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井上博斗

土曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話

第8話 サの響きからうまれる田植え唄(後編)

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作業とうた、全く異なるテンポとグルーヴ

田植えにまつわる響きと祭りについて話してきましたが、郡上ではどうでしょうか。だだっぴろい平野に開かれた田んぼではなく、山沿いの扇状地や川沿いの河岸段丘(かがんだんきゅう)に開かれた、実に少ない耕作面積で、今も変わらずお米が作られているわけですが、みごとに郡上一円で田植え唄がうたわれ続けてきたのです。

 

植えてくださりょ畔にも田にも 畔にも田にも ヤレ秋にゃ五穀の米がなる 米がなる ヤレ秋にゃ五穀の米がなる

赤いたすきは伊達にはかけぬ 伊達にはかけぬ ヤレ愛し殿さの遠めがね 遠メガネ ヤレいとし殿さの遠めがね 

五月水ほど恋いしのばれて 恋いしのばれて ヤレ今は秋田の落とし水 落とし水 ヤレ今は秋田の落し水
(郡上市石徹白地区)

 

 

〇意訳
・植えてください、畔(あぜ)にも田にも。大豆、米、稗(ひえ)、粟(あわ)、蕎麦を。秋にはその五穀が実るでしょう。

補足:五穀は地域によって変わるが、かつて石徹白(いとしろ)は、高地のため田んぼが少なく、焼畑で蕎麦を育てて主食とした他、石徹白稗という在来種の稗も食べつないできた

 

・赤いタスキを意味なくかけているのではありません、愛する貴方がまるで望遠鏡をのぞくように遠くからでも私が見つかるようにかけているのです。

 

・五月の田んぼに引いた豊かな水が恋しのばれます。今はもう秋となって収穫のために水をすっかり落としてしまったのですから。

 

石徹白地区にお住まいで、現在88歳の鴛谷幸二(おしたに・こうじ)さんは、地元を代表する唄名人で、私は何度となく田んぼで唄を聞かせてもらい、また唄を返しながら田植え作業をする幸運に恵まれました。それほどに田植え唄をうたえる方が稀だったからです。

 

幸二さんとの出会いは、私がこれまで郡上の茶摘み唄や田植え唄、糸引き唄や臼挽き唄を覚えたり、実際の作業を聞き取りしたりするなかでうかびあがってきたことが、確信に変わった瞬間でもありました。

 

その確信とは、これらの作業唄は、作業のスピードやリズムに全く即していない、ということです。いや、そもそも日本の唄にこうした一定のスピードやリズムといった音楽概念を当てはめるのがおかしいのかもしれませんが、作業唄というと作業のリズムに沿ったものという思い込みが研究者をはじめあるらしく、多くの日本の作業唄が作業中にはうたえないのでは、と疑われることもあります。

 

というのも、田植えであれ糸引きであれ、熟練の方の手早さ、素早さにもかかわらず、唄い手は実に悠々とうたうのです。先ほど紹介した郡上の郷土史家・寺田敬蔵さんによってたくさんの郡上の民謡の録音が残されているのですが、白鳥町の唄名人だった正者栄太郎(しょうしゃ・えいたろう)さんの田植え唄は、他の方よりテンポこそ速いものの、作業のリズムとは関係のないグルーヴ(波・ノリ)が顕著です。そもそも独特な節回しで有名だった正者さんですが、実に見事なテンションを節(ふし・メロディーのまとまり)の伸縮と、調子(音程のこと)の高低差で生み出しているのです。

 

それは、田んぼに引き込まれる山水(やまみず)やカエルたちの響き、あの「サ」の響きを十二分に感受し、さらにエネルギーをくみだすようなグルーヴです。もしかしたら、正者さんにサの神がとりついて、うたわせていたのかもしれません。同じ田植え唄でも人によって節も調子も違っていて、もっと素朴で扁平な節回しの方もいますから、作業唄をふくむ民謡それ自体が、人それぞれの感応度によるものなのでしょう。

 

その点、鴛谷さんや正者さんに唄ってもらえる田植えは、よくよくはかどったことでしょう。ゆったりとした唄の調子や深い呼吸で、急ぐ人の息を上がらせずにむしろしずめ、飽きさせることなく色恋や喩(たと)えで景気づけ、のびやかな高い声は心地よく作業をうながすのです。

 

石徹白の田植え唄に、愛し、恋し、という歌詞があるように、かつての田植えは共同作業の楽しさと同時に、女ぶりをきそうようなところがありました。化粧をした早乙女たちの絣の半纏にかけられた赤いタスキや、たつけの割れ目から見える赤い腰巻きが男性の目を引くこと、またその腰つきで、マメ(健康)であることや器量のよさが知れる、お見合いのような場でもあったわけです。私が出会った郡上の田植え唄は、そんなふうでした。

 

さて、私も郡上の6月は、しばしば友人たちの田植えに呼ばれて、うたいまわることになります。山あいの田んぼでは、うた声は山にこだまして、まことによく響きます。おかげで音頭とりは、うたと苗とり(ほどよい量の苗を植え手に投げたり、渡したりすること)に徹しているのですが、少し間をあけると「うたはどうした」と揶揄(やゆ)されるくらい。この単純作業の沈黙というものは、作業の終わらなさや足腰のつかればかりが気になってしまうという、なかなかおそろしいものでもあるのです。

 

だから作業唄や民謡には「カエシ(返し)」といって作業している者からの反復があるのでしょう。かつての田植えのように植え手がたくさんいることは、すなわちカエシがたくさんいることだから、作業のしんどさに小さな声でうたってもカエルの大合唱とおなじなのです。そうして沈黙をうたでみたしながら、サをひらき、稲の実りを願い、世界ととけあうこと、それが土に生きる人たちの、田んぼでのいとなみだったのではないでしょうか。

 

なるほど、現代のように機械で植えてしまえば、とにかく早いし、声は負けますし、それに1人ですからうたう必要はないのかもしれません。それでも私たちが、いったいどれだけの生き物がこの水田で共鳴しているかを想うとき、やはりうたわずにはいられないものですし、無数の水棲昆虫と陸棲昆虫がやってきて混じりあうのを目の当たりにして、私たちは田んぼでお米だけを作っているのではないことを知るのです。古いわらべうたにもある通りです。  

 

オケラ ケムシ ゲジ アリ ボウフラ セミ カニ カワズ グツにナメクジ キリギリスにチョウチョ ハナゲにトンボ つながりたいじゃないかね

 

 

去年の田んぼでは、近年見ることのなくなったオケラやアカハライモリ、たくさんのヤゴやコオイムシ、そして20羽以上の鴨たちに出会うことができました。きっとどれだけ時代がすすんでも、手による田植えが、サの響きからうまれる田植え唄が、そのいのちのつながりを何度でも教えてくれることでしょう。

井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

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