冷えとりガールズ

#2 冷えとりの秘密に迫ってみた!

 

文|服部みれい 初回アップ|2008年7月3日

 

からだ全体をみる医学にハマったのだ

わたしが「冷えとり」について知ったのは、高校生のとき。かれこれ、20年くらい前になります。東洋医学と冷えとりについて書かれた『万病を治す冷えとり健康法』(農文協=刊)を読んだことがきっかけでした。以来この本を、何度読んだかわかりません。セーラー服を着ていたころも、パンプスをはくように なってからも……。

そう、からだへのオルタナティブなものの見方を、はじめて教えてくれた本がこの本なのです。風邪をひいたら風邪薬を飲む、湿疹が出たらその湿疹をとめる薬をぬる。そういったいわゆる西洋医学的なものの見方ではなく、からだを全体からみてよくしていく、すべてはつながっていて、そのことを感じながら暮して みるということの根本をこの本を通して知ったのだと思います。

はっ……。

この本を読んでいなければ、『マーマーマガジン』もなかったかもしれない……(!)。

うーん、本当に、そう考えるとなんだかすごいです。

 

なにせ、本物を紹介したかったのだ

今回、『マーマーマガジン』を創刊するにあたって、読者のみなさんに本物を紹介したいと考えました。もちろん、編集部で試してみて本当によかった、できるだけ最高のものを、です。ですから創刊号では、ぜひ「冷えとり」を紹介したいと思っていました。簡単で、安価で、誰にでもできて、続けやすくて、副作用がなく、臨床例が多いことも信頼できるポイントでした。何より、他人本位ではなく、自分で自分をよくしていけるのがいい。

しかし、冷えとりの第一人者である医師の進藤義晴さんは、マスコミぎらいと聞いています(「本物」のなかには、メディアには出ない、というひとやものがたくさん存在するのです)。おそるおそる、ドキドキしながら連絡を取りました。時間をかけて理解をしていただき、ご紹介してもよいことになったとき のよろこびといったら! 本誌では、ほんのごく一部ですが、冷えとりについてご紹介しています。

別マーでは、ご高齢である義晴先生に代わって、娘の幸恵さんにお話をうかがってきましたので、その一部をご紹介したいと思います。

 

冷えとりはこうして生まれたのだ

――このたびは、ありがとうございました。さて、さっそくですがこの冷えとり、進藤義晴先生はいつごろから始められたものなのですか。

幸恵さん 父はもともと西洋医学の耳鼻科の医師でした。父は当時から、「患者さんに苦痛を与えない治療」「絶対に痛くない治療」をめざしていました。元来やさしいところがあったのですね。「子どものころ、自分が診てもらっていた医師がすごくいばっていて、それがとてもいやだったから」という話を聞いたこともあります。

――でも、のちのち東洋医学に転向していかれたのですよね。

幸恵さん はい。西洋医学の方法で治療をしていたけれど、患者さんがなかなか治らない。治らないのはなぜだろうと、東洋医学の勉強をし始めたのです。そうして勤めていた病院をやめて、東洋医学をベースにした医院を自宅で開業したのです。

――冷えとりは、そのころに発見されたのでしょうか。

幸恵さん そうですね、1980年代ごろだったと思います。開業当時は 鍼や灸を治療に取り入れていたのですが、足から毒が出ることがわかり、足をあたためるとからだが楽になるということがわかってきたのですね。六邪(風邪・ 寒邪・暑邪・湿邪・燥邪・火邪)が足のツボを刺激することでよくなっていった。これはよいと、半身浴など、足や下半身をあたためる方法を自分で試していっ たわけです。

――5本指ソックスもそのときに見つけられたのですか?

幸恵さん そうです。父は当初、ホームセンターで作業用の軍足と呼ばれるものを買ってきて自分で工夫をしてはいていました。わたしたち家族もずいぶん実験台になったんですよ。

――華岡青洲の妻、みたいですね。ひょっとすると、5本指ソックスの健康ブームを作ったのって、進藤先生ですか?

幸恵さん おそらくそうだと思います。特許を取っていれば、今ごろ御殿が建っていた、なんてよく話しています(笑)。

――そうですか! 5本指のソックスは、数年前に比べると実に幅広く知られるようになりましたよね。しかも絹ソックスと綿のソックスの重ねばきの方法はすごいと思います。

幸恵さん 絹のソックスを導入したのは、今から20年前くらいです。足の指から排毒するしくみがわかった父が、排毒する力がもっとも強い絹を靴下にしてみた。しかも保温をしっかりしていくために、その上に綿の5本指ソック ス、絹と綿のふつうのソックスを重ねていく方法をあみだしていったというわけです。

 

とにかく出す、出してよくなるのだ

――幸恵さんご自身も、もうずっと冷えとりをされているのですよね。

幸恵さん ええ。今日もソックス10枚、ズボンの下に(ももひきのような)スパッツを3枚重ねてはいています。
わたし自身、アレルギー性鼻炎があったり、子宮内膜症があったんです。20代のころOLをしていて、当時としては早かったのですがコンピュータを使う仕事をしていたのですね。しかも夏はクーラーがしっかりかかっているところで、完全にからだが冷えてしまっていました。生理痛がひどくて1日目など横になっ ていないといられないくらいいつもフラフラでした。

――3年間、湿疹が出続けたというお話を聞きました。

幸恵さん 20代のうちから冷えとり(5本指ソックス重ねばき、半身 浴、食べ過ぎないなど)をし始めて、35歳のときから足首に湿疹が出始めました。しだいに、足じゅう湿疹だらけになったのです。ソックスと合わせて、ス パッツも何枚もはいていたのですが、皮膚が布にひっついてしまうほど。湿疹をぼりぼりとかいて、粘液が出て、布に張りついてしまうわけです。

――進藤先生は、とにかく出すものはいいものだとおっしゃっていますね。おなら、げっぷ、せき、湿疹、何でも出しなさい、かゆいものはかきなさいって。

幸恵さん OLをやめたあと、配達業をしていたのですが、一人で車に乗る仕事でしたので、運転しながら人目を気にせずぼりぼりとかきむしっていました。大好きだった甘いものも3年間絶って……。

――すごいです。ふつう、それだけ長い間湿疹が出ていたら、もういやになって、病院へ行ってしまいたくなると思います。

幸恵さん いや、わたしも何度ももう病院へ行こうかと思いましたよ。何 度もあきらめそうになりました。でも、どれだけ出せるか試してみよう、本当に冷え取りだけで治るのか、この皮膚はよくなるのか、実験してみよう、そんな気持ちでいたのです。そうしていたら、ある日、ぴったりととまってしまいました。(毒素は)納得するまで出ると、出ることがとまるのですね。とめてはいけな いのだと思います。

 

まだまだお話はつきませんが、今号はここまで。次回は、なぜ子宮の病気やアレルギーのあった幸恵さんの皮膚に湿疹が出たのか、なぜ冷え取りでよくなったのか、からだ全体のしくみについて、お話を続けていきます。お楽しみに!!