連載

井上博斗

うた・こえ・からだをひらく
感応閑話

第15話 自宅出産といういのちの祭り

祭りのはじまり

2021年6月23日、二人目のこどもの出産を、自宅で見守りました。その日の昼すぎ、隣の集落にある友人が開いているカフェでお茶を飲んでいるときに妻におしるし(尿に血が混じることでわかったということです)があり、その場にいた仲間たちに応援されながら家にもどりました。

 

一人目の息子は病院で無事に出産したものの、妻にとっては分娩台での仰向けの出産、ずっとつながれた点滴、感染症にかからないための抗生剤を飲まなければいけないこと、わたしにとっては出産の介助ができないこと、産後の新生児にとりつけられたモニターからの心音がひたすら電子音としてけたたましく鳴っていることなど、わたしたちが望む自然出産とはほど遠くて、自宅出産を目指すようになりました。

 

助産師さんが介助する自宅出産は、受精してから、(妊娠がわかったときの胎児のサイズで計算するため、推測にはなるものの)37週以降でないと内臓やからだの機能の発達未熟の可能性があるため認められないのですが、妻は35週目で切迫早産の診断を受け、2週間も入院することになりました。今にも産まれてきそうな子を薬でとどめて退院し、おしるしは自宅にもどった37週と3日目のことでした。

 

ふだんはわたしたちの寝室である屋敷の一番奥の6畳の和室を、すでに産屋(うぶや)にすることに決めており、車を飛ばして夕がたにかけつけた助産師さんと、わたしがスタンバイしていました。2歳の息子は、これまで自宅検診のときに胎動を聞いたり、どんどんと張りだしてゆくおなか、そしてそこに張りつく胎児の手などをともに見守ってきたものの、いったい何が起きるのか判然としない顔で、夕ごはんを食べたり、お風呂に入ったりして、同じ産屋でそわそわとそのときを待っていました。

 

日がかげっていくなか、母子にとって強い光を避けるべく、ちいさな豆電球を一つだけつけて、まるで洞穴か、わたしたち自身も胎内にでもいるように暗くしていたところ、膝をつき、重ねあげたふとんに顔をうずめ妻は低いうなり声を押し殺すように出しはじめました。陣痛がはじまったのです。

 

陣とは「一陣の風」などというように、まとまったことの起こりを意味し、ひとしきり子宮の収縮によって感じる痛みの時間、そしてその収縮が落ち着く時間、そしてしだいに陣痛の間隔が短くなっていき、痛みも激しさも増してゆくその全体をさすのが、陣痛といえるのですが、それはそばにいても、まるで太鼓でドンドンと囃されているような、あるいは海がだんだんと満ちてくるような、彼女に何かが押し寄せてきていることをはっきりと感じさせるものでした。

 

ヒューゥヴともヒィーイとも聞こえる地鳴りのような声にのって、陣痛が5回か6回ほど繰り返されたでしょうか。顔にサッと霧でもかけられたのかと思ったら、ザパンッと滝のような破水が起きたのです。そのタイミングの早さゆえに、用意していた吸水シートなどを敷き逃し、急いでシーツを変えたのですが、あふれんばかりの水の気は、まるで祭りのはじまりの露はらいとみそぎを経たかのようで、いよいよ出産間近だとわかるのでした。

 

3つの山から生まれてきた?

あたりはすっかり暗くなっていて、四つん這いで産むことを望んでいた妻は、両手と両膝をついて、いきみはじめました。すると2つに割れているはずのお尻の真ん中が、どっこりと膨らみはじめました。これは病院での仰向けの出産ではまったくわからないことでした。まるで3つの山を上空から目の当たりにしているような景色です。

 

そして、その真ん中の山がにわかに割れはじめたと思ったら、すでに髪の毛で黒々とした頭が出てきたのです。そのまま頭部がすぽんと出るかと思いきや、いったん額あたりでとまってしまい、力を抜くことも入れることもままならないなか、妻の声がもっとも大きくなりました。そうして、次の波でようやく頭が出てきたところで、待ち受けていたわたしは、頭を受けとめつつ、肩から全身がするりと出てきたあかんぼうを両手にひきよせることができたのでした。

あまりの軽さに呆然としながらも、へその緒のみで母とつながったわが子を、自らの震えで取り落とさないよう必死でしたが、助産師さんの介助で妻が仰向けになおったので、彼女の胸に泣きはじめた子をのせると、しばらくしてその目をうっすらとみひらきはじめたのです。

 

原始生物のような、黒目がちの眼差しは、まだ何も見えていないようでしたが、妻は声にもならない声で泣き、子を受けとめ、そしてお乳をすわせはじめました。また、後産といわれる胎盤はすべるように出てきたのですが、蛇のようにうねる主根と毛細血管がびっしりと張りめぐらされたそれは、ぶあつい円盤のなかで育つ、赤い赤い生命樹そのものでした。

 

孤独の踊り

それからいったいどれくらいの時間が経ったのでしょうか。へその緒をわたしが切ったことで、子は母とわかれ、それまで全身の肌にうっすらとついていた胎脂(たいし)という白い膜がふきとられると、みごとな赤い肌がつやつやとあらわれました。すると助産師さんがおもむろに体重計を用意したので、わたしが抱いてそのはかりにのせました。

 

すると、それまで抱かれていたことでわからなかったのか、仰向けになったあかんぼうの両手の甲はそれぞれ両の頬にひきつけられ、虚空に爪を立てながら、引っ掻きまわしはじめました。そしてまた両足も泳ぐように、さまようように、内旋と外旋を繰り返しているのです。

それは早くもはなればなれとなった母を探すふるまいなのか、それともみどりご(嬰児:生まれ落ちたばかりの子)の胎内回帰なのか、ひっくりかえった脊椎動物の、それも体重をはかるという重力世界への必死の抵抗なのか、その孤独で野生的なもがきに魅せられながら、わたしはとある踊りを思い出していました。

 

それが、1960年代に土方巽(ひじかたたつみ)らによって創始された現代舞踊「暗黒舞踏」です。あとになってみると、その年の6月は前後2週間、雨がひっきりなしに続いたのですが、二人目が生まれた日だけは晴れわたった闇のなかで旧暦皐月の十四日の、まるまると太った月が上がっていました。わたしはそれを見て、このあかんぼうに「さつき」という名前をつけることになるのですが、次話では、そんな闇にこそさえわたる踊り、はぐれたからだを取り戻そうとする暗黒舞踏との出会いについて紹介しましょう。
井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

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源流遊行HP https://genryu-yugyo.com