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新米社長福太郎便り

#13 ゴリラになりたいタコ社長

 

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先日、スタッフみんなで「これからどんな風になりたいか」ということを

発表しあう機会がありました。

そのお題目は突如として出題され、与えられた時間は10分ほどでした。

 

スタッフのみんなは

「周りの人に頼ってもらえるような人物になりたい」や

「責任感を持って仕事に取り組みたい」など

けっこうまじめに発表してくれて、それなりに緊張感のある会だったのですが

ぼくは「ゴリラに限りなく近づきたい」とはっきり言いました。

 

…………

 

一瞬、場が凍りつき、

絶句するスタッフからは、不安と絶望がもれ聞こえてくるようでした。

新人のスタッフたちは「この会社、大丈夫か!?」と感じたことでしょう。

ぼくも入社した会社の社長がいきなり「ゴリラになりたい」と言い出したら……

迷わず転職サイトにGOしていたと思います。

 

 

一方、その言葉を言い放った張本人も、

少しの間、なにも話せなくなっていました。

 

なぜなら……

「ずっと自分が内面に抱いてきた思いをあらわす言葉が見つかった!」

そんな気づきを周りの人全員に発表できる、

またとない機会に得ることができた高揚感に浸っていたからです。

 

 

ここで、このこう着状態を打ち破る人があらわれました。

みれいさんです。

「はぁ〜〜〜ッ!? ゴリラになりたいって、どういうこと?」

 

しかしその当然の疑問に対するぼくのこたえは

かなり曖昧なもので、さらにみんなの不安をあおりました。

 

人間の自分としてとらえている問題とか考えではなくて

ゴリラみたいに考えたり、物事を捉えられたら、そして

ゴリラみたいな存在になれたら、ぼくも会社もすごくいい状態になるだろうな

って本当に思っているんです。

 

そんなことを言ったと思います。

 

それから2日後のことです。

岐阜新聞の記事に「勝つことと負けないこと」というタイトルで

ゴリラの記事が載っていたのです!!(上記写真)。

記事を一部抜粋すると

 

「ニホンザルは、個体どうしどちらが強いか弱いかを決めておいて、

競合するような状況では必ず弱いほうが引き下がる。(中略)

でもゴリラは違う。ゴリラには負けたという表情やしぐさがない。

体の大小にかかわらず、相手に見つめられたら昂然と見返す。

だから、争いが起こったらエスカレートする危険がある。

でもそんなときには、必ずと言っていいほど第三者が仲裁に入る。

子どもでもメスでも仲裁すれば、大きなオスでも引き分ける。

そのほうが傷つくことを防げるし、お互いが面子を保って

引き分けられるからだ。」

 

つまりゴリラの世界にはどうも勝ち負けが存在していないんです。

 

この記事に、ものすごくシンパシーを感じました。

昔から勝つことにも負けることにもなんともいえない違和感がありました。

なにか勝負ごとに勝った後に相手に対して気まずい感じを覚えて

しまったり、勝ち方が納得いかないと、負けたとき以上に悔しかったり

かといって、負けたときの悔しさも好きじゃなかったり……

記事を読んで「あっ、ぼくは勝ちたくないし、負けたくないんだ」と

思ったんです。白黒つけるのが苦手だし、白黒つけないほうがいいことって

たくさんある気がします。

むかしから『負けて、勝つ』っていうのもありますもんね。

妻とのケンカで、勝っていいことなんて一つもないですからね。

夫婦喧嘩はその最たるものだと思います

(全国婿連盟の皆様のはげしい同意を感じます)。

 

話がずれてしまいました……。

 

記事の最後はこう結ばれます。

「勝つことと負けないことは違う。もっとゴリラを見習うべきでは

ないかとつくづく思う。」

 

霊長類学者で京都大学長の山極寿一さんが書いたこの記事を

後ろ盾に、すこしはスタッフや読者のみなさまの不安を払拭できたかな、と

思いつつ、ゴリラのことを勉強して、すこしずつゴリラに近づいていきたい

そう思うタコ社長であります!

 

みなさま、これからも宜しくお願い申し上げます! ウホッ!!