連載

井上博斗

うた・こえ・からだをひらく
感応閑話

第13話 生まれ変わりのうた

 

闇からはじまる「お歳とり」

まだケーキを食べる予定のない乳幼児の娘が、2歳の誕生日をむかえたとき、ふたりの兄たちが2本の大きなロウソクを用意して、彼女がそれを吹き消すことができるよう準備しはじめました。何が起こるのかわからないままにロウソクに照らされた彼女のきらめくような表情は、それだけで私たち家族を喜びでつつみました。

 

そして彼女は、兄たちに教えられたとおり、1本、1本とみごとに吹き消すことができたのですが、そのとき突如として現れた闇には、はっとさせられました。そうか、誕生日にケーキに立てたロウソクを吹き消すのは、私たちが胎内宇宙という闇から生まれることの巻き戻し、再演なのかもしれない、と。兄たちが部屋の電気を再び灯したとき、まぶしい光のなかで拍手をし、叫び声をあげているのを聞いて、あらためてこの擬死、生まれなおしの儀式に合点がいったのです。

それも明かりをただ消すのではなく、吹き消すという行為が肝心かもしれません。たしかに私たちは息を吹くこと、吐くことの息吹、吐息によって、水棲(すいせい)の胎児としては死にながら、陸棲(りくせい)の嬰児(えいじ)として生まれ出てきたからです。

 

ところで、郡上の古老たちに話を聞くと、個人の誕生日というものにはまったく無縁で、それよりも出生時を一歳と数えておいて、新年を迎えるときに自分も一つ歳をとる「数え歳」が主流だったようです。きたる大晦日、夕闇がせまる前に、お風呂で体を清め、新調した下着に紋付やハレ着をきて夜を迎えると、「明けましておめでとうございます」と言ってお節(せち)を食べたという、この一連のふるまいは「お歳とり」と呼ばれ、2月生まれであれ、8月生まれであれ、12月31日の夜に一つ歳をとるというとらえ方だったのです。

 

またそこからは、かつては一年、一日の始まりが、夕闇からだったということが分かるものです。私たちの狩猟や農耕といった人間主体の、生産的な活動が光から、日の出からはじまるのだとしたら、私たちの思いのままにならない一日の更新が闇からはじまるというのは、まことに示唆深いものがあります。降誕祭にしてもイヴ=eveningと呼ばれている前夜祭が重要視されていることと同じ話かもしれません。

 

歳をとるための迎えとそなえ

正月にお決まりの門松や鏡餅は、一つ歳をとらせる歳神さまを迎える依代(よりしろ)だということで、山や田畑をもつ人たちが多い郡上では、年末になると材料を揃えるところから変わりなく作り続けられています。歳はそれぞれの誕生日でとるものではなく、あちらからやってくるものであり、歳迎えの準備をしっかりすることで、星も暦も生きとし生けるいのちも、ぐるりと一挙的にあらたまってしまうお歳とりってなんだかいいなと考えさせられました。

 

かくいう私も先日、誕生日を迎えました。前日までに私の故郷である讃岐の小麦粉(中力粉)と塩を買っておいて、郡上の親しい仲間やそのこどもたちと手打ち、足打ちして麺に切り分けます。そして、これも瀬戸内産のいりこ(カタクチイワシの煮干し)で出汁をとって、うすくち醤油でかけつゆをつくり、本場そのままにおろし生姜とネギでいただく讃岐うどんをつくることを自ら催すことが恒例となっています。

 

というのも、これが私が物心ついたときから知るふだんの味であり、年越しや祭りのときの接待の味でもあり、郡上で生きる私にとっては、故郷のお節ともいえるものなのです。今年は鳥羽の漁師さんからいただいた伊勢湾のワカメが加わったことで、やはり幼年時代によく食べていた、わかめうどんがフラッシュバックして、自分が瀬戸内海洋民族であったことを再認識するものでした。

 

西行を呼んだ望月の桜

さて、その夜、誕生日前夜のことです。ちょうど満開となっていた、私たちが暮らす川沿いの源流にある桜の樹の下で、家族や土地の仲間たちと火を囲んだ宴もたけなわのころ、「松囃子(まつばやし)」という舞を披露しました。それは芸人が新年に贔屓筋(ひいきすじ)の家々を門(かど)付けしながら、そのめでたさを謡い舞う音曲として狂言に残っているものなのですが、このときの私にとっては生誕の、生まれなおしの舞でした。それでいて、そのときに陰で響いていたのは、西行(さいぎょう)のあまりにも有名な和歌でした。

 

願わくば花の下で春死なん その望月の如月のころ

 

訳:叶うことなら如月の満月あたり(旧暦の二月十五日頃)に、春の花(桜)の下で死にたいものだ

 

今年の郡上は桜が咲くのが2週間近く早く、この西行の歌どおり、旧暦の二月十五日、4月の2日から3日にかけて、皓々(こうこう)と照る満月とともに桜が満開を迎えていました。郡上にきてから16年になりますが、厳しい冬を越えて春がやってくるというのは、南国四国で育ったときには知らなかった、からだがほころぶような喜びがあるものです。また、桜は、サの神がすわったことをしめすサ・クラを体感できるものとして、毎年変わらず、昼も夜も花見をしてきたのですが、満開の桜と望月(もちづき)のとりあわせは今春が初めてだったかもしれません。

 

それから10日ほどかけて、桜の開花は私たちが暮らす川沿いを、標高のとおりに上ってゆきます。ソメイヨシノのような、これでもかと花を咲き膨らませて、そして一斉に散ってゆく姿に、不穏さや乱調、怖れや別れ、死の気配を感じる向きもありますが、月もすっかり欠けた闇夜に、ライトアップされた桜の下で松囃子を謡い舞っていたせいか、望月の桜の下で死にたい、という西行の願いには、うしろ暗さのない、未来的な明るさが感じられたことは新鮮でした。

 

あらたまの歳のはじめの門(かど)びらき めでたやなめでたやな(松囃子の冒頭部分)

 

訳:あらたまる年の初めに、こうして門戸をひらかれることは、まことにめでたいことでございます

 

目をひきがちなソメイヨシノが花を落としても、当時の西行が目にしていた山桜や枝垂れ桜が生き生きと咲いているということもあって、西行の歌は、終わりとしての死ではなく、はじまりの死、生まれ変わりを願った、あらたまの歌なのだな、というめでたさが身にしみてきたのです。

 

江戸時代までの旧暦、すなわち太陰太陽暦では、十二からなる月の生まれ変わりは、真っ黒な晦日月から新月、年の生まれ変わりも大晦日の月から新月であったわけですが、そのまったき闇夜のあらたまりとは真逆の、望月に照らされた、おそらく満開の桜に、自らの生まれ変わりをたくした西行は、その願掛け通り、如月の十六日に亡くなったとされています。盛者必衰、不変なものは何一つないからこそ、月も花も眩しく満ち切るその刹那に向けて歌い切った西行からの、満願の贈りものをうけとった瞬間でした。

 

舞いうたっていると、こんな妄想のような実感がおりてくることがあるものです。

井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

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