土曜更新
うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第4回 鏡としてのわらべうた

ひーはひでないか ひんやのひんすけ ひーってひられてひりころされた! (郡上)
相手の苗字や名前の頭文字をとって(博斗だったらヒ、井上だったらイ)、早口にうたい囃(はや)すこのうたは、ことば遊びとして盛んにうたわれたようですが、今だったらびっくりして、ことばにつまってしまうのではないでしょうか。すかさず相手は、相手の名前をとって、「いーはいでないか、いんやのいんすけ いーっていられていりころされた!」と返します。応答がセットなのです。
かつてはこんなことをうたってもいさめる大人はいなかったでしょうが、大人のいないところで、こういうことばをつかって言いあうことで、こどもたちだけの世界が育まれたことは、自分が幼かったころのことをふりかえっても想像できます。
私は讃岐のお遍路さんがゆきかう土地で育ったのですが、こどものけんかが極まるときに相手に投げつけるように飛び出すのが「へんど!」ということばでした。お遍路さんを地元では「へんど」と発音してきたにもかかわらず、乞食(こつじき)や身体障害者による巡礼がしだいに賤視(せんし)、差別視されていったときに、罵倒としての「へんど」も生まれたのだと思われます。
大人の自転車を持ち上げることができたら百円をくれる謎のおじさんや、ひたすら独り言を言いながら歩いているこびとのおばあさん、日本赤軍の生き残りで銃を持っていると噂され、声をかけようものなら怒って追いかけてくる身寄りのない男性。そうした、こどもにとって好奇心と恐れを引き寄せる稀な存在が「へんど」と思われていたのですが、それでもなお、口に出したり、そのように総称するには、ためらわれることばでした。
中学生にあがる前くらいの少年たちの一触即発のけんかがもの別れに終わり、はなれたところから互いに「このへんど!」とおさまらない怒りを投げつけあっていたときのほうが、どこか成立していたものがあったのです。もちろん一方的に言われたなら泥を投げつけられるような悲しみがあったでしょう。
かたや、私の父は全盲だったのですが、ある大人との配慮のない会話のなかで、自らを「めくら」と呼び、私たちを「めあき」と名指したことに驚いた記憶があります。ことばを逆説的につかう痛快さ、そこにうらぶれた感情も、自嘲もなく、さらっと言ってのける語り口。どのようなことばもその立場によって、そのことばが交わされる関係性によって、うたの応答のように生き生きとしてくることを目の当たりにしたのでした。
「ひーはひでないか」にも、こどもどうしのからっとしたやりとりが感じられます。といって私はこのうたをわざわざ伝えたことはありませんが、これは江戸時代中頃から流行ったとされる「地口(じぐち)」といって、同音や音の似通った別のことばを当てて、ちがった意味をあらわす洒落などの遊びがみなもとにあるようです。たとえば、
そうだ村の村長さんがソーダ飲んで死んだそうだ 葬式まんじゅうでっかいそうだ 中のあんこは少ないそうだ (郡上)
こうしたことば遊びやオノマトペによる地口歌がこどもたちは大好きですが、そういえば、わらべうたを探し歩いていると、「死んだ」「殺された」という文句が入っていることは珍しくありません。こどもにとって感傷がはいりこむ余地なく、あっけらかんとうたわれる生き死にの風景は、大人にとってはむしろ考えさせられるものです。
郡上で有名な踊り唄「げんげんばらばら」もその一つ。今でいう「ケンケンパ」であり、もともとこどもたちの手まりうたとして岐阜各地でうたわれていました。ちょっと長いですが、歌詞とともに私なりの口語訳を載せてみます。
げんげんばらばら親恋し 親もないが子もないが
たった一人のもらい子を 子たかにとられて今日七日
七日と思えば四十九日 四十九日の墓参り
おばさのところへちょいと寄りて 袴と羽織をかしとくれ
おっぱら立ちや腹立ちや これほど腹が立つならば
巽の川へ身を流せ 身は身で沈むし小袖は浮くし
小袖のたもとに子が一人 女の子なら踏みつぶせ
男の子ならよいことや あるもの食わせて遊ばせて
十四になったら縁につきょ 縁につきょ
(郡上高鷲村 『岐阜県のわらべうたいまむかし』林友男)
孤児が大人になり、こどもをひきとるも、鷹(たか女という歌詞もあり)にとられて帰ってこないため墓参りをすることになる。おばさんのところに寄って羽織と袴を借りたが、あまりに腹が立つので川に身を沈めていたら、なんとこどもが袖にかかっていた。「縁につきょ」は、川から引き上げた男の子を育てて結婚させよう、という意味になります。
白鳥町石徹白(いとしろ)地域では、「男の子ならひきつぶせ 女の子なら引き上げよ」(『石徹白のうたとおどり』須甲すずゑ)とうたわれ、間引き(子殺し)の歴史を語ったものだといえるでしょう。その後この部分の歌詞は、水を汲みに行った当人がとんびとカラスにつつかれる、といった内容に変わり、現在の踊り唄にほぼ近いものになりました。
変わりゆく時代を生きる大人の視点から歌詞が改編されていることは、よくあることですが、あらためられる前のものを探ることで、当時の社会、そして死生観をもうつす鏡としてのわらべうたが、まざまざと立ち現れてくるのです。
花鳥風月から草木虫魚(そうもくちゅうぎょ)まで、人の生き死にを見えるまま、感じるままにうたえた透徹さ、そのこどもたちのあまりにも素直な感応に私たちが学ぶところは多い。それには、まず声に出してうたってみることからはじめるのがよいようです。私は20歳を越えてから、そうやって自分にうたを、生きたうたを、生きるためのうたをとりもどしたのです。

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
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源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
