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うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第9話 五大に皆響きあり(後編)

天真五相との出合い
なぜ空海の「五大に皆響きあり」が、母音として聞こえてくるのか。それは私にとっては、「天真五相(てんしんごそう)」という武道の影響が大きいものです。キリスト教者であり武道家である青木宏之氏によって、1960年代に空手から新たに創始された武道「新体道」の基本型で、5つの母音を唱えながら、それぞれにムーヴメントが融合したもの、それが「天真五相」です。
これは桃山晴衣さんのパートナーである音楽家・土取利行さんが、青木氏から教わったもので、前編で書いた「創造塾」の際に、毎日毎回必ずこれをやるんですね。とはいえ稽古の稽古たるゆえん、意味の説明など一切なく、ただ動きを真似しつづけるしかないわけです。
それから10年ほど経った頃に、「天真五相」を人にやってみせる機会がありました。私はめいっぱいとはいえ型通りですから、当然それを見よう見まねでやる人たちもよくわからなかったと思うのですが、そのときの参加者が「天真五相」について調べて画像を送ってくれました。
そこには動きの画に対応させて「ア=開放」「エ=開拓」「イ=指導」「オ=包容」「ウ=無闇」といったことが書いてあり、恥ずかしながらそのおかげで、なんとそうだったのか! と氷解してしまったのです。さらにその五つの型が独立しているのではなく、生命の誕生から終わりまでを示す、とどまることのない流れのなかでの五相でした。
五相と三密の統合へ
そして、これもまた空海が説く「三密」である「身・口・意(しん・く・い)」が私のなかで統合されるきっかけとなった瞬間でした。意識=イメージだけだと、固定観念にとらわれることになりますが、ようやく身である動き、口である言葉とその響き、そして意識が一体であることを目指す稽古となり、「天真五相」は、かけがえのない日々のルーティンワークになったのです。
「天真五相」は、『新体道 智慧をひらく身体技法』(青木宏之=著 春秋社=刊)の最終章に言葉と写真で詳しく紹介されていますが、ここからは私の理解と実感から説明してみましょう。
立った状態で、まず「ウ」から始まります。阿吽のウンであり、寂滅のウでありながら、胎児が母のおなかのなかで指をしゃぶっているときのムであり、生まれる前の未萌(みぼう)の響きです。うつむき、目と口を閉じたまま、ウーンとうなりながら、組んだ両手は臍(へそ)の下の丹田に、両足は足先まで閉じて、意識はどんどんと内側にこもってゆきます。
それから宇宙開闢(かいびゃく)の「ア」にうつります。オギャアのア、始まりのア、あくびのアです。両足を開き、両手は体側(体の真横)をとおってめいっぱい開き、アー!!! と声の出る限り叫びながら、天をささえ、押し広げていきます。
アのビッグバンが終わりましたら、そこから星が生まれ、重力がうまれ、垂直から水平がうまれる「エ」の響きです。「エー」と唱えつつ、頭上中心から、山裾が切り開かれるように、両手を正面に向けながら、肘を左右水平に引いていきます。笑みの「エ」であり、栄えの「エ」であり、下半身が大地に根を張ってエネルギーをためる「エ」の響きです。
そこから実りをもたらす「イ」の響きです。左右に引き切った両手を今度は、斜め上方に向かって押し出してゆきます。「イー」と唱えながら、両手は頭上で結実するように出合い、親指と人差し指でふれぬまでも、ほぼ三角をつくります。息の「イ」、意識の「イ」、大地からの息吹を、この枝葉末節にすべて集めるのです。
この「イ」の響きが最高潮に収束するとき、その熟した実が今やぽとりと落下する時がきます。それをあますことなく受けとるのが「オ」の響きです。前方、それも斜め上方に結実していた両手は、その実を受けとるべく、めいっぱい後方にまわします。受容のオ、この世のオ、驚きのオです。
背を反らせずに、「オー」と唱えながら、後方にゆっくりとまわした両手は、ぐるりとかえって正面に向かって、すくうように、天に返すように頭上に捧げます。「寛恕(かんじょ)」ともいえるオの響きの最後は、いのちを食べ、受けとり切った自分を恕(ゆる)し、そして自分自身をもささげる振る舞いです。
こうして頭上に返された両手を重ね合わせますと、また再び「ウーン」と唱えながら、広げた足を戻してそろえ、組まれた両手は臍の下の丹田にかえってゆきます。臍下丹田(せいかたんでん)に始まり、臍下丹田に終わるといってもいいでしょう。
◎井上さんによる「天真五相」の実演をご覧いただけます!
https://youtube.com/shorts/lV5nH6yJfJc
https://youtube.com/shorts/aXXxdJLFIkY
汲めどもつきせぬ丹田の発見
これを正座でやることもできますし、朝起き抜けの大あくびに合わせてやるのも大変に気前がよいものです。一度に、生命の一生を、宇宙の創生と死滅をやるようなものですから、もし本気でやるなら、とてつもない循環が、走馬灯が、からだのなかを駆け抜けるはずです。
新体道は武道ですから、この基本型から相手を受け入れたり、相手を制する組手の稽古が始まるはずですが、ついに私は組手を習うことなく、木曽節と同じように、ひたすらこの「天真五相」を繰り返しました。それはさきほどもふれた始まりにして終わりの臍下丹田の発見でもありました。
ところで、私たち日本人がよく、丹田、丹田と言っているのは、頭にある上丹田、胸にある中丹田、臍の下にある下丹田のうちの下丹田(かたんでん)のことです。インドでは5つから7つのチャクラが、中国では上中下の3つの丹田が、そして日本ではまるで一つしかないように、臍下丹田が特に重視されているのは興味深いところですが、私にとって臍下丹田は、うたうこと、息をめぐらせていく響きのなかで少しずつひらかれてきました。それは汲めどもつきせぬ源泉、歌の息吹を汲みあげる泉となったのです。
桃山さんは声の出ていない私たちによく言いました。「その下っ腹のなかに丸い球、丹田がある、それをひっくり返せ!」チャクラもまた回転する円としてイメージされてきましたが、桃山さんの小さなからだから生まれる声の響きの奥行き、声が大きいだけでなく、糸をつむぐように、とぎれることなく廻りつづけている霊妙さにただただ驚かされたものです。
声、息吹、元気、これらは見ようとする見えないものですが、むしろ響きや流れているものとして感じることができます。見極めるものではなく、どう汲み出すかという意識のはたらきは、あたかも清水湧く井戸につるべを落として水をひきあげる姿のようです。そして、うた・こえ・からだを生き生きとさせるこの脈絡において、母音はその大きな助けとなってくれるでしょう。
これらが私にとっての「五大に皆響きあり」でした。私の故郷は、空海が育った讃岐善通寺なのですが、もし弘法さん(空海)に会うことがあったなら、この天真五相をふるまいたいものです。アハハと笑って「法身これ実相なり!」とやられるでしょうか。それとも、フフンと鼻で笑って、「五大の響きはそんなものじゃない!」と桃山さんのようなお叱りがとぶでしょうか。
空海や桃山さんが放つ生命の喚起力には比ぶべくもありませんが、自分自身がこうした響きの聴き手、共鳴者であり、その響きにこたえていくということほど、よろこびにみちたいとなみはないでしょう。ともにこの虚仮(こけ)の世界に、五大からうまれるうたを響かせあえる人生にしたい、私はそう願っています。

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
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源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
