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リレー・エコ連載

更新日 2009/7/31

エコ・リレー連載 murmur学園 エコ部!/「エコ部!」では、今さら人に聞けないエコの「きほんのき」から、エコにまつわる、かわいくてちょっとしたアイデアを、各界の方々にご紹介いただきます。部活の先輩に教わるように、甘酸っぱい気分で、学んでいきましょう!

リレー・エコ連載も、記念すべき10回目を迎えました! 今回お話しいただく先輩は、写真家、モデルとしてご活躍中の東野翠れんさんです。
モデルとして、これまで幾度となく『マーマーマガジン』に登場いただいていますが、このたび、「エコ」とは何なのか、翠れんさんらしく語っていただきました。ちなみに、次号の『マーマーマガジン No.6』では、翠れんさんにファッションページのカメラマンをお願いしていますので、そちらもどうぞお楽しみに。では、翠れん先輩、よろしくお願いします!!

第10回:東野翠れんさん/ささやくように光る生活が感じさせてくれるもの

宙に浮いているように感じた
「エコ」ということば

何年か前に、「エコ」や「ロハス」、「スローライフ」など共通の意味をもった言葉が、それまでにないくらい、ふわーっと出てきたような気がしました。わたしが出てきたと思っただけかもしれませんし、ほんとうに出てきていたのかもしれません。根っこのように大切なことなのに、宙にふんわり浮かんでいるように見えました。

そしてここ数年で、その気持ちは以前よりもずっと柔らかくなりました。言葉の大きさや意味は変わっていないはずなので、はじめから、わたしの目はいろんなものの表面しか見る気がなかったのだと思います。どんな風に見ていたのか、具体的なことはもう忘れてしまいましたが、そんな時期があったことを、ぼんやり覚えています。

いちじく

ベランダのいちじく。

虹

虹。

光のちからは
影より少しだけ強い

季節が移り変わっていくのと同じくらい、生きているといろんな不思議なできごとが起こります。意識的にああだこうだやっているときよりも、意識も言葉も飛び越えているときの方が、そんな不思議なちからがはたらく。大昔には、そんなちからがびゅんびゅん飛び交っていたにちがいないと思うのです。

あらゆる“便利”に、日々感謝すべきところがたくさんあります。それでも、この道の先に光るものは、さまざまな便利の前から存在していたものだと、思えてなりません。

光のちからは、影のちからよりも少しだけ強いのでは、と思っています。本来、からだが勝手に選ぶさまざまに光るものは、一時的な喜びじゃなくて、綿々と続く喜びなのだと、思います。それは生物として生きるということや、生きている環境と自分自身の立つ場所を、照らしだしてくれているようでもあります。そして、その光は、長く続くと、どこかに真っ黒な穴があいてしまわないか、反射的に考えさせてくれます。

他の人のせいにして生きるのはいやだから、選べるかぎりは自分で選びたい、姿かたちは変わっても、流したものは自分のもとへ戻ってくるにちがいない、自然が溢れている場所にいないから、ベランダを小さな花園にしたいな……。

ささやくように光る生活のあらゆる一面は、ここからは見えない遠い土地のことや、地球そのものや、宇宙との連なりを感じさせてくれます。

それは、古い絵や写真を見て、ああ地球って美しかったんだと感じるよりも、この瞬間、今日、美しい地球があって感じることのできる喜びなのだ、と思います。

オリーブ

オリーブの木。

すもも

すもも。

東野翠れん
profile
〔ひがしの すいれん〕
1983年、東京都生まれ。写真家、モデルとして活躍中。作品に『ルミエール』(扶桑社)、『縷縷日記』、『風花空心』(ともに共著/リトルモア)ほか多数。