murmurbooks

今日の編集部

今日もだらだらとしたおしゃべり

 

R0057131

 

にん!

 

みなさん、こんにちは。

朝起きたら、雪でした。

 

ちょうど昨日だったか読んでいた

『暮しの手帖』の最新号のあるエッセイで

(こちらもリニューアル号なんですよ〜☆)

朝は苦手だけれど、

雪だと起きることができる、というお話が

載っていました。

 

わかる〜。

 

(あと、おとうさんが「雪だぞ!」というので起きていったら、

雪が降っていなくて、おとうさんに、

「雪だぞ!」といったでしょう?といったら

記憶がなかったというエピソードもでてくるのですが、

わたしも、父親と記憶が同じでないこと、

けっこうあるんですよね。

 

わたしは、『食のABC』という本にも書かせていただきましたけれど、

自然食ブームにのっかった母が

家のなか一気に自然食にした中、

父が、早朝、マラソンに行こうと連れて行ってくれて、

途中で、「おかあさんには内緒だぞ」といって

カップラーメンの自販機で

朝から、ふたりでカップラーメン食べるのが

いかにもおいしくてたのしかった、とう記憶があるのですが、

父に話したら「知らない」というんですよね)

 

うーん、なんなんでしょう。

 

昨春亡くなった母とも

よくこういうことがありました。

 

わたしだけ覚えている記憶……。

 

ほんとうになにもかも

幻なのかもなあ。

 

昨日のミリちゃんのブログにもありましたけれど、

田舎に帰って来て何がよかったって、

わたしひとりで父と対峙しているわけではない、というところです。

 

うまくいえないんですが……、

わたし以外の人と(つまりはスタッフさんとか夫とか)が、

父や家族と話したり、でかけたりするのを見るのは

すごく癒されます。

 

今、どんどん家族が「個化」というのかしら、

分断されて、ちいさな単位になっていますが、

ゆるくて、ぼんやりした単位というか、

おおきく、家族、いや、家族というと重いか、

うすらぼんやりした家族のようなもの、というものがあるのは

本当に楽!!

 

きっと子育てもそうですよね。

自分ひとりでなにもかも!と背負い込まず、

うすらぼんやり、みんなで……という社会になると

ひとりひとりはもっともっと楽でしょうか……。

 

役割がどんどんこう、変わるのもたのしいですよね。

 

たとえば、わたしの父は、わたしにとっては父だけれど、

ミリちゃんにとっては、上司のお父さんであり、また、

父とミリちゃんの性格でいうと、

映画の友、だしね。

保護者的であったり、友人であったり、

ときに父親がわり、おじいさんの再来……

 

父から見ても、また、会社のスタッフさんでありつつ、

また違う関係であったりもする。

 

ま、名づけるなら名前のない関係、ですね。

 

いや、ね。

 

そうはいっても、

父もいまや独身男性。

 

母の一周忌がまだなのに不謹慎かもしれませんが、

お茶のみ友だち的な、

ガールフレンドのひとりやふたり、できないかなあと

娘としては思っていたのですが、

なになに、よく思い出したら、父って

わたしの友だちのEちゃんとも、文通していたし(!)

その恋だの愛だの(もあったのかわからないけれど)

そういうのぬきにして、

けっこう、魅力的なガールフレンドが、

母が生きていたときも、母公認でいたんですよね。

 

よく考えるとすごいことだけれど……

娘からみても、母からみても

とっても魅力的な女性で、

家に連れて来たり、どこかへ一緒にあそびにいったり

たのしくやってました。

 

クリーンディーゼル。

(使いかた違いますね)

 

ま、とにかく、

なんというか、

父とあそぶの

たのしいんですよね。

 

夫の福太郎さんも

父とサイクリングにでかけたりしています。

 

うーん、なんだろ、

役得!?!?

 

わたしも、福太郎さんのお父さんと

車の修理につきあっていただいたり、

お掃除の合間に雑談したりとか、

本当に本当にお世話になっているんです。

福太郎さんのおかあさんには、

猫のあたりくんのめんどうをいつもみてもらったり……。

 

だからといって、

本当に、ベタベタしているわけでもなく、

ほどよい距離で、というのもいいです。

 

ま、いろいろ、

こう、関係性も、実験ですね。

 

いずれにせよ、多様性があって、

ゆるくて、おっとりしているのがいいのかな?

気持ちのよい境界線と……。

(自然界をお手本にすればいいのか!)

 

 

そうそう、福太郎さんといえば!

新米社長日記

にもかかれていますけれど、

生まれてはじめて、

車を牽引されて、大爆笑してしまいました!

 

R0057130

 

いやーこんなことってあるんですね。

 

 

昨日は、2月8日で、旧暦の元旦だったみたいですが

(昨日はさらにすごくて、

いろいろ暦的にはミラクルが重なっていました!!

新月だったり♪)

 

こう、最近のわたしの傾向では

(あくまでわたしの傾向では、ですが)

 

なにかが変わる前、

たとえば、大晦日的な日だったり、

あたらしく変わる前の日は、

何かがある。

 

いってみたら毒出しってやつですけれど

何かありますですね〜。ひゃー。

 

でも、

本当にこれくらいで、すませていただいてありがとうございます、と

手を合わせたくなるようなことばかりです。

 

 

たとえばなんですが……

社会的にも

批評は判断を捨てて

「ただ観る」と、

なんとなく、こう、あたらしい時代というものを

からだで味わえるきがしています。

 

いろいろなニュースに注目してしまうのも

そのせいでは?

 

さて……

今、新月あけの翌日ながら、

ボイドタイムってやつでして、

別にボイドタイムだからって意識することもないんですけれど

(なんかおかしいなと思っていたら

ボイドタイムだった、ということはけっこうあります。

あと重要なことをするのを避けていたり、ネ)

 

まあ今日は、(ボイドタイムにかこつけて)

のんびりやろうと思っています。

 

てか、

めっちゃ短く書こうと思ったら

この長さ!

 

いつも長くてごめんなさい。

 

ブログって

もっと短いほうがよみやすいでしょう!

(最近よく聴いている中村天風先生の発音で。

「しょう」の歯切れがとってもよろしいんですの!)

 

 

あ、最新号の『暮しの手帖』

といえば、です。

 

新・編集長の澤田康彦さんのエッセイがすばらしかった!

涙が出そうになりました。

文章がすごくすばらしいんです。

 

川島小鳥君のエッセイにもうなりました。

写真家の人ってどうして写真だけじゃなくて

文章もお上手なのでしょうか。

天はにぶつもさんぶつも

お与えになるのですね。

 

そして、小鳥君といえば、台湾。

台湾に想いを馳せています。

誰もが、すぐに、

「はっ、なにかさせていただきたい」と思うのは、

たくさんのことをしてきていただいているからだと思います。

いつも、ご恩返し、ですね。

 

マーマーマガジンをはじめて、

大切な全国各地にお取り扱い店さんがいて、

また、大切な著者さん、取材をさせていただいたかたがたがいらして、

天候不順や地震があると、

すぐに、みなさんのお店のこと、みなさんのお顔を

思い浮かべてお祈りしています。

 

 

毒出し、少々たくさんでもいいから、

大難が中難に、

中難が小難に、

小難が、無難になることを

ただただ祈るばかりです。

 

 

あたりまえのことが尊いですね。

 

 

ボイドタイムだと永遠にしまりなく

書き続けてしまいそう。

 

そろそろ仕事に戻ります。

 

 

火曜日担当のみれいでございました。

 

 

 

チャオは、フォーメンの責了作業をしつつ、いよいよマーマ―マガジンリニューアルに本格的にとりくみはじめたり、本格的に休んだりするんだん!(昨日ウィキペディアみたら、五木寛之先生も休筆しておられて、休筆期間があるのはほんとうにいいことだなあと思ったんだん!)