うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第10話 起居(ききょ) に万(よろず) の福あり 上虚下実編

(「起居」の様子。トランスワークにて)
生まれてはじめての起居
だいたい1歳半を過ぎると四つん這いばかりの、あるいはすわることだけが得意な乳幼児が立ちはじめます。700万年前に生きたサヘラントロプス・チャデシンスは、頭蓋骨の後部の孔(あな)のかたちから脊髄が真下にあるということで、二足歩行をはじめた最古の人類といわれているのですが、誰にも教えられずに立ち上がり、そしてなんとか歩き出す幼児の姿に感動を覚えないわけにはいかないのは、そうしたヒトのからだの記憶、からだの伝統が必ず再現されるからなのでしょうか。
そして、こどもたちは、立つことにすっかり慣れてもなお、その場にぺたんとしりもちをついたり、片膝をたたんですわったりと、誰にも教わることなくこなしてゆくのです。まるでからだをとり落とすかのように、さっきまで立っていたことを忘れるかのように、真下に脱力させてすわることができるわけですが、類人猿と違うのは首を前に落とさず、骨盤は立てたまま、ということにつきるでしょう。
曹洞禅のファウンダー、道元禅師のいう「心身脱落」は、心身がとけるような脱落のすわりの境地があることを伝えていますが、サヘラントロプスも立ち歩きまわるからには、次々と腰を立てたまま、坐の発見、坐の創造をしていったに違いありません。
正坐の発見
すわるといえば、桃山晴衣さんの講座は、いつも板の間での正坐でした。1時間、2時間と経つうちにしびれは切れ、膝に広がる痛みは、どこまでも膨らんだダルマのごとく、そしてその痛みとしびれで何も考えられなくなったときには睡魔が襲ってくるという、三重苦を何度となく経験したものです。
けれどもというか、だからこそというか、痛みの向こう側でしだいに慣れていく自分がいるのです。夏でも冷たいような板の間は、やがて足の甲に正坐ダコができるものの、骨盤を最も立てやすい坐り方ですから、見渡した世界が透き通るような、晴々とした気持ちよさも味わう地平へと進みました。それこそ、下っ腹に力を込めて上半身を開放する、「上虚下実(じょうきょかじつ)」の身体観のあらわれです。
世界では類例のない、正坐で謡い、語り、三味線や筝などの楽器を爪弾く日本の伝統音楽の姿勢は、まさしく下半身で実をとり、上半身を虚にすることで、浄瑠璃や長唄で聞かれるように、闇のなかで火を灯して歩くような、竹林に落葉がはらはらと降りつづけるような独特の声わざをひらきました。
また、後にふれる正坐に限らない起居の最大の例である能楽なども、物語におけるバーチャルリアリティ(虚実皮膜)を、アクロバティックな舞や、人間ワザとは思えない跳躍ではなく、上虚下実の姿勢、ただの起居から結実させたといえるでしょう。
さて、正坐をものにするには、正坐を我慢するのではなく、正坐で歌ったり語ったり、ふるまったりすることでしょう。私も民謡の稽古や出番では、正坐がほとんどですが、歌に集中しているときは、痛みを感じにくいものです。面白いことに、平場での正坐に慣れてくると、座布団にすわるほうがしびれが切れやすくなります。座布団がないことで、太ももとふくらはぎがクッションになるだけでなく、足首、足の甲も床になじんでやわらかくなり、坐ならではの足の目覚めがあるのです。前編で紹介した天真五相もまた、正坐でやると、膝の開き以外は不動の下半身のおかげで、その虚実の濃淡や極相に集中することができ、正坐の心地よさをさらに深めることができるでしょう。
もちろん何時間もすわると、しびれが切れないということはないですが、それには波があって、寝かせた足を組み替えたり、踵を立てたり寝かせたりしながら、しびれや痛みの波を乗りこなすのも乙なものです。踵の向きを変えるだけで、すわり心地や物事に対する構えが変わり、心身やその場の状況を調えることすらできるのです。
衣服と場にしたがう起居
そうした正坐の堪能が続くなか、出会ったのが『日本人の坐り方』(矢田部英正=著 集英社新書)です。中世の絵巻や肖像画、近代文学や写真のなかの日本人の多様な坐り方を指摘したこの著作は、正坐が端坐とよばれていたこと、江戸時代以前には、その端坐よりも、立て膝や安坐、胡座(あぐら)といった私たちにとっても身近な坐り方が、約千年以上前の庶民や職人、武士や坊主など、身分を越えて多様に広がっていたことをしめすものです。
ひるがえって、江戸時代に広がった身幅のせまい着物は、私たちが現代で着る浴衣や着物からもわかるとおり、その裾を端折らないかぎり、膝を割ったり、たがえたりがしにくく、そしてまた、丸帯から半幅帯や角帯まで、実に幅の広い帯で腰肚(こしはら)を立てる機能が、正坐や爪先を立てて踵にのる跪坐(きざ)からの立ちすわりをさらに発展させたのだといえるでしょう。
一方、帯というより細い腰紐に、身幅の広い小袖や袴を着ていた中世の人々は、楽に膝を立てたり、あぐらをかいたりして、ちょうどワンピースを着たような身のこなしがあったのだと想像できます。市場の物売りの女性が物を売る時も立て膝だったのは、そうした衣服に依存することが大きな理由の一つでしょう。そして、お宮やお寺などの身をただすべき宗教的な場所でも、衣の下で安坐やあぐらをかいていたこと、そしてそれが無作法ではなかったことが、13世紀に成立したとする「一遍聖絵」や、今も安坐をする神式の拝殿、そして神事能である「翁」などの舞台でも目にすることができます。
坐からどう立つか
私にはこうした坐の発見が、伝統衣服を着ることがなくなり、床坐(ゆかざ)を失いつつある私たちとって、はぐれてしまった日本人のからだに出会うようで、まことに刺激的でした。しかしながら、すわるかたちについては様々に紹介されていますが、そこからどう立つかについては、ほぼふれられていなかったことが私の出発点となりました。
ヒントは、同書の冒頭に出てくる「起きて半畳、寝て一畳」という言葉です。これはその後に「天下取っても二合半」と続き、金持ちになろうが、身分が高くなろうが、変わることのない身の丈を知りなさい、といった金言として知られていますが、私にとっては、端坐、胡座、立て膝からどのように立つのかを一つ一つやってみることのガイドとなりました。
というのも、起きて半畳というのは、人の立ち居が半畳分(約90センチ四方)であるということですから、現代人が正坐やあぐらから立とうとすると、必ず手をつくことになり、それが必ず半畳からはみ出るのです。手を使わずに立つには、重心がただ上下する、まるでエレベーターのような起居が理想であって、もし立つ際に手を使ったり、腰を抜いたりして、重心があちらこちらにぶれると、むしろ「どっこいしょ」の言葉どおり、からだの重みを感じてしまい、一見便利ですが楽に立つことはかなわないものです。
そこで登場するのが踵、甲、足の外側などに全重心をのせての起居です。共通するのは、どんな坐り方であれ、両足の一点に、腰や頭の重心を乗せて立つということです。
◎井上さんによる実演をご覧いただけます!
〇正坐と起居
https://youtube.com/shorts/iYo9eq3mTYw
〇あぐらからの起居
https://youtube.com/shorts/lvh4i0cwogg
〇片膝の起居1
https://youtube.com/shorts/r0S7zVxFb9Y
〇片膝の起居2
https://youtube.com/shorts/jFfPnjXiEmQ
元気にしてる?
この立ちすわりをものにしたとき、起居万福(ききょばんぷく)のたのしみが立ち現れてまいります。それは、いかに楽に、自分の重みを感じずに、舞いあがるように立つか、まるで脱落するようにすわることができるか、といったふるまいの醍醐味です。
起居や所作にとどまらず、「ふるまい」という言葉があるということは、水平と垂直の合理的な動きのなかで、尾をひくように、かもされるようにあらわれる日本人の豊かな身体知を指し示しています。それは暮らしに余裕があるから生まれたというより、日本人が育んだ起居、所作をそのまま優や美、情や舞とすることができるということを教えてくれているのではないでしょうか。
6世紀ごろ、インドのダルマが伝えて大成された中国禅、そして12世紀から13世紀にかけて栄西や道元によって日本に持ち込まれてから法灯をつむいできた禅宗によって生み出された「起居万福」という禅語は、日々の起居進退にただ打ちこむこととの大切さと同時に、それによってふだんの暮らしが幸福であること、または他者に向けてそう願うことから、「ごきげんいかがですか」というあいさつの意味として昇華されました。
そうしてふりかえると、かつてアフリカ大陸北中部、今のチャド共和国あたりにいたサヘラントロプスが、森から追われてサハラ砂漠に出ざるを得なかったために立ち歩くことになったのか、類人猿とは違う好奇心による起居や暮らしの展開があったときに、意識とからだの革新が続いたのか、きっかけは定かではありませんが、よるべないなかで立ちすわりをはじめたサヘラントロプスからの「元気にしてる?」といった声が、起居万福に遠く久しく響いているような気がしてくるのです。
起居をかたちではなく、生き生きとした動きのなかでみること、そこにひらかれていくものがきっとあることでしょう。
連載内でご紹介した「トランスワーク」が体験できます!
丹田・母音・響きを味わう!
自分の中の自然と外なる自然を統合する
トランスワーク@エムエム・ブックスみの
はじめての方には「入門編」がおすすめです!
■入門編 *単発講座・両日同じの内容です
3/28(土)それぞれ13時30分~15時
参加費:5500円
■初級編(起居と丹田のワーク)*3回連続・「入門編」の受講が必要です
4/18(土)、5/9(土)、6/13(土)それぞれ10時~12時
参加費:18000円(全3回分)
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4/18(土)、5/9(土)、6/13(土)それぞれ13時30分~15時30分
参加費:24000円(全3回分)
〇各クラスの詳細・お申込み
https://mmbooks-eventandschool.square.site

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
インスタグラム https://www.instagram.com/hierotix
YouTube https://youtu.be/a1wsc91rT8E
源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
