murmurbooks

今日の編集部

夜は明ける

 

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にん!(伊東四朗さんの声で)

 

 

 

みなさん、こんにちは。

昨日ある方と電話で話していて、

その方が、保険のことでどうしたらいいか悩んでおられて

自分、というか自分たちの加齢についてしみじみと感じた……

服部みれいです。

 

いや、美濃にある編集部のご近所さんは

みんな、もう、人生の大先輩で、

85歳だと若いな、という感じ。

90歳すぎて、ようやくご高齢ですね、という感じです故、

歳だなあ、なんて、40歳代半ばくらいで

どの口がいう、って話なんですが―—。

 

(若いのがいいっていう風潮、

どうなんでしょうね?

成熟した高齢の先輩がたが

いちばんかっこいいと思います)

 

が、なんか、昨日は歳を感じました。

よるとしなみ、ってやつですね。

あらがわず、素直に、その年齢年齢を

たのしめる自分でいたいです!

 

それにしても、

呑むなら乗るな、吞んだら乗るなの法則は、

けっこういろいろなことにあてはまりますよね。

 

○くよくよするなら既婚者と恋愛するな、

既婚者と恋愛するならくよくよするな

○うじうじするなら保険入るな、保険入るならうじうじするな

 

あとなんだろ……

 

○爪の中が真っ黒になりたくないなら畑をやるな、畑をやるなら爪の中真っ黒になるの気にするな

 

例、イマイチですね……

 

○たばこをやめたいならもう吸うな、吸うならよろこびたのしんで吸え

 

と、こんなところでしょうか……。

 

ところがその話の内容は、めちゃめちゃ要約すると

その相反するふたつのものを同時にやる、

そこにある矛盾、葛藤などが、

こう、これまで文学など文化を生んできた、ということだったのですが、

あたらしい時代はどうなるのかなと思いながら

お話を聞いてました。

 

なんかね、

あたらしい世界って、

ポジティブ一直線って感じでもないと思うんですよね。

で、両方を内包している、というのもちょっと違うというか……。

わたしが書いた「吞んだら乗るな、乗るなら吞むな」も、

近いけれど、これもまたちょっと違うような感じ。

 

ポジティブでもネガティブでもない世界、

みたいなのが到来するみたいな感じかしら。

 

統合されて、整合性が想像を超えたかたちで

実現している、みたいな感じ。

 

地球は制限が多いらしいので

つい、制限ありきで考えがちですけれども、

もっともっと、想像しえなかったような解答が

これからは生まれる気がしています。

 

「えー、そういうのあり?」って感じの。

「二兎を追うもの二兎を得る」っていう感じの……。

二項対立がそもそも消滅してしまう世界というか。

 

どうなるんでしょうね。

昨日は別の人とも

ベッキーちゃんの恋愛の話をえんえんしてしまいました。

 

このことは、今日配信のメルマガで書かせていただきましたYO☆

 

何をしたらいけないということはなくて、

全部、わたしはいいと思うんですよね。

(その責任は負う、まいた種は自分が刈り取る、

みたいなことはあると思うのですが)

 

誰もが、本当に、自分に正直に、

好きに生きたらいいと思います。

 

さて!

昨日ミリちゃんが紹介した『編集王』という漫画、

もともと、わたしも編集者の先輩から

「服部、これ読んだことある?」とすすめられたもので

(その先輩がいた編集部は、全員が読んでいたと聞きました)

わたしもそのときに読み、

その後、マーマーマガジン編集部に入った

編集希望のインターンの人、編集者の人は

もれなく読んだ……はず?(読んでない人、いる?)

 

まあ、読んでいなくてもいいのですが、

すごい、編集者としてはやる気が出る漫画のひとつですよね。

 

一方、そんな仕事熱心な編集部員のかたわらで、

ヘンシューチョーは、

ここのところずっと宇宙と宇宙人の本

(プレアデス、シリウス、オリオン、ゼータ、レチクル、etc)を

読みまくってます。

 

 

(ヘ、ン、タ、イ……薬師丸ひろこさんの「カイカン」の声で)

 

 

宇宙人たちが語りかけてくる本によれば、

ネガティブとは分裂、分断のエネルギーで

ポジティブとは統合のエネルギーなんだ、とか、

(つまり、いい、悪いではないとか)

「ははーん!」という発想をいただくことができてたのしいです。

 

で、あんまり、そっちばかりだとネ、と思って

今、『寝ながら学べる構造主義』という内田樹さんの本を

本当に寝転がって読んでいるのですが、

いやいやいやいやいやいや、

けっこう脱力してしまっています。

 

なぜ今さら構造主義かというと、

写真の話→ロラン・バルト→構造主義わかってないとどうなんや

って話に編集部でなってもりあがって、

編集部の八ちゃんが、この本わかりやすかったといって

教えてくれて、取り寄せて読みはじめたら、「はーー」って感じで……。

 

自明の理と思っていることがいかに歴史の中で

つくられてきたことか、

いかに構造主義的な思想に

自分の考えが入っているかしらされて

もう鼻白むほどです。

 

もちろん、こういう話をしていることじたい、

ポスト構造主義ってことなのか、

まだ全部読んでないからよくわからないけれど

(本当はそれぞれの原典にあたりたいところですがーー)

 

「こうだ」と自分であたりまえに思っていること

(特に正しいと思っていること)がいかに

「つくられて」きたかと思うと、ネ……(中森明菜さんの目線で……)

 

ふ……(遠い目)。

 

 

だいたい現代人の多くが、自分のこときらいだーって

どこかで思っているのって

ニーチェが大本なんじゃないかとか、

思えてきたり(極論?)。

 

まあいいや、そういうのも全部

わたしたちは体験してみたかったんですよね。

 

でも、やはり、なにか、わたしは

何かが「明けよう」としていると思えてならないんです。

 

何がどう「明ける」のかはわかりませんが……。

 

今日、このウェブのリレーエッセイで

2016年のことを書かせていただきましたし、

今日配信のメルマガでは恋愛のことを通して、

いろいろ考察を重ねてみました。

 

 

人間ってホント、なぜ生きているんでしょうね……。

 

 

人は、なぜ、生きるのか。

 

 

 

むう。

 

 

(ヒマジン?)

 

 

まだ、考えている途中ですが、

わたし自身としては、

「なぜ生きるか」とか、「何のために生きるか」といった

「意味」みたいなものを根こそぎすてて、

縄文人みたいに、

ただ在る、みたいな感じで生きることに

憧れがあります。

(憧れている時点で、構造主義内なのか、ポストなんちゃらなのか

なのでしょうが)

 

ぽかーんとしている人に憧れるナー。

 

 

あー、豆ご飯おいし〜。おしまい。みたいな。

 

 

2016年たった、15日経っただけで

こんなに濃密でどうなるんだって感じですけれど、

でも、どこか予測できていたことのような気もします。

 

ま、日々、目の前のことに

ただただとりくんで、

わたしとしては

春に、フォーメンとマーマー本誌を

なんとか出せたらナーって思っています。

 

 

すごい、モノローグみたいなブログになっちゃったんだわん!

 

 

ということで、

みなさんどうぞよい週末をお過ごしくださませ☆

 

 

 

チャオは、昼から畑へ行って、大きくなった大根などを収穫しにいって、あとは畑でぼうっとしてくるんだわん!