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井上博斗

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感応閑話

第8話 サの響きからうまれる田植え唄(前編)

重要文化財『月次風俗図屏風(つきなみふうぞくずびょうぶ)』|室町時代・16世紀|8曲1隻(部分)|紙本着色|東京国立博物館蔵|出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム

 

水と風が入り混じる、サの響き

冬を越えると春がきます。春がくるということは、すなわち田んぼの準備のはじまりです。雪がすっかりとけ、桜も散ろうとする中での田起こしは、行ったり来たりしているトラクターの音や、青々とした草がすきこまれて黒々と生まれ変わった表土に気付かされますが、それとともにはじまる苗床、苗代づくりは、農協やその下請けなどに分業化され、田んぼの上ではあまり見られないものになってまいりました。

 

私は私で耕さない田んぼをやっているわけですが、田んぼの一角の苗床で籾(もみ)の一斉の発芽を待つあの喜びは、山々の樹々が芽を吹き、葉をしげらせる黄緑色の世界とあいまって、なにものにもかえがたいものです。

 

そうして苗もほどよく揃った6月、旧暦でいう皐月(さつき)に入ると田植えに入ります。これを郡上では、「サビラキ」といい、田植えが終わったあとのことを「サノボリ」といいならわしたそうです(『郡上の民謡』寺田敬蔵=編 郡上史談会=刊 1972年)。

 

これは九州から東北まで訛(なま)りはあれど全国的にも共通していたようで、民俗学者の早川考太郎によれば「サ」は山から里におりてくる神様とあり、例えばサクラとは、サの神が、里に座ること(=クラ)、またサの神が里の神となり、田んぼのナエや田植えをするオトメにとりつくことで早苗や早乙女になること、それがサの月であることが説かれていて、稲を育てる力を山から迎えたとする古代の人たちの信仰がしのばれます(『農と祭』早川孝太郎=著 ぐろりあ・そさえて=刊 1942年)。

 

そう考えると、サの神が植物や人にひらかれていく「サビラキ」、田植えが終わった後に、サの神が山に帰ってゆく、上っていく姿が「サノボリ」であることも、なんだか景色として想像できるものです。

 

一方、私はサの神さまの去来を、水と風が入り混じる、サの響きとして感じてきました。さらさら、さやけき、さわやかの、サです。それはまるで、自らの肌が一枚一枚羽衣にでもなってさらわれているのではないかと思える五月の風の音であり、ややもすれば鬱屈しそうな梅雨、つまり五月雨(さみだれ)のさあさあとふりつづく響きに他なりません。

 

日本文学史上における初めてのエッセイ『枕草子』で、清少納言が「夏は夜がいい」といって、月と蛍をほめた後、「雨もをかし」といったのも、この雨水の奥にある静けさがたまらない、といっているに違いないと、一人合点しているくらいです。

 

4月におそるおそる鳴いているような、ヒュルル、ヒュルルというアオガエルたちに変わって、田んぼにすっかり水が張られた初夏は、深い深い五月闇を呼ぶようにニホンガエルたちのコロコロ、ゲコゲコという大合唱が鳴り止まないわけですが、それでも時折、その蛙たちが一気に静まりかえるときがあります。遠くでは別の群が鳴いているのでしょうが、そこに、さえざえとした響きが、みたされた静けさがあるのです。

 

田植えの時期をあらわす「サビラキ」とは、そのような旬の音と音がしみいる世界の響きを聞きとった古代人たちのことば、ことだまだったのだろうと思います。また、「さやけの」や「さやけき」といった言葉は、短歌では秋の季語ですが、サをひらくということにおいては、夏のはじまりであり、稲作をまっとうできるようになった時代の人々が、風な夕なのサの音づれとともに田植えをしたのだろうと思うのです。

 

田植えそのものが祭りだった

とはいいながら、昔の田植えは随分と長いものだったようです。ひとつの集落が30軒から40軒あるのが一般的ですから、村の女性が総出で1軒分、たとえばそれぞれの家がもつ2反から6反くらいの田植えを、1日から2日で終わらせたとしても1か月半から2か月はかかるわけです。

 

ゆえに田植えの終わりをあらわす「サノボリ」は、東日本では「さなぶり(早苗饗)」とも訛りながら、宴会をも意味していました。これは「野休み」でもあって、草取りが始まるまでのほんの少しの間に、田植えを終えたねぎらいでもあり、神送りとともに打ち上げ(宴の語源とも)をやりたくなるのは当然のことだったでしょう。

 

もっといえば、田植えとは祭りそのものでした。

16世紀に描かれた『月次風俗図屏風(つきなみふうぞくずびょうぶ)』では、湿地のようなところで田植えをする早乙女たちを、畔(あぜ)のほうから黒と白の翁面をつけて舞う者や、笛・太鼓・鼓による舞楽隊が、やんやと囃(はや)す様子が描かれています。また桶につめられた食事やお酒などが準備されていて、作業と芸能とその場での食事である饗応(きょうおう)が一体となった賑やかさです。田植え中のご馳走といえば、郡上では、「朴葉飯(ほおばめし))や「朴葉ずし」といって、炊き込みご飯や酢飯を、種々の具材とともに、ちょうどこの季節に葉を広げる香り高い朴の葉につつみ、まさしく桶に入れて田んぼまで運んで、作業の合間にいただくのです。

 

また、伊勢志摩にある伊雑宮(いざわのみや)で900年続く「御田植祭(おたうえさい)」をたずねたことがあります。田んぼのなかで泥だらけになって男(漁師)たちが暴れまわる竹取神事が有名で、「太一(北極星)」と描かれた巨大な団扇(うちわ)の軸となる忌竹(いみだけ)が得られたならその年の豊穣が約束されるというものです。何度もあおがれるうちわを倒して大竹を取りまわすことで泥土の攪拌(かくはん)が進んだ後、鼓、笛、びんざさら、そして歌による田楽(でんがく・中世から続く田遊びの音楽)が打ち鳴らされるなか、早乙女たちの田植えが続きます。お宮がもつ田んぼ「御料田」の場で、伊勢の漁師たちの信仰が浮かび上がる祭りです。

 

この他にも有名なのが、代掻き(田植え前に田んぼの土をかきまぜること)をする牛たちが華やかに着飾った「壬生(みぶ)の花田植」(北広島)で、田楽や田植え唄による鳴り物が一体となり、田植えが初夏の農村にとっての一大娯楽であったことがわかります。そしてこの芸北地方では、花田植だけでなく、山の神を迎えて田の神となったものを「サンバイ」と呼び、「さんばい祭り」という名前でも広がっています。「三拝」や「五月蝿(サハへ)を祓う」など語源は諸説ありますが、ここにもサの響きがあるのです。

 

生きるために食べ物を育てること、自然の力を借りるそのはたらきこそが神事であり、予祝とねぎらいの祭りであり、何よりも楽しみであったことを、お田植え祭は教えてくれています。

 

◎2月14(土)公開の後編に続きます!

井上博斗 【いのうえ ひろと】

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。

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