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Special Issue 別マー特集

更新日 2009/09/17

murmur magazine vol.5 みんなにだけ教えちゃお! 第5号の裏話・大特集

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水谷修さんとの出合いのこと、もう少しお話したくて

本誌No.5でご紹介した「夜回り先生」こと水谷修さん。
「水谷修さんはやっぱり先生だった」、
その理由、わたしと先生との出合いについて、
もう少しだけお話させてください。

文=服部みれい   写真=浅田政志

“気分”以上の何かを
 水谷先生との出合いについて書く前に、今回は、わたし自身のことも思い切ってお話ししようと思います。
 水谷先生にインタビューを申し込もうと思った経緯は、本誌に書いたとおりだし、もっと具体的にいえば、友人に薦められて『だいじょうぶ』という鎌田實さんとの共著を読んだことが直接のきっかけでした。
 ランチをしながら読み、レストランで、水谷先生にまつわるさまざまなエピソードにわたしは泣きました。これはお会いしなければ、と思いました。だが、待てよ、「『マーマーマガジン』に水谷先生?」とちょっと意外に思うひともいるかもしれないという思いが、頭をよぎりました。水谷先生に、勝手なイメージをもっているひともいると思います。でも、わたしは会わなければ、と思いました。身ひとつで、こんなにもたくさんのいのちと対峙しているひとに会わない理由はないと思いました。
 そして、水谷先生を本誌でご紹介することは、創刊してまだ1年足らずの『マーマーマガジン』の確かな方向性をつくるものと確信しました。エコだの、ファッションだの、エシカルだの、ライフスタイルだの、そういったものをとりまく“気分”以上の、もっとおなかの深いところに訴える何かこそ、わたしは知りたいし紹介したい、と強く思ったからです。
恐怖心からそつのない原稿に
 『マーマーマガジン』は、本当に小さな雑誌です。でも、そんな小さな雑誌でも、編集長ともなると、おおむねのことについての決定権があり、わたしの書いたものを、本当の意味で厳しくチェックするひとは読者以外にいないというのが現実です。ともすれば「裸の王様」になって、誰も何も指摘してくれないような状況になりがちなのです。実際、この数号は、そういう空気になりがちでした。
 一方で、わたしは、自分の名前で文章を書くということに、コンプレックスをもっていました。こんなにブログをアップして、本誌でも文章を書いているのに、と意外に思うひともいるかもしれないけれど、正直に吐露すれば、わたしのなかには、まだ自分の名前で書く、署名原稿を書くことに慣れていない自分がいます。自分自身の存在を消して書く商業的な文章を何年もずっと書き続けてきたからです。
 でも、もう、立場上、あらゆる状況を考えても、名前入りで自分の文章を書くことはまったなし、でした。そうして、水谷先生のインタビューです。頭ではわかっていましたが、「時間がない」「水谷先生のことばをなるべくたくさん伝えたい」という名目で、実際には、「自分のことばで書くことへの恐怖」(つまりは評価に対する恐怖)から、味もそっけもない、読みやすいが、あまりにそつのない、「講演録」を書いてしまったのです。それが第一稿でした。
水谷修
水谷先生に怒られた夜
 その第一稿を先生にお見せした後、入稿直前におこった事件は、本誌P42に書いたとおりです。
 編集部の外は大雨。ものすごい音で雷がなっていました。忘れもしない夜10時20分ごろです。携帯の電話が鳴って、出ると声の主は、水谷先生でした。
 これまでのライター生活のなかでいわれたことのない、厳しいことばが並びました。厳しく、叱られました。
 わたしは、本当に、ライター失格だと思いました。編集長も失格です。情けなくて恥ずかしくて、でも、(原稿が)落ちたら最新号は出ません。必死で書きなおしを頼みました。何度も頼みました。そうして、もう一度だけ、チャンスをもらったのです。
 外では、信じられない大きさで雷が轟いていました。
 最初は、ちょっとした地獄でした。長であることの傲慢さを無言でくじかれた恥ずかしさ、自分自身のことばで書くことへの恐怖をもちながら、時間のないなかで書かなければならないプレッシャー。ただただ書き続けました。でも、「そつなくまとめよう」としたときとは、何かが違った。怖いけど、いよいよ「自分の中心」と立ち向かって、がむしゃらな自分になりました。
 本誌に載せた原稿は、そんななか、まったくもって充分じゃないけれど、時間ぎりぎりまで書いてなんとか載せた原稿です。デザイナーさんは書き直すたびにデザインをし直してくれ、校閲さんは何回も深夜までつきあってくれました。そして印刷所のみなさんも、文句ひとついうことなく、ぎりぎりまで待ってくださり、できあがりました。みなさんのやさしさが、身にしみました。そして、緊張して水谷先生に最終の原稿を見せました。どんな試験結果より、知るのが怖い時間を過ごしました。
 待つこと数時間。先生は、結果的に、わたしの原稿を(事実関係の誤認以外は)ひとつも訂正しませんでした。あの稚拙な、足らないところだらけの原稿を、先生は、ひとつも直さなかったのです。そうして、水谷先生は、わたしに、「こっちの文章のほうが、書いていて気持ちよかったろう。いい勉強になりました」といったのです。
 子どもならまだしも、いい大人のわたしにまで、こんなふうに接してくれる、その愛情の塊にふれて、わたしは細胞から、何かが変わったような体験をしました。
 根本の間違いを指摘し、そして丸ごと受け入れる、とは、膨大なエネルギーです。「本気で対峙する」とは、ものすごい愛のエネルギーです。そのエネルギーに抱かれて、わたしは夜の街で、ただぼんやりと空を見つめ、おなかの深いところで燃える思いを静かに感じていました。
愛を受けて、愛を配る人に
 水谷先生は、とても寂しい子ども時代を送られました。父親の顔を知らず、母親とは離れて育った経験ももっています。でも一方で、愛情をたっぷりと受けた経験もある。母親からの愛、祖母からの愛、そして大学の教師からの愛。
 愛に餓えていても、かならず愛を自分に与えてくれる存在はいるのだと思います。それを自覚できたとき、ひとは、今度は、愛を配る存在になれるのだと思います。
 水谷先生はしつこいと思います。コミット力も尋常じゃないと思います。関わり、それを継続させる力。しかも、能書きやうんちくをたれるのじゃなくて、行動そのものが祈りとなっている。
 行動自体が愛となっているひとのことを、その愛を、ひとは一生忘れません。
 100万回の説教を聴くより、1回の愛の行動で、ひとは変われるのだと思います。
 いよいよ「書こう」という気持ちに本気で火をつけてくれたのは、水谷先生です。
 そして、大げさではなくて、これからわたしが書き続けていく背後には、水谷先生の愛がいつもあるのだと思います。
 こんな内容、最高に恥ずかしいけれど、水谷先生のことを、どうしてももう少しお話したくて紹介することにしました。
 機会があったらぜひ、先生の著作やドキュメンタリー、ドラマを観てみてください。
 愛って何か、たくさんの方に、ふれてほしいなと思います。
だいじょうぶ

9月18日(金)20時〜/ABC朝日放送
ドラマ『さよならが言えなくて 子供たちに迫るドラッグの誘惑、夜回り先生の苦悩』
出演 寺脇康文ほか/原作『さよならが、いえなくて 助けて、哀しみから』(水谷修、生徒ジュン/著 日本評論社/刊)
http://asahi.co.jp/sayonara

プロフィール

[みずたに おさむ]

1956年、横浜生まれ。元高等学校教諭。12年間を定時制高校で過ごす。在職中から、子どもの非行防止や、薬物汚染、こころの問題に関わり「夜回り先生」と呼ばれる。現在、花園大学、関西大学客員教授。

夜回り先生

『夜回り先生』 (水谷修/著 小学館文庫/刊)

だいじょうぶ

『だいじょうぶ』 (鎌田 實、水谷修/著 日本評論社/刊)


文=服部みれい
写真=浅田政志