土曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第16話 静かな父との舞踏 後編

からだだけの密談
「私は雪にしょっちゅう食べられかかっていたし、秋になれば、ばったにも噛まれた。梅雨どきは鯰(なまず)に切られ、春先にはざくらっと川に呑まれたりして、自然に視線が、そういうものに傾いていったのであろう。」『病める舞姫』(土方辰=著 白水社=刊)
わたしもたくさんの怪我をしたものです。まるでもてあそばれるように、のみこまれるように、みいられるように怪我をすることがこどもにはあるものです。
父は肥溜めに落ちた話をよく語ってくれましたが、わたしはわたしで友人のお屋敷から友達を引き連れるべく自転車で道に飛び出したため、走ってきた車にふっとばされたことがありました。何が起きたのかわからないなか、即座に車からおりきてわたしをおこした運転手に心配されたものの、ちょっと拳をすりむいたぐらいだったので、なんともないと言い張ってその日は自転車をおして帰ることとなりました。その後親にも誰も話さずにいましたが、その光景を後ろからちゃんと幼馴染に見られていて、あとでそこの家人から顛末をきかされた母にずいぶんしかられました。
「人間追いつめられれば、からだだけで密談するようになる。」(同著)
それから車にはぶつからないまでも、夏の暑い盛りにあそびびほうけていたら、当時でいう日射病にかかったようで、なんと乗っていた自転車の音がバイクのように轟音をあげてうなりはじめたため、我慢できずに自転車をほうりだして家にもどり、家族にも事情を知られずに一晩寝こんでいたものです。翌日には、テント屋の前で横倒しのままになった自転車をとりにいき、息もせずに沈黙する2つの車輪がまたカラカラといったときには、玉手箱をあけた浦島太郎のような気がしていたのです。どこかであのバイクの音がなる自転車を期待していたのでしょう。
自分のからだが自分を追い越していくような、自分のからだに自分が追いついてないような、あのなつかしいあばれかたに、わたしのからだへの信頼は、「からだだけの密談」は、むしろ深まっていったのでした。
はじめての父の鍼
「言いきかされたような観察にお裾分けされてゆくようなからだのくもらし方で、私は育てられてきた。」(同著)
あれは小学校で何年生のことだったのでしょうか。わたしの地区は、運動会の最後にプログラムされた、花形の地区対抗リレーでもう十数年優勝し続けているという不思議な伝統がありました。そのために運動会が近づくと、獅子舞の練習話と同じく、家の近くの薬師堂でバトンパスやスタートダッシュの猛練習を重ね、本番にそなえていたのですが、あまりにわたしが練習に熱を上げるあまり、運動会の前日のお風呂上がりに、全身がしびれたようにバッターンと倒れてしまいました。意識ははっきりしているのに、つっぷしたまま力が入らず、まったく起き上がることができません。
わたしがたおれた音をきいたのでしょう、いつものまったく足音をたてない歩きかたで父が近づいてきて、わたしのからだをさわり、しばらくしてなりわいとしている鍼(はり)を用意してうちはじめました。それがわたしのはじめての鍼の体験でした。最初はこわくてからだがぶるぶるとふるえていましたが、痛みというより皮膚をつまむくらいの感覚で次々と鍼をさしていくと、まるで電気を流すかのように全身がつながっていく心地に、とけていくような安心をおぼえました。そしてもはや、何本、何十本とさされているのかも分からないなかで、さした全ての鍼が抜き終わると、わたしはやおら立ち上がることができ、全てが元にもどっていたのです。こどものわたしにとってそれは魔法であると同時に精密な科学として感じられました。
父の手の指が、わたしのからだをなで、あるところですっと指がすいつくようにとまる、そこに短いストローのような管をあてて、鍼の軸を頭からトントンとたたく。迷いやよどみが一切ないそのしぐさに魅入られて、それから、何度となく父の治療室にかくれひそんでは、患者さんやつかれた母にそうやって鍼をうつ父の姿、その美しい手すがたを盗み見したものです。
逃がれる術のないからだの闇
なぜ目が見えないのに鍼がうてるのか、という疑いはいつしか消え、見えないからこそ分かるのだ、という真理がおのずとうかびあがってきて、わたしは「お裾分けされてゆくようなからだのくもらし方」によくよく育てられてきたのだと、ふりかえって思うのです。
「『こんな闇の中に突っ立っていては、浮かばれない。』と言って姿を隠すには、からだが何かをひっくり返した後で、逃がれる術もない。」(同著)
からだをひらくとは、ただ外界にむかってひらくという意味だけではなく、このうちがわへ、まるで皮膚がめくれるように見えないものに向かってひらかれていくことをふくんでいるのでしょう。
ところが、見えないものだと思っていたら、これまで忘れてきたものや、はぐれてきたものが、実はかごからこぼれた林檎のようにごろりと目の前にころがっていて、それをさわったり言葉にしてみたりすることで、それそのものが踊りになり歌になることを土方巽の舞踏は教えてくれました。
かといって、こうした言葉がそのまま踊りや歌になることは簡単ではないかもしれません。目をあえてつかわせないような、脳の回転をとめるような生の稽古も必要なのかもしれません。それでも、わたしたちの生が、うた・こえ・からだがひらかれていくには、土方のいうように「何かの生まれ変わりの途中の虫」である、ということに気づくことから、「逃がれる術のない」からだの闇から、はじまっているような気がするのです。

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
インスタグラム https://www.instagram.com/hierotix
YouTube https://youtu.be/a1wsc91rT8E
源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
