murmurbooks

小屋と畑

0807|蛙居座りて殿となる

 

マーマーマガジン編集部にはちいさな中庭があります。

その庭を今月からパーマカルチャー化するべく、大改造をしていくのですが

今の庭にも、たくさんの生きものたちが暮らしています。

 

去年のこの季節はアシナガバチの巣が3〜4つほどあって

わんさかアシナガバチが飛びかっていました。

ぼくたち夫婦の家も兼ねているため、洗濯物をこの中庭で干しています。

洗濯物を干すのは、主にぼくの役目。

最初は「攻撃されるんじゃないか、刺されるんじゃないか」と

ビクビクしていましたが、こちらから攻撃的なことをしないかぎり

刺されることはないことがわかりました。

ちょっとの間ですが、観察していると、

アシナガバチは「のんびり屋で気のやさしい方々」という印象で

こころの中で挨拶を交わしあう仲となりました。

(毛虫をあっという間に丸めてしまう姿には、ぞっとしたりしますが……)

 

今年も6月が過ぎた頃にはアシナガバチがいくつか巣をつくりだして

今年の夏もアシナガバチとともに過ごすのかな、と思っていたのですが……

7月の中頃には、スズメバチに襲来されたりで、全滅。

8月になった今も中庭にはアシナガバチの巣はありません。

 

アシナガバチとこころの中での挨拶ができないので、ちょっとさみしいのですが

今年の夏の中庭には、去年はいなかった生きものがいます。

 

それは、トノサマガエルです。

 

トノサマは春過ぎから中庭にあらわれるようになりました。

中庭には洗面器池(文字通り大きめの洗面器に水をためた人工池)と

石器池(もともと中庭に置いてあり、常に水草が水面を覆っている)があります。

(どちらも勝手にぼくが命名しました)。

 

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(ホテイアオイという水草が巨大化しすぎてしまった洗面器池)

 

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(石器池に佇むトノサマガエル)

 

 

どちらの池にも、知り合いから譲り受けた黒メダカを入れておいたのですが……

あるとき、トノサマが黒メダカを食べているのを発見してしまい、

怒ったぼくは、トノサマを掴んで庭の外の竹やぶにペッと投げてしまいました……。

 

 

しかししばらくすると、なにごともなかったかのように

トノサマは中庭に、ちょこん、といるのです。

しかしぼくに気づかれるのを知ると、一目散に逃げていくので

いつもは放っておくのですが、たまに洗面器池の黒メダカを覗き込むと

ばったりトノサマに会ったりすると、問答無用に捕まえて竹やぶへペッ。

それでもめげずにトノサマは中庭に居て、逃げたり、

捕まって竹やぶへ投げられたり。

 

そんなことを繰り返していたある日のこと、

久しぶりにアシナガバチが中庭にあそびに来ていて、

ぼくはその姿を眺めていました。

アシナガバチは石器池の水面にとまると水分補給(水草を採取?)しだしました。

すると……

水草で覆われていた水面がにわかにぼわっと盛り上がると

トノサマがいきなり大口をあけてあらわれました!

その様子はまるで映画『ジョーズ』のサメのごとく

一瞬にして、パクッとアシナガバチを一口二口で食べてしまいました!!!

 

その瞬間を不意に目撃してしまったショックは、声がでないほどでした。

 

しばらくトノサマを見つめていたぼくは、トノサマの生きる力に

深く感心してしまうようになりました。

 

トノサマもトノサマで立ち尽くすぼくを見上げて

「竹やぶに投げたきゃ投げな。俺は何度でもここへ来るぜ」と

言っているような、言っていないような……

 

ただこの日を境にトノサマはぼくから逃げなくなりました。

ぼくも、トノサマを掴んで投げる、なんて気がもうおこらなくなりました。

 

からだも最初に出合った頃の2倍ぐらい大きくなっていて、

威厳を解き放っていました。

みれいさんもちょうどこの頃トノサマを見かけて

「殿様カエルと呼ばれるゆえんがわかるね。とっても堂々としていた。

敬語で話すようにしている」と言いはじめるほど、

気づいたら、トノサマは、中庭の主として君臨していました。

 

そしてしばらくすると、

パートナーと思われるトノサマカエルがもう一匹中庭に来るようになりました。

トノサマの様子をうかがうと、いつも2匹は一緒のようでした。

 

 

そして、8月になった早朝のこと

 

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なんと石器池のほとりにトノサマベイビーがっ!!!!

 

 

2匹のトノサマたちが夫婦で、

見かけたトノサマベイビーが

トノサマたちの子どもであるか、どうかはわかりません。

でもきっとそうだと思います。

 

 

人生を歩んでいると、竹やぶに投げられてしまうようなことがある

(自分で投げといてなんだけれども)

それでもあきらめずに、自分の道を行く

すると、自然が、周りが調和しだす、そして道はひらける

 

みたいなことを教わったような気がするのです。

 

トノサマは、

こんな話でもいちいち教訓を見つけ出そうとする

愚劣な人間(わたしです)のことなんか、気にもとめず、

それこそペッと捨てて

今日も中庭でただただ、堂々と生きています。

 

 

 

(服部福太郎)