うた・こえ・からだをひらく
感応閑話
第1回 いのちの稽古

ひがひがさいとくれ あっちのやまかぎって こっちのやまにさいとくれ さいとくれ
太陽よ、太陽よ、さしておくれ、あっちの山じゃなくて、こっちの山にさしておくれ。そんな意味のわらべうたが、岐阜県郡上(ぐじょう)で唄われています。
郡上のこどもたちの夏の遊びはなんといっても水浴び、川遊び。とはいえ山里の川は真夏でも湧水が多くて冷たいもの。我を忘れて遊んでいるうちに、体は冷えて、歯はガタガタと、くちびるは紫色に。時折、日差しに焼けた岩を抱くようにして体をあたためるなか、陽がかげろうものなら大変。急いでお日さまに向かってうたうのです。こんなわらべうたこそ、感応(かんのう)そのもの。人と自然とが、うたで、こえで、からだで対話し、融通しあう。まだまだそんな場面がここ郡上にはあります。
ところで、「感応」という言葉に出会ったのは、野口整体を創始した野口晴哉からでした。
「手を当て、気を集注すると、それに応じて相手の内の力が発揚されることを感応と言います」(『愉気法1』野口晴哉=著 全生社=刊)
「気を集注」といってもポカンとしてやるのが大切だというから面白い。感応する自然体とは、すみずみまで気をめぐらせながら、ポカンとしていること、なのかもしれません、
私は2010年から郡上にすみはじめました。各地の芸能や舞台芸術を追いかけるなかで、暮らしにみち、暮らしから生まれるものに惹かれていたとき、わらべうたをはじめとするうたの世界にいざなってくださったのが、唄い手、三絃演奏家の桃山晴衣(ももやまはるえ|1939-2008)さんでした。
平安末期の梁塵秘抄(りょうじんひしょう)といった古謡を蘇らせ、1987年から郡上を拠点に、古曲浄瑠璃をベースに、音と語りによる日本音楽の創造性を開いていた知る人ぞ知る存在でした。
今も彼女の声が私に聞こえてきます。「舞台に立たなくていいんだよ。掃除から、草取りから、お勝手からだよ」。桃山さんに私淑し、郡上までたびたびかよった二年間が、私の第二の揺籃(ようらん)期だったような気がします。
「今の子はね、年齢から二十引かなくちゃいけないよ」そんな言葉を叱咤として浴びながらも、思い返せば、私は彼女にうたの唄い方を習ったのではありませんでした。一言でいうなら「感応(かんのう)」ということでした。世界からの兆しと内から湧いてくることの同時、このいのちの妙を自覚せよ、と。うたも暮らしも、そういうものだと。
もちろん誰しもが思い悩み、立ち止まり、膝を抱え込むことや、寝て動けないことだってあります。それでいて、そうであるがゆえに、生きた稽古を必要とした自らの来し方と、人との縁を自覚したとき、うたは下手で、こえが出なくて、からだがかたくて、そんな方でも感応の力でひらかれていく稽古を「トランスワーク 」と名付けて開催しています。
どこまで遡ってもいにしえの時空を芯にはらみながら、いつも新たにはらはらと生まれ変わっているいのちの稽古です。ここでは、その泉からのこぼれ話、閑話(かんな)を、気張ることなく、ぽかんとつづってゆく予定です。ぜひおつきあいください。

1983年香川県生まれ、トランス・ナヴィゲーター。3児の父。幼少より郷土芸能に親しみ、日本各地の神事芸能や現代舞台芸術に足を運ぶ。2010年より岐阜県郡上を拠点に、わらべうた、作業唄、踊り唄、祝い唄の採集と伝承をライフワークとし、民謡バンド「GUNSOKAI」として活動。2020年より、声・うた・からだの探究と感応を促す「トランスワーク」を開発、各地でWSを開催。近年は、山伏修行もつとめ「山伏鵺(ぬえ)神楽」などの創造的奉納に励む。「源流遊行」(長良川カンパニー)、クラフトアパレル「ODORIGI」など、土地と人の関係をとらえなおす企画やメディア編集、ブランディングも行う。2025年5月に編集長として制作したzine『源流遊行MANUAL』vol.1を発行。
インスタグラム https://www.instagram.com/hierotix
YouTube https://youtu.be/a1wsc91rT8E
源流遊行HP https://genryu-yugyo.com
