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佐々琢哉展に至った経緯

 

———–当初は『暮らし展』としたかったのだが

去年の夏の暮れ、何気なく描いた絵だったが、
その行為はとても新鮮で楽しい時間だった。

また次の日も、描きたいと思う自分がいた。
また次の日も次の日もといった具合に、絵日記のように絵を描いていたら、
気づけば、172枚の絵が梅雨の我が家の壁に飾られていた。

絵を描くという行為は、絵を描くこと以上の楽しみを育んでくれていた。
日々の営みにあって、どうにも感動して立ち止まってしまう瞬間が
あまりに増えている自分であることに、
気づかないわけにはいかなかった。
いつもの暮らしの風景に、いつも見えていた景色が、
鮮明さを増し、眩く光っていた。

ぼくは、その光に心奪われ、足を止め、深く息を吸い込み、
その場につながりたいとの思いに溢れた。
ぼくは、新しい眼鏡で世界を見ていた。
世界がより美しく見えた。そこに映る世界は、儚くもあった。
儚くもあったからなのだろう、
ぼくは、一日一枚絵を描きたいと思った。
四万十に居を構えてから八度目のこの冬、
今までに経験したことのない寒波に幾度となく襲われた。
庭の植物たちは、寒さに枯れ、死に絶えたものが多々あった。
雪景色に反射する光、家の中に長く射しこむ陽光、長い夜の闇、生と死。
冬は、より光が印象的な季節であった。
ぼくは、その陰影の美しさに心奪われ、絵を描いた。

下壁に並んだ絵を見て思い立ち、『暮らしの影』と題名して、
その頃ちょうど自分のBlogに投稿していた暮らしの道具のお繕いの写真と一緒に、
ただ自分で絵をPDFでまとめてみた。
改めて、連なったひとまとまりの絵と道具たちをページをめくりながら眺めていると、
そこには、確かに暮らしの物語が存在していた。

ぼくは、なぜだか、そのことを、いたく喜んだ。
喜んだという言葉だけでは足りぬ、なんとも報われたような、
深い、深い、感情に浸っていた。
なんとも、見つけた気がしたのだ。

なぜ、ぼくが、暮らしを営むということに、
ここまで真摯な思いがあるのかを表現する手段を、
図らずも見つけたような気がしたのだ。
絵の物語には、ぼくが、大切にしている日々の暮らしの何かが、
そう、自分でも言語化できない部分を含めての何かをもが、
含まれている気がしたのだ。

この喜びを、周りの信頼できる人たちに作品と共に伝えた。

その中の一人、マーマーマガジン編集長・服部みれいさんも、
いたく感動してくれた。みれいさんは、お繕いの道具にも、随分と反応してくれていた。
誰に見せることなく、何の気なしに、それは日課の一つとして描いていた絵や、
必要に迫られ繕っていた道具たちを、こんなにも喜んで受け取ってもらえるということは、
ぼくにとっては非日常的な大きな喜びであった。

やはり、「見てもらいたい」「受け取ってもらいたい」という気持ちは、
一人山の中質素に暮らそうとも、消せぬ欲である。
その先には「大切な人たちとつながりたい」との、さらなる思いがあったのだ。
ぼくは、「見てもらう喜び」と共に、「見てもらえる形が出来上がった」手応えを感じ、
その2つの思いを、服部福太郎さん・みれいさんご夫妻に、
「展示会をやりたい」という言葉に変えてお伝えした。
それが、今回の展の発端だ。

展をやること、それは、「絵によって、多くの人たちと深くつながりたい」との願いでもある。
ある意味では、「絵」とは、手段だ。こころの奥にある、本当に大切なものを伝えたい、
シェアしたいとの思いを存在させ、形にするための手段なのだ。
そんな一つ一つの形を集めていくと、より大きな「暮らし」という形が見えてくる。
暮らしとは、総合芸術なのだ。

さて、そのような思いから『暮らし展』と銘打って進めて行こうと思っていたのだが、
知人からある一言をもらって、ぎくりとした。
ぼくが、展示会開催への思いを「一人一人が丁寧な暮らしを創っていけば、
自ずと世界はよりよい場所となる。
その思いを伝えたい」との文脈で語ったところ、
「『丁寧な暮らし』という言葉がどうにも気になる」
と伝えてくれたのだ。

その知人は「もう、ここ最近ずっと『丁寧な暮らし』という文言を雑誌にみるのだけど、
あなたの文脈の『丁寧な暮らし』はどういう意味なのかしら」と問うてくれたのだ。
これは、ぼくを、ふと立ち止まらせる、
端的であるがとてもインパクトのある視点だった。

ぼくは、改めて考えた。自分にとって、
「丁寧」との言葉を使った大切さは、どこにあったのだろうか。

ぼくは、旅をして、旅先で出会った人々の暮らしに感動し、
ある時から自分でも暮らしを創っていきたいと願うようになった。
今のぼくがあるのは、彼らからの影響だ。
彼らの暮らしとは、いかようだったのか。
彼らの在り方から、何を受け取り学ばせてもらったのだろう。

ぼくは、その営みに美しさをみていた。
質素、清貧、そんな言葉に形容できるかもしれない。
その暮らしの形に、何かしらの精神性を感じたのだ。
精神性が先にあり、それが暮らしの形に具現化されていた。

その精神性とは、裏を返せば「こうでなくてもよい」というメッセージだった。
自分の願う暮らし、その先の願う世界を創っていこうと思う時、
それは、「こうあらねばならぬ」ということを捨てていくことでもあるということを、
彼らの在り方から学んだのだ。
そこにつながった時、もう一つの気づきが生まれた。

メディアでは、「これがあればさらに良くなる」との、
今の自分にさらに加えていく情報を得ることはできるが、
「こうでなくてよい」と在り方を改めることを深く体感するためには、
やはり生身で触れなければいけなかったのだと思う。

ぼくにとって、彼らの暮らしの中で共に過ごした時間が、
今でもこころの大きな指針であり、支えになっている。
旅の日々からの経験に、とても感謝している。

「丁寧な暮らし」との文脈が、
「これが良いからやってみれば? 暮らしに加えてみれば?」という足し算の方向であれば、
それはある意味で、人の意見を受け入れるという態度なのかもしれない。
逆に、引き算の方向で「こうでなくてもよい」という態度には、
大きな決意と、自己責任の行動が伴う。
そして、まず、何よりも、自身で考えなければいけない。
決意、自己責任、考える。
これが、ぼくが「精神性」と形容して呼んだ部分だ。
その精神性を実行していることを、ぼくが「強さ」と呼んだ、在り方だ。
そして、そんな人々の暮らしと大地との調和に、
「美しさ」を感じたのだ。美しさとは、希望であった。
地に足がついた、確かな希望であった。希望は大地と共に、育まれていた。

暮らしのあれこれ、実行し、失敗し、喜び、挫けて、それでも日々進んでいる。
そう、日々考えている。
そして、その結果に、希望を抱いている。
それだけに、いくらでも文字数を割いて、ぼくの暮らし哲学思想を語れるところだが、
そこは控えて、余白を残したままに、ぜひ、絵を見てもらえたら嬉しい。
そこで、まずは、感じてもらいたいとの思いです。
その余白に於いて、その感覚と、ぜひ、問答していただきたいのです。
おっと、『佐々琢哉展』に至った経緯ですね。以上のことを、
お二人に電話口でお話していたら、
お二人は「それなら『暮らし展』よりも、『佐々琢哉展』でしょ!」
となんだかキッパリと、電話口の向こうで興奮した様子で盛り上がっていた。
突然の展開に、自分としては受け入れ難くもあった。
しかし、しばらくすると、これまた、他者からの視点でさらなる気づきとなったのだ。

『暮らし展』としたかったのは、
前述した「一人一人の暮らしの創造が、世界平和への創造である」
との思いが強くあったからだ。
しかし、その気持ちのさらなる奥、
さらなるフォーカスポイントには、
「一人一人の己の創造」が写っている。
ならば、『佐々琢哉展』との個人名を冠することは、
さらに本質をついているとの気持ちに辿り着いた。
そして、それは、さらなる願う世界の本質とも繋がっていた。

もし、誰もかれもが、『服部みれい展』、『服部福太郎展』などといったように自身の名で、
願わくば、よりよい世界のためにとの意識とつながって表現し、発表し、共有していったら、
それこそ、自己責任に立った面白い世界になるのではないか、との展望を感じたのだ。
その展望とは、個人の恥ずかしさを越えた、
より大きな願う世界への決意である。

ぼくは、自身の名前を展の名前とすることに納得した。
うん、腹が決まった。
そして、さらに、ワクワクしている自分がいる。

よし、ならば、やってみよう!
まずは、やってみよう!

これが、『佐々琢哉展』へ至った経緯である。

初めての絵の個展へ向けて、
今のわたしが見ている景色を、綴る

2021年6月12日・梅雨立ちの朝
佐々琢哉
四万十の自宅に