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みれいニュース

0105|大人になる|転職|ばななさん

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「生きることには意味があります。

確信を持ってそう言えます。

(中略)

ではなにをするために人は生まれてきたかというと、

私は、それぞれが自分を極めるためだと思っています。

人がその人を極めると、

なぜか必ず他の人の役に立つようになっています。

そんな風に人間というものはできているんだと思います。

 

辛かったり、苦しかったり、面倒だったりするのは、

充分に生きていない状態だからです。

そして充分に生きていない状態にあると、

同じように充分に生きていない人ばかりがまわりにいるので、

世界中はこんな感じだと思ってしまうのです」

 

『おとなになるってどんなこと?』「生きることには意味があるの?」(吉本ばなな=著 ちくまプリマー新書)より抜粋

 

 

 

みなさん、こんにちは!

新年が明けました!

あたらしい年も、

どうぞどうぞ、

よろしくお願い申しあげます。

 

年始にツイッター上で、

転職についてのご質問を受けました。

 

で、参考図書をご紹介したんですけれど

(『ガケ書房の頃』←名著です! 『人を動かす』←デル・カーネギー名著!

『わたしらしく働く!』←拙著にて恐縮ですが、、、などなど)

 

そうだ、と思い出して、

ばななさんの

『おとなになるってどんなこと?』を

本棚から取り出して、

その方の参考図書になりそうだなあと思って、

読んだら一気に読んでしまいました!

すごくすごく、いい本でした。

 

 

で……

ででで!!!

この他にも

ここのところ、転職のお悩み相談や

転職しますとか、辞職しますとか、

そういったお話をあちこちでうかがいます。

 

仕事って本当にいろいろな取り組みかたがあって、

「仕事は仕事」と割り切って、お金のために働くやり方から、

好きなこと=仕事となっているケース、

その中間のようなケース、

いろいろなパターンがあると思います。

 

冒頭のばななさんのことばじゃないけれど、

生まれてきたのにはどの人にも必ず意味があって、わたしも

ばななさんのことばに、強く強く共感します(鼻息)。

 

「自分を極める」って本当にそうですよね。

 

ただ、それが、仕事上で起こる人もいれば、

家庭生活で起こる人もいる。

町内会の仕事で起こる場合もあれば、

子育てではじまることもある。

介護を通してということもある。

友人関係で、ということもあるかもしれないし、

純粋に暮らしの中で、それをしていく、という人もいるかもしれない。

もちろん、趣味を通じて、という人もいると思います。

人生の苦難、時に病気や事故や

起こった出来事を通して「自分を極めていく」という

ケースもあるかもしれません。

 

それが本当に何を通して、でもよくて、

ただ、どうも、生まれる前にそれぞれ準備してきたことがあって

それに着手し、「自分を極めていく」(いいことばだなあ!)時に

想像を超える幸福感、体験をするのかなと思っています。

 

で、そのためには、

とにかく焦らないこと。

誰かと比べないことが大事かなと思います。

 

人生にはバイオリズムがあって、

幼少期にすごく幸福で、でも、晩年が大変という人もいる。

思春期や若い頃はすごく苦労したり、芽が出なかったりしても

老年期で大ブレイクする人もいる。

 

そんなに大きな幅じゃなくても、

去年はじっとしていたほうがいい年だったけれど、

今年は、少しずつ表に出て行くのがいいっぽいなあとか、、

バイオリズムってきっとあるんですよね。

 

焦ったり、比べることが無意味なのは

そういうわけです。

 

自分のバイオリズムがある。

 

(それを探る方法は、拙著でも紹介していますし、

世の中にはいい方法がたくさんあるようです。

自分なりに、ぜひ見つけてみてください。

自分自身の人生をしっかり見つめるだけでも

だんだんヒントがわかってくると思います)

 

そして、

あとは、

目の前のことを、今この瞬間をしっかり生きること。

もうこれに尽きます。

 

「過去」や「未来」に生きていると、

「今」がすっかり抜けてしまうんです。

「今」が抜けてしまうと、

ぜんぜん生きてる、っていうことにならない。

 

目の前のことが不満でも、

環境に問題があっても、

まずは、今、自分が果たす役割をただただやる。

自分という存在を尽くしてやってみるんです。

 

そうすると、次の段階が必ずやってくる。

感謝の気持ちが湧いてくるのかもしれないし、

あたらしいやりがいが出てくるのかもしれないし、

違う部署などに配属になるのかもしれません。

 

また、尽くしていって、

苦痛を感じたり、悲しくなったり、

心身が不調になったら

立ち止まる。

その場から離れたり、

時には、辞める、という選択も必要だと思います。

 

 

生きるって勇気が必要なんです。

 

 

その時に、

「社会的にこうだから」

「大人はこうするべきだから」

「親に顔を合わせられないから」

「周りの目があるから」

「これまでのキャリアが台無しになるから」

「会社が困るから」

「仲間が大変になるから」

というふうに

選択しないことかなと思います。

 

これまでは本当にそういう選択をしてもよかったんです。

 

でも、今、世界がすごい勢いで変わっている。

前の価値観がどんどんこれから通用しなくなるんじゃないかと

わたしは感じています。

 

 

他人軸でやり続けられるほど

甘くなくなっている。

スピードもすごいし、仕事の精度の高さも

どんどん求められている。

あたらしい、イノベーションというか、

改革もあちこちで瞬時に必要になっている。

 

そんな時に、

他人軸でのんびり「やらねば」でやっているほど、

安穏としていられない時代になったというか、(それだと遅すぎるというか)

自分軸で、丹田から、「こうだ」という強さでもってやらないと

いられないような時代に

どんどんなっていっているように思うのです。

 

幸福な人はどんどん幸福になり、

苦しくなる人はどんどん苦しくなる時代……

見る場所によっては、厳しさが増して、

見る場所によっては、平和と調和に満たされている時代……と言えそうです。

 

「思い込み」があればあるほど

その「思い込み」がデフォルメされた出来事が

目の前に現れる。

 

解放されていれば解放されているほど

どんどん自由と幸福が拡大していく。

 

2017年以降の世界は

だんだんとそんな風になっていくんじゃないかなあと

感じています。

(あくまでわたしの感覚ですけれど……)

 

 

まとめますと、

1、とにかく目の前のことを一生懸命やる

2、次の段階がくる

3、勇気を出す

4、また次の世界がやって来る

 

また1に戻る

 

みたいな感じでしょうか。

 

  • 自分に何が合っているか

 

なんて、わからないんです。

誰だってわからないです。

 

ただ、「こうしよう」という決意があるだけです。

向いてるかどうかなんて、

振り返って、ゴールを過ぎて、「ああ向いていたかもなあ」とわかる程度のことです。

 

物事を高めたり、極めていったりするのって、

そんな甘い世界じゃないとわたしはかんじています。

上には上があるんです。

 

自分に自信がないのを

「何に向いているか」を早く知るという方法で

誤魔化さないことだと思います。

 

自信がないなら、努力すればいいんです。

努力がきらいならば、今の自分に感謝して満足して生きればいい。

また努力してダメだったら潔く退散すればいいだけのことです。

また方向転換すればいい。

 

シンプルなんです。

 

でも、自信なくて不安だと、

すぐに答えが欲しくなるんです。

 

でも、誰か……神様が現れて

 

「あなたは、歌手に向いています。大スターになれますよ」

と言われたら、

即、幸福になれるんでしょうか?

 

いや、逆に、それってつまらないんじゃないかと思う……。

 

それがわからないから、

それを、ああだこうだ、いいね、ダメだね、よかったね、違ったね

と言いながらやっていくから

人生ってたのしいんじゃないのかなあ。

 

 

かつて、

もう随分前の話ですが、

ある新人さんに、

「わたしは編集者に向いてますか?」と聞かれたことがありました。

わたしは、なんともいえない気持ちになってしまいました。

 

「あるよ」と言われても「ないよ」と言われても、

どうするのかなと思いました。

ちょっとずるい感じもした。

「そこ」をワープするのか……と。

 

それを決めるのはその人自身なんだと思います。

(漫才のやすしきよしの、やすし師匠は

漫才師が向かない人には、すぐに向かないと言ってあげるようにしてたと

そんなエピソードを聞いたことがありますが……)

 

決めるというか、わかるのは、ずっと後、

何年後も先、死ぬ直前、

そういうものなのかなと思うんです。

 

どんな職業の人も、

極めていれば極めている人ほど、

そのギリギリのところで、

自分自身と向き合っている。

そうして、自分を越えようとしています。

 

わたしは人生は苦である、とも言い切れないと思うけれど、

ただ、手抜きをすればするほど苦しくなり、

手を抜かないでやればやるほど、近道になる、というふうに感じます。

 

どんなことも……そう、

ばななさんのことばで言えば

「充分に生きる」ということをすれば、

面倒なことも辛いことも次第に消えていくのかなと。

 

 

もやもやするのは

結局は、暇だからなのかなと思ってしまいます。

充分に生きていたら

暇じゃなくなっていくんです。

それは時間的に忙しくして自分をわからなくする、ということではなくて、

自分で考えて考えて考え抜くということだったり、

しっかり自分の足で行動して、その行動から

自分自身を知る、ということなのかなと思うんです。

 

2017年以降の世界は、

充分に生きる人がどんどん増えていって、

誰かのことを非難したり、会社の悪口を言ったり、

不平不満を社会のせいにしたりするのではなくて、

「自分を充分に生きて」、「自分を極めていく」ことで

世界が平和になっていく、調和していくという世界になっていくのかなと

思っているんです。

その芽は、あちこちで、芽生えはじめていると思います。

その一歩を踏み出すのは、誰でもない

自分自身だと思います。

 

身体の不調や

「なんか違うな」と感じるというのは、

いよいよ次に行ってね、

そろそろ本質に出合ってね、

本来の自分自身に戻ってね、というサインに他ならないと思います。

 

うつ病で会社に行けなくなった?

万歳!!って感じです。

やり方、場所、生き方を変えてください、ということだと思うんです。

 

そうそう、

このばななさんの本で、

こんな箇所がありました。

 

「たまに会社に勤めている友だちと旅行して、

帰る日の夕方になるとその友だちが

もうほとんど泣き出しそうなくらい

元気がなくなるようすを見ると、

いつも夏休みの終わりに別れるとき泣きそうだった

いとこのことを思い出します。

 

自由業=自由ではなく、

たくさんの制約があるし保証もなにもないし、

私の仕事はほんとうにしんどい仕事なのですが、

そういうときだけは、

ああ、あのきつい気持ちを日常で持たなくていいというのは

なんとすばらしいことだろう、と思います。

 

うちの子どもは今自由な学校に通っています。

学歴はゼロなので後がたいへんだろうと思うのですが、

日曜日の晩に『明日学校、楽しみ!

休みの日も楽しみだし、学校もみんなに会えるから楽しみだし、

ほんとうに幸せ」と言っています。

後でどんなに苦労しようとも、一度しかない子ども時代に

こんなことが言えるなんてもうそれだけでいい、と

私はつい自分と比べて思ってしまいます」

 

『おとなになるってどんなこと?』「勉強しなくちゃダメ?」(吉本ばなな=著 ちくまプリマー新書)より抜粋

 

 

仕事の前の日

「あー、明日から仕事かあ(どんよりした目で)」という方も

まだまだ多いかもしれません。

でも、

「ああ! 明日から仕事!

仕事仲間とも会えるし、楽しみ!」という働き方も

この世界にはあるんです。

 

あたらしい世界は、

そういう場所がどんどんと増えていく世界、なのかなあ。

もちろん、安易なポジティブシンキングで夢物語を語っているのではなく、

そのためには、さまざまな工夫や、

乗り越え行かないといけない「思い込み」があると思うのですが、

でも、実際に、体験し、体現している人だって

たくさんいるんです。

 

 

2017年からの世界は、

この地が、

この子どものことばみたいな、

そんなあたらしい世界になっていくと思ってます。

 

今はその、ちょっと過渡期なんです。

 

だから、

一人一人が何を選択するかが

本当に本当に大切だと思う。

 

わたしたちが大きな海でできているとして、

一滴一滴のわたしたちで、

この海は構成されているからです。

一滴は、海全体に関係しているから……。

 

 

おっと、長くなってしまいました。

 

 

人生の変わり目が来ている方、

大変かもしれませんが、

でも、みんな、多くの人が体験し、乗り越えていることです。

大丈夫、流れに乗れば、

あとは青信号です。

ブレーキをかけているのは、誰でもない

自分自身なのでしょう。

(周りの声も、みんな実は自分の声だったりします!)

 

不自由になる方向ではなくて

自由になる方向を選択してください。

 

正しいよりは、たのしいを選択する……。

 

 

そうそう、実は、吉本ばななさんの本を

久しぶりに読みました。

というのも、ばななさんの本を読みたくて仕方ないのだけれど、

でも読むと、すごく影響を受けてしまいそうで、

そうして、それに気づかずに、自分が

文章を書いてしまうのがすごくまずいと思うからです。

 

山下賢二さんの『ガケ書房の頃』は

『わたしらしく働く!』を執筆中に出たのですが、

読みたくてたまらなかったけれど、

書いてからにしようと思い、実際そうしました。

(これから仕事をする人全員に読んでほしい本です)

 

ただ、ばななさんという存在については、

(以前、ご本人にも同じ内容をお便りしたような気がするのですが)

わたしにとってはほんとうに特別な存在で、

ばななさんの「文体」は、わたしや同じ世代の多くの人たちに、

ある水脈のようなものをつくったと思うんです。

水脈と言ってもいいし、山道と言ってもいい。

 

これまで開かれていなかった道なんです。

 

こういう道もあるよ!!と、

ばななさんの文体、そしてばななさんの作品は

切り拓いてくださったと思う。

 

そうして、ばななさんの本を今読もうが読むまいが、

自分の中に、このばななさんの「文体」は肉体化してしまっている。

(勝手な意見ですが、

石井ゆかりさんの文章にもそれを感じます)。

 

これは、何か、すごいことなんです。

 

この「文体」は、生き生きと、

わたしが思っていることを思っていいんだ、

感じていることを感じていいんだ、と

本当に、余すことなく肯定してくれたし、

この道をたがやし、ほぐしてくれたと思う。

 

こんな風に、いきいきと感じていいし

それを出していいんだよ、って教えてくださったというか。

 

ばななさんとは直接お会いしたことがないのだけれど

(お店などで同じ場所でたまたまいらして

遠くから、拝見したことはあるのですが、

きっとたくさんの方から声をかけられておられるのでは、と思い、

遠慮した記憶があります)

でも、帯文を書いてくださったり、

遠くからそっと応援してくださっている感じ、、、は、

なんというか、「あたらしい大人」という感じがする。

いじわるなところが微塵もなくて、

「大人」が「大人」たる存在感というか、

「先輩」が「先輩」たる所以というか、

その「やりかた」を気持ち良く見せてくださっているところも含めて、

ああ、これからもたくましく生きていけそうです!と

胸を張って思うのです。

 

「ここから!?!」って感じですが、

ばななさんに、こころからお礼を言います。

ばななさんが、小説やエッセイを書いてくださって、

ばななさんがご自身の文体で語ってくださって、

そのことが、どれだけ自分自身を解放してきたか、、

ことばをいくら尽くしても足りません。

 

そうして何よりこれからもわたしも書いていけそうです。

ばななさん、ありがとうございます。

 

 

わたしは、自分はサザエさんで言うところの

「ノリスケさん」(編集者)でもあり

「伊佐坂先生」(作家)でもあるので、

ちょっと、微妙な立ち位置なのですが、

それにしても

作家さんという存在は本当におもしろいなあと思う。

 

地下水脈を感じ取って

そこに通じている人たち。

 

その水脈には、

人類が必要とする、

あたらしい滋養が詰まっていると思います。

 

「おとなになるって」……すごくすごくいい内容です、

ぜひぜひ、読んでみてくださいね。

特に、仕事や将来のこと、自分自身のこと、

どうしたら、、、と思っている方、

子どもではなくとも、オススメです!!!

 

 

 

 

わたし自身、

今年は、

フォーメン3号、

まぁまぁマガジン2号目、

その他、ゆっくりペースで

本も書いていけたらなと思っています。

いくつかの試みを考えています。

 

あとは、畑をやりたいかな。

ピアノも上達したいし。

自分をゆっくり極めていきたいです。

 

 

みなさんもどうぞどうぞ、

すこやかに、幸福に、お過ごしください!

 

「外側」の誰かや何かではなくて

(「服部みれい」でもなくて、まぁまぁマガジンでもなくて)

ご自身を信じてくださいね。

 

自分の感性を大切にして、

自分の考え、行動、経験、体感、直感、

いろいろなものを総動員して、それらを信頼して

進んでいってください。

 

年末年始、たくさんお便りをいただいて

ほとんどにお返事ができない状況ですが、

どうかお許しくださいませ。

 

 

あ、あと!

今日づけの朝日新聞、文化欄に、

登場しています。

 

念のため、なのですが、

わたしは、オーガニックだけがいいとは思っていません。

代替医療だけがいいとも思っていない。

現行の医療やオーガニック外の世界も決して否定しないし、

わたし自身お世話になっています。

 

最近では「問題」がなければ

オーガニックだって必要ないのではと思っているほどです。

「問題」があるから、

過剰に自然なものが必要になるのかな、と。

 

ただ、

長い歴史の中で、こんなに、オーガニックじゃない時代も珍しい。

100年前の服を着れば、どれだってオーガニックです。

別に珍しいことじゃなかったんです。

 

現代人の選択肢の一つとして、

オーガニックや代替医療や目に見えない世界もあったっていいじゃん!

たくさん選択肢があったら楽しいし、

どれを選んでもいいじゃんネ!というスタンスです。

 

欧米がすべてとは決して思っていないけれど、

アメリカだって、ヨーロッパだって、

あとインドなどの諸国だって、

どんどんそういう流れになってます。

 

冷えとりなんかしなくなって健康な人いっぱいいます。

その他の代替医療だって、しなくてもしてもどっちだっていい。

 

ただ、できるだけ

管だらけになって病院で苦痛な顔をして

死にたくないなあ、

健康な状態で死にたいなあ、

また、「病気じゃない」=健康、なんていうレベルじゃなくて、

もっと「高い健康」を体験してみたいなあ、

とか、そのために、わたしの場合は、

冷えとりや瞑想などが合っていたから

そうしている、というだけのことです。

 

誰もがやればいいなんて、全く思っていません。

 

一人一人が自立して、

自分の目で、

自分に合うものを見つけてください、と

そう、いい続けています。

そしていかなる選択も、

誰からも非難されるものではないと思います。

 

オーガニックががんじがらめの「ルール」になるほど、

オーガニックを選択している人が

思考停止しているとは、思いたくないです(悪い夢のようだ、、)。

 

 

そして、言えることは、

わたしは、

オーガニックの世界を知って、

「ああ、こういう自由な世界もあるんだ!

自然ってそうか、有機的にシステムされているんだ!」

と知り、

前よりも生きるのがたのしく自由になりました。

それは本当です。

 

オーガニックフードを

安全で安心だから食べているわけではない。

その方が美味しかったり、

たのしい、美しい、愉快だからそうしているんだと思います。

 

 

ご自身に合う、

想像を超えるおもしろい選択が

みなさまと共にありますように。

 

 

わたしも、今年はもっと自分自身を生きようと思っています。

 

おまけ

●掲載情報まとめ

1・1付 年賀雑誌 かど松 特集とり 巻頭インタビュー

1・4付 岐阜新聞 「素描」「わたしは岐阜を知らない」 コラム書きました(これから毎週水曜日に記事が掲載されます。全8回です)

1・5付 朝日新聞 文化欄 「きれい内側からつくる」欲望←いまココ 3自然でいたい 記事内で掲載されています

 

 

ちいさなジンから大新聞まで、、

振り幅が、、、、(笑)

 

新聞は、ゲットしていただくとして、

かど松は、情報を知らない方も多いと思います、

 

 

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かど松については

こちらから。

 

まぁまぁマガジン22号で、

ホンマタカシさんインタビューを掲載させていただいたのですが、

そのインタビューをした

平松るいちゃんがつくる雑誌です。

 

20歳代の女のこが

ひとりでメディアを持っている。

最高にカッコイイ!!!!!!!!!!!!

 

インタビューも、

これまで誰もしてもらわなかったような内容です。

雑誌づくりについて、などなど。

とてもうれしい。

若い頃のこと、お話してます。

 

岐阜新聞は、岐阜とわたしについて、8回にわたって書かせていただく予定です。次回は、11日で、子どもの頃の岐阜の思い出。

朝日新聞は、このブログでも触れましたが、オーガニック第三の波として、世の中の様々な潮流について、丁寧に取材され、書かれています。

ぜひチェックしてみてください!

 

 

もう一つおまけ

 

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年末のサラダ事情。

 

左から、赤キャベツのサラダ 金柑ドレッシング和え、

白菜のカシューナッツクリーム和え、

サンキウイー入りつまみなサラダ です。

3種! すごく美味でした!

ささたくやさんの

サラダ本、冬も大いに生かしています!

編集部では、白菜と柿のサラダが大人気です。

生姜を入れたドレッシング&シナモンの香りが美味!!! 感動しますよ〜。

 

 

 

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

服部みれいでした!

 

 

 

チャオ酢