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今日の編集部

0223|編集部イズバーニング
毎週だいたい金曜日更新

 

みなさま、こんにちは!!!!!

 

マーマーマガジン編集部は、

松岡一哲写真集『マリイ』の入稿作業(ムネアツ)!!!

きんいろのアファメーション帖』緊急増刷(発売3日で)!!!

そしてそして、わたくしめのこの春の新刊

『うつくしい自分になる本』(筑摩書房)が

昨夜、校了となりましたーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 

 

ンゴーーーーーーーーーーーーール!!!!!!!!!

 

(ひとり、両手をあげながら、サッカー場を駆けまくるわたし……

 

その駆けまくるわたしを追いかける、編集部の美濃柴犬、まりも……

 

 

そのわたしを見守る、編集部の猫、あたりくん……

 

 

 

たはーーー)

 

 

 

いやあ、季節というのは巡るものですね。

 

もう、『うつくしい自分になる本』やることが多すぎて、

終わらないかと思ったよ!!!

 

ご協力くださっているみなさま

本当に本当に、ありがとうございました!

また本ができましたら

あらためてご連絡をさせていただきますが、

まずはこの場にてこころから御礼をもうしあげたいと思います。

 

デザイナーの中島基文さんも、今回は修行だったといっていたし、

イラストレーターの平松モモコさんも、めちゃめちゃたいへんそうだったし、

昨夜ほぼ本文を校了した筑摩書房井口かおりさんは、

「泣きそうです」といってました。

 

いやあ、泣きそうな校了はひさしぶりです。

 

いろいろあった……。

 

本づくりの現場って、なかなかに、ホット、というか、

もうね、いったらはちゃめちゃなんですよ……。

 

有名な編集者の方が、

「編集は戦場だ」といっていて、

わたしは、「編集は愛だ」といいたいと思っていたけれど、

でも、「戦場だ」ということの意味もよくわかります。

忍耐力がすごくいるし、

自分の意見もいわないといけないし、

でも、相手のことも考えないといけないし、

スケジュールもあるし、

間違いもあったり、もう、しっちゃかめっちゃか!!!!!

 

でも、校了すると、

全部消えます(あはは)。

 

脳っていうのは忘れる、という機能があるから

またやれるんですかね。

自分に娘がいたら「編集者だけはおすすめしない」と

いってしまいそうですけれど、

わたしはやめないものなあ。

 

あ、今回は著者としての仕事でしたが。

 

『うつくしい自分になる本』(筑摩書房)、

3月末に発売の運びとなりそうです!

 

あとは、表紙の校正がでてきたら終了!!!

 

はああああああ。

 

昨年の秋からずっとこの本に取り組んでいまして、

落ち着いて休んだり、

本を読んだり、そのほかのことをしたりという

精神的な余裕のない毎日でした。

(もちろん、アファ帖とか写真集とかの仕事はしていたのですけれど)

 

それくらいの熱量で、

この5か月間ほど、ずっと取り組んでまいった本です。

詳しい内容は、また

どこかでお知らせしたいと思いますが、

わたし自身、

悔いのない内容になったかなと思っています。

 

ぜひ、ご興味のあるかたに届くといいなって思っています。

 

 

さて!

とはいいつつ、

もう、このあとも仕事がまったなしで

続くのですけれど……

気づけばもう春ですし、

お味噌つくったり、

畑に種まいたり、

本当に、まったなしです!

 

わたし自身、心境の変化も大きく、

ここからまた、

あたらしい取り組みも、、と思っています。

 

声のメルマガ」も盛り上がっていますしね!

(みなさま、本当に、ありがとうございます!)

 

ちょっと落ち着いて読んでみようと思っている本を

今日はご紹介しますね。

 

まずは献本していただいた本から。

 

 

 

 

『百姓夜話 自然農法の道』(福岡正信=著 春秋社=刊)

『クリスチャニア 自由の国に生きるデンマークの奇跡』(清水香那=著 福岡亜里子=写真 WAVE出版=刊)

 

2冊ともこれから読もうと思っている本です。

 

 

 

 

 

百姓夜話は、自分でも購入していたのですが、

福岡自然農園代表の、正信さんのお孫さん、

大樹さんが、送ってくださいました!

(ありがとうございました!)

 

この本は、「無の哲学」の出発点となった

処女作の新版なのだそうです。

わたしは、どの著者でも、

最初のほうの本を読むのが好きです。

エネルギーがすごく充満している感じがするから……。

この本もとてもたのしみです!

 

 

そしてそして、

京都でSTARDUSTという、

ビーガンのカフェと雑貨やお洋服のお店をひらいていらっしゃる

かなさんの本!!!!

 

かなさんとは、東野翠れんちゃんも誘って

3人で「太い眉の会」という会を結成したいと

ずっとお願いしているのですが、

今年こそ叶いますでしょうか。

 

かなさんという女性は、

その存在じたいが奇跡みたいなかたですけれど、

本当に本当にユニークで、

一度会ったとき、もうまた数秒後にすぐに会いたくなって、

で、その後、そんなにたくさんはあっていないけれど、

でも、もう充分にこころが通じ合っているような、

きっと、かなさんは、だれともそういう関係をつくることができる方なのでは

という……

奇跡の女性……

 

そんなかなさんが書かれたご本です。

 

「クリスチャニア」は、

デンマーク、コペンハーゲンにある

自治区だそうです。

あたらしいコミュニティー、興味津々丸ですね!!!!

 

この春にぜひ読みたい2冊です!!(鼻息)

 

お次!

 

これから読みたい本と読みはじめた本2冊!

 

 

真っ赤な本は、

ちょっとタイトルが見えないかな。

『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』

(稲葉俊郎=著 アノニマ・スタジオ=刊)です。

 

そう! フォーメンのインタビューにご登場いただいた

東京大学医学部付属病院のお医者さんでいらっしゃる

稲葉さんのご本なのですが、

これまたたのしみ!

 

若いお医者さんとか、科学者さんとかの中に、

どんどんと、こう、精神世界とか古代の知恵ほか目に見えない世界、

そういったものへの理解の本当に深いかたが

たくさんあらわれているのを感じています。

 

稲葉さんは、「芸術」の観点があるところも

あたらしいですよね。

序章からして「すぐれた芸術は医療である」です。

 

こちらも読むのがたのしみ!!!

 

稲葉俊郎さん、アノニマ・スタジオ浅井文子さん、

ありがとうございました!

 

 

そして! (たまたま東大つながりですけれど……)

ちょっとだけ読み始めたのがこちら。

『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』(安冨歩=著 明石書店=刊)

 

ちょっと抜粋しますと

 

***

 

原子力という分野は、すべてのこといばを言い換えることで成り立っています。

 

・彼らは「危険」を「安全」と言い換えます

・彼らは「不安」を「安心」と言い換えます

・彼らは「隠蔽」を「保安」と言い換えます

・彼らは「事故」を「事象」と言い換えます

 

(中略)

公式表現→正しい表現

・原子力の高経年化→原子炉の老朽化

・原子力安全委員会→原子力危険性審査委員会

・原子炉安全専門委員会→原子炉危険性専門委員会

(中略)

・プルサーマル→プルトニウム燃焼

・サイクル機構→核燃料サイクル機構

 

 

このような言い換えを随所で行うことで、国民を騙しているのはもちろんですが、それ以上に彼らは自分自身を騙しているのです。そうなると、自分がやっていることが、正しいのか、間違っているのかさえわからなくなり、「まわりの人がみんな、正しい、と言っているようだから、正しいのだろう」というような極めて無責任な判断停止が蔓延します。そして、欺瞞的な公式表現を用いない人を、「素人」とみなして見下すのです。

 

 

同書第1章「事実からの逃走」 より抜粋

 

 

わたしは、まだこの本を読みはじめたばかりですけれど、

原子力発電の問題だけではなく、

この「傍観者の論理」と「欺瞞の言語」に

すごく興味をもっています。

 

編集者のはしくれ、一介のものかきとして、

ことばをつかうものとして、

本当に、ことばって不安定だなと思うし、

真実をのべるのにすごく完全ではないし、

また、いいかげんに使っているケースも多いし、

多くの人たちの「国語力」がおかしくなっている、

というのを本当に感じていて……

そういう視点から、本当に、

この本に興味をもちました。

 

いいまつがいって前にあったけれど

言い換えですからねえ……

 

 

「はじめに」も、印象的でした。

 

***

 

この一連の姿を見て、私は、かつて考えたことを思い出しました。現代日本人と原発との関係は、戦前の日本人と戦争との関係に非常によく似ているのです。そしてまた、この行動パターンは、江戸時代に形成された日本社会の有様とも深い相同性を持っています。特に私は、日本社会が暴走する際に、独特の言葉の空転が起きるように感じています。本書では、この問題を考えたいと思います。これは、原発危機に関する議論であると同時に、原発危機を通してみた日本社会についての議論でもあります。そしてこの議論を踏まえたうえで、日本社会は今後、どのような道を進むべきなのか、そのなかで我々はどのように生きていけばよいのか、を考えたいのです。

 

 

 

(かなり長い中略)

 

 

こうして私は「魂の脱植民地化」という問題を考えるようになりました。魂が植民地化されている人とは、自分自身の地平ではなく、他人の地平を生きるようになります。自分自身の感じる幸福ではなく、他人が「幸福」だと考えることを追求するようになるのです。このような生き方に追い込まれた人間は、水分子とさしたる違いはなくなり、条件さえ揃えば簡単に暴走します。その状態からの離脱が、「魂の脱植民地化」です。

 

 

同書「はじめに」より抜粋

****

 

とあり、このあと、「魂の脱植民地化」の思想家、実践家、戦略家として、

マハトマ・ガンディーの例をあげていくのですが……

 

 

 

このかた自身が、東大の教授であり、

また、東京大学を「東大話法」の呪縛から解放することが

自分の使命であるし、

「原発事故をはじめとする構造的困難に直面する

日本社会に貢献する道にほかならない」とおっしゃっています。

 

東大医学部の付属病院の

稲葉さんとも、お話してみたいような内容ですねえ……(しみじみ)。

 

 

しかし、この「話法」

本当に、政治をはじめ、社会全体で、

けっこう、やられていることかもなあと思ったりもします。

 

上手にすり替えるみたいな、、ね、、

「援助交際」とかもそうですよね。

え、それ「売春」っていったよね、という。

 

「東大話法」はその流れとも

またちょっと違うかたちですけれど、

なにか、特有の「脳の構造」みたいなものと

「集団の論理」みたいなものがあるきがします。

 

わたしも、日本でトップクラスの頭脳の人たちが

こぞって直すことのできない

危険なものを堂々とつくり、

わりあい平然としていたり、

うまく隠したりしていること、そのことに

すばらしい能力が使われていることが……なんか、

ミヒャエル・エンデの物語を読んでいるみたいだなあと

思うことがあるのですけれど、

いよいよそのメカニズムも解き明かされるときがきているのでしょうか。

 

もちろん、わたしは、

一人一人の魂には神性が宿り、

どの魂も愛であり、尊敬の対象であると思っています。

ただ、社会がつくられ集団になったときに……

自然ではないことが起こるのでしょうか。

 

 

ことばを扱うものとしても、

よく目覚めていたいことだなと

思いました。

 

あ、そうそう!

編集部には本当にたくさんのお便りをいただくのですが

(みなさま、本当にありがとうございます!)

読者のKさんが!

八戸の「安藤昌益資料館」のパンフ送ってくださいました。

ありがとうございます!!

すごくうれしい!!

中島正さんがご存命であったなら、

お見せするところですねえ……。

 

 

ということで!

みなさま、どうぞよい週末をお過ごしくださいませね。

 

 

『きんいろのアファメーション帖』ですが、

書店にはまだあるところもあるので、

そちらでお求めになっていただくとして、

在庫がもうない場合、増刷ぶんは、

3月20日あたりに到着となりそうです。

 

もうしわけありませんが、

しばらくお待ちいただけますとさいわいです!

 

 

「この中身で、こんな安くていいの!」っていってくださるのが

本当にうれしくほこらしいです。

 

 

 

 

で、はー!

 

 

 

 

服部みれい、ど、えした!

 

 

 

ここはチャオ話法ッ