第3回 新米社長は怒られている

久しく「今日の編集部」から離れてしまっております…。
すべて自分の蒔いた種、ですが、6月はほんとうに怒濤で
自分自身が選択して抱え込んだ仕事に、完全にやられてしまいました。
ぼくがやられてしまうだけならいいのですが…、それは会社のみんなにも
読者のみなさまにも迷惑をかけることに、つながるわけですし、それでも
独りよがりにしていたのですが、そんなある日、とうとう、そう、
題名の通り…(先日、居候中の実家で新聞のTV欄を眺めていたら
『探偵はBARにいる』という文字をみて、マネしてみました)
怒られました。こっぴどく。
深夜3時、かれこれ2時間以上、実家のお仏壇の前で
ぼくは正座をしてうなだれて、ただただ頭を下げるのみ…。
もちろんその相手は、お仏壇のご先祖さまにではなく…
……みなさまならわかってくださいますね、そう、妻(みれいさん)に向かってです!
完全にキャパオーバーしながらも、独りよがりに仕事をすすめていた
こと(その他にもいろいろとあるのですが)を、しっかりとたしなめられました。
いつの間にか、自分1人でもなんでも出来る! と思い込んでしまって
いたなぁ、と大反省をしました。
それに「ぼくは社長だ! 」という意気込みが高まりすぎて
傲慢になっていたし、見栄というか、周りにも「できる社長と思ってもらいたい」
みたいな意識もありました(今もあります…)
でも、僕自身がほんとうにまだまだなんだから
そんな見栄をはっても、すぐにみすかされてしまいますよね。
今日ご近所のお世話になっている方と久しぶりにお話ししたら
先日、2日間出張で事務所に顔を出さなかったことがあるのですが
そのときのことを
「代表取締役の荷が重過ぎて、福ちゃん逃げ出したかと思ったよ」と
言われました。
おかげで、すごく肩の荷がおりたというか
ヨチヨチのひ弱な新米社長ということを、ぼくよりも
周りの方たちのほうが受け入れているんです。
それでいてちゃかしたりもするけれど、あたたかい目線で
見守ってくれたり、手伝ってくださったりしてくれている。
みれいさんだって、ほんとうに全力でサポートしてくれるし
うちのスタッフはみんな、ほんとうによく僕をたてつつ
かげですごくサポートしてくれています。
あらためて、ほんとうに感謝しかありません。
この「新米社長日記」ですが
・こんな仕事をやってのけました!
・こんな努力をなしとげました!
・うちの会社っていいでしょ?
という内容で書いていこうと思っていたんです…
でも、どの面さげてそんなこと書けるんだろうと思うし
それにこのブログが一向に進まないように…、そんな自慢エピソードが
ひとつもありません…。
それより怒られたり、失敗したり、後悔したり…
そんな話なら、毎日のように書けそうです!
そんな感じで書き進めていきます!
失敗社長にならぬよう、読者のみなさまも
どうぞ新米社長福太郎を宜しくお願いいたします!
3回目
第2回 この会社に入るまで

ぼくはもともとゲーム会社に勤めていました。
大学を卒業してから約7年半勤めさせていただき、2011年9月に退社します。
退社したきっかけは、その年におこった震災など色々なことがあってのことなのですが、実は、妻が書いた『あたらしい自分になる本』(アスペクト=刊)を読んだ影響というのも、とてもおおきかったんだなぁ、と後々気づいたんです。
というのも、エムエム・ブックスで働くようになって、サイン会等でみれいさんの横に立たせてもらい、読者の方々とお話をしていると、「あた自(上記本の略)を読んで人生が変わりました」と伝えてくださる方がほんとうに多いんです。ぼく自身も、なぜ今ここにいるのか、ということを思い返してみると、
『あた自』を読む→白湯を飲みはじめる→セサミオイルを買い、お風呂場でオイルマッサージを試そうとするが、母親に、排水溝がつまるから絶対にやめて、と言われ、断念する(実家暮らしのつらいところ)→そんな母親に冷えとりソックスをプレゼントする→自分も冷えとりソックスを注文する→届いた商品についていた服部みれいさんからのメッセージカードを手帖に大切に保管→代官山蔦屋書店さんで『murmur magazine』に出合う。買えるだけまとめて買う→cosmic wonderさんでみれいさんの詩の朗読会があるというので申し込む→当日になって「でも、やっぱり…僕なんて…」とドタキャンする→マーマーなダイアリーを一番過去までさかのぼって読了する→……→……→会社を辞める→絵を描き始める→個展を開催→プライベートで一大事→……→……→『あたらしい東京日記』(大和書房=刊)を夜、寝る前に読むのが日課になる→……→貯金が尽きる→……→青山ブックセンター主催の『服部みれいの編集講座』募集を知る→しかし、募集年齢制限が28歳までのため、一度断念→でも…、でも…、やっぱり受けてみたい! と思い、ダメもとで応募→見事合格! 講座の初回、僕以外が全員女性でびびる→講座2回目にアルバイトの募集がかかる、受けるか迷う→その深夜、TVをつけてなにげなく深夜ロードショーを観ていたら、急に登場人物が「世の中にはいい編集長と悪い編集長がいる。君たちにはいい編集長に出会ってほしい」というセリフをはく(のちに『ニュースの天才』という映画だと知るが、その時はこわくなってTVをすぐOFFにした)→次の日、応募動機を一気にかきあげる→面接を受ける→「ぜひ来てください」と電話をいただく→働きはじめる→…………、こういう流れではたらきはじめることになったんです(つづく)
※写真は愛すべき編集ゼミ同期のみなさま、懐かしい!例によって勝手に掲載ごめんなさい!
社長日記はじまります
みなさん、こんにちは! 服部福太郎です。
ぼくは2015年1月より株式会社エムエム・ブックスの代表取締役社長になりました。前社長は小社が発刊するマーマーマガジンの編集長でもある服部みれいです。みれいさん(このコーナーでは、この呼び名で統一させてください)は、すでに10冊以上の本をさまざまな出版社さんから出していて、作家や詩人としても活躍しています。つまりみれいさんは社長として会社を切り盛りしながら、編集長もやって、作家や詩人……といくつもの役割を担ってきました。ぼくはそんなみれいさんに憧れて約2年前にアルバイトとし小社に入社、その半年後にみれいさんと結婚しました。
入社したときから「みれいさんの力になりたい」と本気で思っていたら、2年後に社長になっていた。かなり大雑把にいうと、そういうことになると思います。「結婚したんだから、夫が社長になるのは当たり前じゃない」と思われる方もいるかもしれませんが、「福太郎さんが社長にふさわしくないことをすれば、また、ふさわしくない人物と私が判断すれば、(今後の計画や今までやってきたことも)すべて台なしです」と、妻に言われたことは何度も……、台なしになりそうなことが起こりそうになって、心底うちのめされ家に帰っても、そこに待っているのは妻……。今思い返せば妻もつらかったと思いますが、ほんとうに濃い社長修行の2年間でした。
2015年3月19日に会社を丸ごと岐阜県美濃市に移転しました。移転するまでにいろいろな形を模索していく流れで、ある地元のご長老に相談したところ、移転の第一条件はぼくが社長であることでした。ほんとうにいろいろな要素が重なって、ベストなタイミングでバトンタッチができたと自負しています。そしてこのタイミングでなければ、ぼくは一生この会社の社長にはなれなかったとも思います。このあたりの社長を引き継ぐまでの珍道中や、現在進行形のドタバタ劇をこのコーナーではお伝えしていけたらと思います。どうぞお楽しみに!
※写真は1月30日におこなわれた社長就任式のときのものです。写真家の浅田政志さんに撮影していただきました!











