murmurbooks

今日の編集部

痛みを祈りに、祈りを行動にかえて

 

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みなさん、こんにちは!

金曜日は、いつもの金曜日ですが、

日付をみると、

なんともいえない、

ことばにできない気持ちになる日です。

 

先日も、あるレストランで、

おばあちゃんがお孫さんに向かって、

「もうすぐ○歳やねえ、あと何日?

そうやねえ、3月11日で○歳やねえ」

といっていて、

思わず、はっと振り向いてしまいました。

 

3月11日ときくと

どきっとする自分がいます。

 

4月末に、メルマガで連載していた文章が

(仕事の連載です)

一冊にまとまって本となって発売されることになって、

急遽、原稿を加筆しているのですが、

そこでも、あの日のことを書かせていただきました。

 

2011年3月11日は、

本当に本当に、とてつもなく大きな日だったし、

そうして、あの日のことが

ボディブローのように、

鈍く、こう、お腹に、じりじりとした痛みとなって、

この今も存在しています。

 

昨日、岐阜新聞の記者、

青山和史さんが取材してくださって、

マーマーマガジンフォーメン2号を

その3月11日からの、ひとつの行動として、

捉えてくださって、

その視点から、真摯に取材してくださって、

すごくすごくうれしかったです。

感動しました。

 

青山さんは、

フォーメン2号に書いてあること

(とくにパーマカルチャーのところ)は、

「ああ、なにかやってみたいな」と思えるものがいくつもある、

また、

「これは、うちのおじいさんがやっとる」

(青山記者は、岐阜の八百津のご出身です)

と、自分たちが身近に感じてきて、でも

あまりなんとも思っていなかったことを肯定してもらった、

そんな気がするというのです。

 

 

前はね、この記者さん、

ご自分も、旅とかすごい好きな方で、(インドとかそういう方面)

で、マーマーマガジンの世界観話したら

「わわっ、洗脳される! 洗脳される! やばいやばい」と

自分がかつていた世界に引き戻されて

仕事どころではなくなる、というような意味あいなのですが、

そうおっしゃっていて、

でも、今回は、いい意味で無味無臭、

3月11日の震災そして原発事故を背景に感じさせながらも、

一切、こう、何かに抗う力ではなくて、

たのしい、明るい、わくわくする、

そういう方向での、ひとつの道を示してくれている、

そこがすごくいいと

おっしゃってくださいました。

 

わたしたちも、

第3の道、第3の方法は、

本当に世界のあちこちではじまっていて、

「こんな暮らし方があるよ! 生き方があるよ!」と

お伝えしていきたいし、

わたし自身も、そういう方向に、がんぜん、シフト中です。

 

 

そういう世界には、もう、「色」はない気がする。

左翼でもない、右翼でもない、無翼。

 

 

(翼なし。

でも、天使の羽で

軽やかに飛ぶ!

そんな感じ)

 

二項対立じゃない世界——。

 

 

現在もなお、被災している方が、

驚くほどの数いらっしゃること、

また、震災でお身内の方を亡くされた方が、

亡くなった方の何倍もいること、

現在のあらゆる状況、

原発事故からの環境、

あれこれ考えると、本当に、ことばにもできない、

重い重い、痛みしかないのですが、

それでも、何か、

これまでの反省と、そうして、

これまでとは違う、いや、

本来わたしたちがもっていた世界を取り戻し、

「ああ、生きるっておもしろいなあ、たのしいなあ、安心だなあ」

とそんなふうに思えるような、

そんな暮らしのために、

微力ですが、本づくりを通して、

あたらしい意識のご紹介をしていけたらと思っています。

 

祈りを本にし、

祈りを文章にしていきます。

 

祈りを会社運営そのものにし、

人のいのちの可能性のほうを

しっかり向いて、

あたらしい取り組みをしてまいりたいと思っております。

 

どんなときも

すばらしい平安が

みなさまのもとにありますように。

 

 

Peace of I ,わたしの平和

(服部みれい)