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今日の編集部

岐阜さ行って映画観た

 

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みれいさんのいうとおり、

犬のポンちゃん、ほんとうにかわいい!

『リトル・ミス・サンシャイン』の主人公の、

ちょっとおばちゃん風味の少女みたい!

猫もいいけれど、犬もいい。犬といえば、

エレン・ペイジのインスタグラムに時々出てくる

飼い犬くんも、瞳がきれいで、ノーブルですてきです。

毛がモシャッとした犬を、わたしは勝手に

「モシャ犬(けん)」と呼んでいるのですが、

彼らのかわいさったら、ないです。

 

 

と、犬のことを書きながらも

映画にかかわる要素を、サブリミナル効果的に

入れ込んでみました。

 

「マーマーガールのみなさまを

映画オタクガールにも、しちゃいたい……」。

 

そんな野望(!)を持つわたし、川口ミリは、

お休みをいただいた月曜日に、

『アンジェリカの微笑み』という映画を観に

岐阜の映画館へ行ってきました。

 

昨年106歳(!)で亡くなった、ポルトガルの巨匠

マノエル・ド・オリヴェイラ監督の遺作です。

 

主人公は、ユダヤ人のアマチュア写真家・イザクです。

(ちなみに、演じる俳優は監督の孫で、

なかなかに端正なお顔の、清潔なイケメンさんです。)

 

イザクはひょんなことから、

それまで行ったこともなかった

カトリックを信仰する名士の屋敷におもむき、

亡くなったばかりの、屋敷のうつくしい令嬢・

アンジェリカの写真撮影を請け負う――、

その撮影現場で、物語が動きはじめます。

 

なんとイザクは、

死んだアンジェリカと恋に落ちてしまうのです!

 

運命のボタンのかけちがいみたいなものが

幾重にも重なって、イザクの“悲劇”は進みます。

(道ばたに立つ銅像が指差している方向とは

別の方向へ、イザクが向かう、という場面が

2度登場するんだけれども、

「ああ、この人はまたどんどん

“ふつう”の道をそれて、破滅へと向かっちゃって……」

と、観客はやきもきさせられる!)

でも、

当人にとっては、“幸福”なのかも……?

そんな想像の余地のある、よい映画でした。

 

そんな作品を、オリヴェイラは

100歳超で撮るなんて……、たたごとじゃないです。

 

よい映画は、「かなしい」一辺倒じゃないです。

「おかしい」一辺倒でもない。

まして「うつくしい」一辺倒でもない。

かなしくておかしくてうつくしい。

この混じり合いが、映画の黄金律だと思います。

 

 

ところでこの日は、

岐阜まで車に乗せてもらって行ったのですが、

その行き帰りとも、まるで示し合わせたかのように

タイミングよく黄信号を通れる、

という場面が何度もありました。

 

その結果、お目当ての洋食屋さんに

開店時間ぴったりに到着

(お店の人が「営業中」の札を

ちょうどかけたところだった)。

 

また、映画料金は900円!

すっかり忘れてたけど、

月のはじめの「映画の日」だったからです。

 

ラッキーに次ぐ、ラッキー。

すべてがピッチリとハマり、

すがすがしいくらいでした。

 

 

さらに、不思議だったこと。

映画の中で、スペインの哲学者、

オルテガ・イ・ガセットのことば

「人とは人と人の環境」が引かれます。

そのときに、「オルテガ・イ・ガセットって

おもしろい名前だなあ」と思いました。

すると、その夜、みれいさんから借りた

内田樹さんの『寝ながら学べる構造主義』

読んでいたら、

オルテガの名が登場したのです!

 

「ニーチェの予見した大衆社会は、その三十年後にオルテガ〈José Ortega y Gasset 一八八三〜一九五五〉の『大衆の反逆』において活写されることになります」

 

『アンジェリカの微笑み』は、

ポスト構造主義の時代に半旗をひるがえす映画

でもあるのかもしれません。

つまり、「わたしはわたし」というのは幻想で、

「わたしの考えることはすべて社会の受け売り」

という考えが当然すぎて、それを疑いすらせず、

それどころか、ときに強要させられる今の時代に、

華麗に身を翻す映画なのかもしれません。

 

主人公イザクは、

まわりからは「狂っている」「変な人」「かわいそう」といわれながらも

自分自身は死んだアンジェリカへの愛を軸に、

自分としてはすごくロジカルに行動している。

 

オリヴェイラ監督は、まわりから

「いくら元気だっていったって

もう100歳を超えてるんだから、

余生をのんびり送ったほうがいいんじゃないの?」と、

いわれたかいわれていないかは

さだかではありませんが……、

いずれにせよ驚異的な熱意で、映画づくりを続けました。

 

両者は、

“社会”を基準にした大衆の声をはねのけ

自分の責任を自分で負って行動しているところが

似ているように思います。

 

それって、みれいさんがいう

「自分が車だったとして、ハンドルは自分でにぎる」

ということにつながるのではないでしょうか?

 

だからわたしはこの映画が好きなのかもしれない

と、オルテガの名を軸にして、

あたらしい観方を得ることができたのでした。

 

 

最後に、みなさんにひとつクイズを出します。

いったい、わたしは、誰と一緒に岐阜へ行ったのでしょう??

正解は、その日の映画以外のエピソードとともに

来週の月曜日のブログにて発表します!

どうぞおたのしみに。