように流れるので、はらりとはがれてしまうテープも出はじめます。両足はだんだんと麻痺し、跳ぶ力が失われつづけ、ふとももは痙攣さえしてくる。せき切った息は、腐った魚でも食べたか喘息にでもなったようにひゅーひゅーという音を出してやまない。もう跳ぶことも立つこともままならないところまで跳ぶことで、自ずとからだはつぶれていく。脱皮もままならず、自壊しきることもできない、生きているからだ。蝶のようにサナギになることもできず、もう立つこともできない。ほうほうのていで、なんとか四つん這いになって手と膝をつきながら、観客の真ん中をとおって退場していく……。と、ここで予期しなかった事件が起きるのですが、それはまたの機会に読んでいただきたいものです。
目で見ればいかにも自明のものとされているからだ。裸もまた裸であることが約束されている世界では、裸は特別でないばかりか、裸という衣装になってしまう。裸というヴェールすら脱いで、その場でからだそのもの、からだの闇をさらし、からだの宇宙をひろげていくためにはいったい何ができるのだろうか。その問いに溺れながら、何かをつかもうと必死だったのです。

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
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源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
