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0726|写真集『マリイ』へのご感想

 

写真集『マリイ』発刊後、

編集部にはアツイお便りが続々と届いています。

 

今回は、スイス在住のハイジさんが、

写真集から引き出された、写真にまつわる記憶や体験を

シェアしてくださいました。

 

ただいま『マリイ』展は京都・恵文社一乗寺店にて開催中。

このあと、東京、香川、愛知ほか、各地を巡回する予定です。

お近くの『マリイ』展へ、ぜひお立ち寄りくださいね。

 

***

 

mm booksのみなさま、みれいさん、ちょも山さん、こんにちは。

このたびは、お便りコーナーで当方のメールを

お読みいただきありがとうございました。

写真集『Marii』が今年の9月より前に完売の暁には、

わたしに1冊取り置きしておいてくださるというみれいさんからのご提案、

ありがたく受けさせていただきます。

 

写真の話題で、余談ではありますが、90年代に渋谷のパルコで

写真家ダイアン・アーバスの小規模な展覧会に行ったことを思い出しました。

 

会期中、アーティストの生前の親しい友人で、

彼女亡き後、著作権に関わるすべての企画をマネージングしている

マーヴィン・イズラエルのコンフェランスがあり、聴講する事ができました。

 

この頃の日本はまだミーハーで表面的な文化が主流だったせいなのか、

質疑応答である若者から

「アーバスは、何故、自殺したのでしょうか」

との場違いな発言があり、イズラエル氏は

「なんでそんなことが知りたいんだ、そんな平たい関心を示すのか」

と苦言を呈したことを思い出しました。

 

彼女は写真を撮り続けるあまり、多くの写真家がそうであるように、

被写体を飛び越えて(透明人間のように)、ある種の見えない世界に魅せられて、

見える世界との境界線にある深い崖っぷちに立ち、足元を奪われてしまったのかもしれない。

 

1970年にダイアン・アーバスが行ったマスター・クラスに写真家の奈良原一高が参加したと、

作家ドゥーン・アーバスが興味深い発言をした映像があります。

 

 

先に行われたカンヌ映画祭で最新作『イメージ・ブック』を発表した、

ジャン=リュック・ゴダールが(Face Timeからの異例の)記者会見で、

「映画の役割とは、一般がやらないことを見せること、

一般がやらないこととは、(たとえば)フェイス・ブックとかで見られないこと、

一般に見えないことを見せて、人に考えさせること」

と繰り返し言及していました。

 

これは映画だけではなくすべての写真、映像芸術の存在理由に通ずる提言でしょう。

90年代以降、難解な作品が多くなったと一般(!)からは倦厭されている

今年87才の大御所の彼は、スーザン・ソンタグの『写真論』でも

ロラン・バルトの本でも引用されているのですから、

大変おそれおおい存在(彼はスイス在住)です。

 

それでは、みなさまのますますのご活躍をお祈りしております。

 

スイスのハイジより

 

(マーマーマガジン編集部)