連載

日登美

第4水曜更新
思春期倶楽部
ほんとうのわたしを求めて

3日目 暴言上等! 破壊力上等!

子から親への暴言には、どんな意味がある?

 

思春期、お子さんに暴言を吐かれたことのある親御さんは少なくないのではないでしょうか。

「ウザっ!」からはじまり、気がつけば「うるせークソババァ」がデフォルトになっている(笑)。笑いごとではありませんが! そんな経過を辿っている方もいらっしゃるでしょうか。

 

日々滝修行のように暴言を浴びるごとに、わたしたち親は「言葉とは見えない刃である」ということを身をもって実感することでしょう。言葉が“言の葉”であればいいのですが、“言の刃”になった瞬間、わたしたち親は少しずつ、密かに、確かに、見えない部分で疲弊し、傷つき、心身を摩耗していくのです。この修行には一体どんな意味があるのか。

 

わたしの子どもたちの暴言履歴でいうと、特にひどかったのはひとり目の女の子との関係でしょう。女同士という関係は、時に母と息子との関係よりも辛辣です。ビシバシと根底から響く暴言もあれば、忍者のように軽く素早い滅多刺しのような暴言もある。言葉遣いの乱れから始まって、あれよあれよという間に「暴言」の威力を無意識に習得し、自在に操るようになるのです。女子は魔女のように、見えない力を操る性分を、この時期無意識に発揮していくように思います。

 

それにくらべ男の子のほうは暴言に迷いがみられます。母と男子の関係は女子のそれとは少し異なり、何か抗えない優しさのようなものが母との間にあります。それが少なからず影響しているかもしれません。もしくは男子には見えない刃である言葉の力よりも、現実的な力のほうが出しやすい傾向があるかもしれません。力で物を破壊する。これはこの時期の男の子に多い現象でしょう。息子たちはわたしや誰かに手を出すことはありませんでしたが、「家にサンドバックがあればよかったね」ということは多々ありました。内から溢れるマグマのような力を、どこへ向けたらいいのか。男の子にとって、現実世界で血を流す戦士として特訓を始めるのが、この時期なのかもしれないとも思います(と、性別でお話ししておりますが「女性性」「男性性」として捉えていただけるといいかと思います)。

 

この暴言、言葉の乱れは“こころの乱れ”とよくいわれますが、それは本当でしょうか?

 

わたし自身の兄が中学1年生のころ、こんなことがありました。“思春期の闇”に突入した兄は祖父に対して初めて「黙れ、クソジジイ!」と暴言を吐いたのです。その瞬間、家族全員が凍りつきました。咄嗟にわたしは「お兄ちゃん、そんなこと絶対におじいちゃんにいってはいけない言葉でしょ!」といいました。その場面は今でも忘れられません。大好きなおじいちゃんをお兄ちゃんがクソジジイと呼ぶ。わたし自身の胸がザクっと切り裂かれる思いがしたのを覚えています。周りを破壊する力は、自分をも破壊する。この暴言は単にこころの乱れですませられるものでしょうか? それよりもこの破壊力を生み出した力のほうに注目すると、違う景色が見えてくるように思います。

 

思春期は、愛の力への変容期

 

思春期は幼児期とは逆に、外界からの影響よりも自分のこころと體(からだ)という、内側から湧いてくる血潮、躍動に大きな影響を受けるとシュタイナー教育ではいいます。

 

見える部分(力・體)でも、見えない部分(暴言・こころ)でもこの時期に「破壊」を生み出す力。この根源にあるのは決して「悪」に向かうものでなく、むしろ「善」に出会うための「力」ではないかと思うのです。幼いころから培った生命の中に宿る自分の力をしっかりと体感し、露出しているのが思春期の子どもたちかもしれない。

 

けれど力は大きいほど、使い道を誤ればそれは破壊をもたらします。そしてこの力はこのままの形では往々にして破壊しかしないのです。彼らの中にある力を破壊でなく愛へ変容させるものは何か? そのために人間には「こころ」があるのだと思うのです。この「こころ」をこの時期までにあたためておく必要があるのです。

 

この時期の暴言、破壊はこの力の発露であり、愛の力への変容期とわたしは捉えています。暴言が悪い、いけない、だけで済ませてそれをなくそうとするだけでは見落としてしまう大事な力が今まさに発露しているのだと。

 

だから暴言上等。破壊力上等。この子らにはこの世を生き抜くすばらしい力があるのだ。そしてこれが変容していくことを信じてほしい。それを支えてほしい。特に食卓はあらゆる面でそれを支えることができる一つの手段かもしれません。

 

とはいえ修行のように暴言を浴び続ける終わりなき日々。必ずその終わりはやってきますが、「それまでわたしは持ち堪えられるかしら?」と心配にもなると思います。でも大丈夫。

 

こんなときこそ、ユーモアで乗り切りましょう。こころを固くすると泣けてきます。怒りが湧いてきます。やるせなくなります。だけど柔らかくしておくと、相手の刀が自分のこころをすり抜けて不思議と血を流すことはありません。ですから合気道の精神で、もしも「クソババァ!」といわれたら「わたしはクソババァじゃないですよ。クソジジイでもないんですけどね」などと返して(笑)、とにかくこころを柔らかく「ぬかに釘」を意識します。かといって暴言をバカにしてはいけません。相手は命懸けで滅多刺しに来ているのですから。しっかり受けて立つのが礼儀ってもんです。

 

ともあれ、子どもの暴言と思春期の子をもつ親。その姿を思うと、こんな歌が浮かんできます。

 

マリアは歩みぬMaria durch ein Dornwald ging 讃美歌第二編124番)

 

マリアは歩みぬ、キリエ エレイソン(※)

しげる森かげのいばらの小道を イエスとマリア

 

いばらの枯れ木も キリエ エレイソン

血に染みし後に 薔薇の花咲きぬ

イエスとマリア

 

(※=「Kyrie eleison」。主よ憐れみたまえという意味のギリシャ語)

 

イエスを妊娠中にいばらの森を歩く聖母マリア。

マリアが歩くとバラが咲き始める様子は、キリストの到来と人類の希望と救いを象徴するといわれています。

いばらからバラが咲くという変化は、闇の中、光の象徴であるイエスの誕生によってもたらされる世界の明るい変容を意味するといいます。

いばらのような困難な状況下でも、主を信じ歩み続けるマリアの信仰と変容を意味するこの歌を思春期の親御さんたちに捧げたいと思います。

マリアは歌いつつ、困難な道へ歩み出します。歌が力になることをマリアは知っていたのです。

 

つづく


◎本連載における「思春期」とは、シュタイナーの提唱する7年周期による人間の成長段階にもとづき、第3・第7年期にあたる、14歳から21歳の時期を想定しています。ただし、子どもたち自身が思春期をまっとうすることができなかった場合、その年齢を過ぎても、思春期のような状態が続くことがあります。

日登美 【ひとみ】

三男三女・6人の母。10代からファッションモデルとして雑誌や広告で活躍。出産・子育てをきっかけに、シュタイナー教育やマクロビオティック、ヨガなどを取り入れた「自然な暮らしと子育て」を実践し、その経験をまとめた著書を多数刊行。クシマクロビオティックアドバイザーの資格を取得後は料理指導をはじめ、オーガニックな家庭料理を提案するレシピ本も発表している。2013年にドイツ人の数学者と再婚し、ブラジルでの生活を経てベルリンへ移住。現地ではヒルデガルト・ヘルスケアアドバイザーの資格を取得。現在はモデルとして活動を続けながら、「台所から子育て・暮らしを健やかに豊かに」をテーマとしたオンラインコミュニティ「Mitte(ミッテ)」を主宰している。2025年より、みれい☆かるちゃ~☆すく~るで連続講座を開催中。2026年春には、エムエム・ブックスより新刊が発売予定。

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