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Special Issue 別マー特集

更新日 2011/06/03

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大解毒ス日記 パンチャカルマその後 服部みれい(本誌編集長)

昨年10月にアーユルヴェーダの究極の浄化法「パンチャカルマ」を体験してから、半年以上が経ちました。オージャスを増やす方法のひとつでもある「パンチャカルマ」。その後の変化をレポートします!

とうとう試すチャンスがやってきた

 わたしがアーユルヴェーダの専門的な診療をはじめて受けたのは、かれこれ4〜5年前。それ以来、「パンチャカルマはすごい」という噂は聞いていたものの、「経済的にも時間的にもとてもムリ! 今生で体験できればもうけもの(遠い目)」というような気持ちでずっといました。
 ところが、昨夏に『ストロベリー・ジュース・フォーエバー』という本を出版して、おかげさまで印税をいただけることになり、すぐに頭に浮かんだのは、「例のアレ=パンチャカルマを試してみるチャンス」ということでした。
 わたし自身は冷えとり健康法もやっているし、それより前から日常でもアーユルヴェーダを取り入れていて、もうそれはそれで充分ではあるのですが、もうなんでも試してみたい病で(しようがないですね)、いや、百聞は一見にしかず、「なんでも見てやろう」の精神で、申し込みをしました。

油抜き1日目の昼

↑ 白米、なすとまびき大根のお味噌汁、かぼちゃの煮つけ、うめぼし


何より味覚が変わりました

 当時、どのような体験をしたかは本誌11号(P32-33)にゆだねるとして、その後に起こったことでは、まず何より、味覚が変わりました。劇的に変わったというよりは、ゆるやかに変わってきたような気がします。

 まず、本当に、お肉を食べなくなりました。食べたいという欲求がなくなりました。以前から、ここ数年間かけて、お肉を食べなくはなっていたのですが、お肉の臭みがもっと気になるようになって、どんどんと食べなくなっています。
 アーユルヴェーダのクリニックの看護師さんに、パンチャカルマを2回3回と受けるにつれ、テレビでお肉が焼かれているのを見るだけで「うっ」となりますよ、と聞いたのですが、3月の地震後は特に、そのような感覚にわたしもなってきました。
 「類は友を呼ぶ、というのはもっとも重要な自然法則のひとつ」とわたしはかねてから思っているのですが、からだの中のアーマ(毒素)がなくなったことと、自分の味覚が呼応しあっているのかもしれません。
 管という管を掃除したあとに自分が食べたくなるものというのは、やはり、そのきれいになった管に合うもの、なのかもしれません。

 一方、変わらないこともあります。わたしは、もう、どうしようもなく、揚げものという揚げものが大好きで、いつか『世界揚げもの大全』なる500ページくらいの大著(世界中のおいしい揚げものが写真入りで詳しく掲載されている事典)を編集したら編集者としての人生に幕を下ろそうと思っているほどなのですが、この揚げものが好きというのは、パンチャカルマ後も変わりません。
 ただ、実はわたし、揚げもの好きの流れで、ポテトチップスだけはずっとやめられなかったのですが、気づけば、パンチャカルマ後、ポテチのたぐいもほとんど口にしなくなりました。本当に、意識したのではなくて、気づけばなくなっていたという感じです。
 甘いものもさらに食べなくなりました。缶コーヒーを飲むタイミングが1回だけおとずれたのですが、ひと口飲んでみたところ、もうまったく飲めなくなってしまっていました。

 食べ方の問題でいうと、食べ過ぎが本当になくなりました。以前より小食になり、少しでも満足する自分になったように思います。

油抜き3日目

↑ 蒸し野菜、大根とお豆腐のでんがく、お味噌汁、ぬか漬け

下剤後2日目

下剤後2日目の夜

↑ 食事中は常に白湯。それ以外は麦茶かハーブティ


そのほかの変化もいろいろ

 味覚や食べ方だけではなく、環境にも変化がありました。
 ドクターから、「環境や人間関係も変化しますよ」といわれていたものの、大浄化作戦(本誌3号でご紹介した掃除の話)やホ・オポノポノもしているし、「いや、そうはいっても、それは変わらないのじゃないか」と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。なにせ、自分自身の心境の変化がどんどん起こっていったのです。

 まず、『マーマーマガジン』本誌をリニューアルしたくてしたくて、これまでの方法を変えたくて変えたくてしかたがなくなりました。

 さらに、編集部のレイアウトもどうしても変えたくなって、変更をしました。
 テラスでの農園づくりも企画してから半年ほど止まっていたのですが、本誌でもおなじみ、エコ男子のささたくや君がニュージーランドからちょうど帰国してきたこともあり、うまいぐあいに施工がはじまりました。
 最近編集部に久しぶりに来たひとは、「とにかく空気が違う」「きれいな空気になった感じがする」「居心地がよくなった」「ここに来るとリラックスする」「眠くなる」などと口々にいっていくようになりました。
 これも、自分のからだと対応していることなのでしょうか。
 スタッフ全員での掃除も先月からするようになりました。
 なにせ掃除が前よりもさらに大好きになりました。おもしろい変化です。

 体調全体の変化でいうと、正直これは、残念ながらよくわかりません。
 パンチャカルマ後、わたしは本を2冊発刊し、『マーマーマガジン』をつくり、からだがきれいになったのをいいことに、少しムリをしすぎたように思います。
 解毒した以上にからだを酷使してしまっているのです。ですから、よく、前後を比べることができません。
 ただ、からだの専門家によれば、前よりもわたしの体調が大きくゆるがなくなっているという感じがするのだそうです。これはおもしろい変化ですし、実際、仕事の内容もパンチャカルマ後、どんどん変化していっています(パンチャカルマ後に出した本も好評です)。

パンチャカルマ1日目の夜

↑ おかゆと野菜のスープ。薄味だがしょっぱく感じた。坊主化進行中

パンチャカルマ2日目終了

パンチャカルマ5日目の昼

↑ 大根葉入りおかゆ、野菜スープ


自然に気持ちのよい人が集まってくる

 そして、オージャスです。
 今回『オージャスのひみつ』(蓮村誠=監修 マーブルトロン/中央公論新社=刊)という本を書き、その中にもオージャスを増やす方法のひとつに「パンチャカルマ」が載っているのですが、やはり、オージャスは増えたように思います。
 その理由は、なんだかわからないけれど、人がやたらと寄ってくるからです。
 この感覚は本当に不思議です。
 「いやあね、モテ自慢ッ!?」と思われるかもしれませんが、残念ながら、モテている、ということばではいい切れない、もう少し広い意味での、人がきゅーっと寄ってくる感覚があるのです。それも、あたらしい人たちです。
 新学期がはじまって、あたらしいクラスになって、なんだかおもしろそうなクラスメイトばかりで、そのひとたちが、休憩時間になると、わたしのまわりに「ねえねえ」といって集まってきているという感じ。
 なんだか愉快な感じですよね。

 そうそう、わたしの友人のパートナー(夫)も、つい先日パンチャカルマを体験したそうですが、その友人は「パンチャカルマ後、なんだかやたらと夫に触りたくなる」といっていました。
 パンチャカルマをやって、オージャスが増して、自分の純粋さが増すと、まるであかちゃんに思わず触りたくなるように、わたしたち大人もそういう存在に近づけるのかもしれません。

 パンチャカルマは、まだまだ誰もが気軽にできるもの、というわけではありません。でも、からだを浄化し続けるということは日常でもできます。そのことでオージャスを増やすことはできます。
 今回、わたしはパンチャカルマを体験して、自分のからだの浄化した状態と、外側の環境が呼応すること=類は友を呼ぶこと、はしみじみと本当のことなのだなあと思うにいたりました。
 本誌でも書きましたが、とにかく今すぐできることでいえば、食べ方、特に小食であるということは何にも勝る美徳だと感じています。

 そうして、もし今すぐどこかに旅ができるならば、やはり、あの羊水に戻ったかのような静謐極まる静寂のときを旅したい、あの境地に戻りたいなあと思うのです。
 わたしの目標はいつか、あの静寂を、ふだんでもいつもこころの奥底にもって生活をするということです。
 冷えとりでも、とってもとっても冷えが出てくるように、ホ・オポノポノでクリーニングをしてもしてもクリーニングの対象となるものが出てくるように、からだの浄化も、薄皮をはがすように、課題が出てくるように感じています。
 生きているぶんだけ解毒は続くのかもしれません。

『オージャスのひみつ』
『オージャスのひみつ』
服部みれい=著 蓮村誠=監修
マーブルトロン=発行
中央公論新社=発売
詳しくはこちら⇒
パンチャカルマ後 3日目の昼

↑ ムングダール入り柔らか白米と薄いお味噌汁。まじで、美味ッス!

子ども顔のワシ

↓ 服部みれいの大解毒ス日記 1か月体あたりルポは本誌11号でご覧いただけます