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今日の編集部

すべてはわたし 0902

 

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9月2日、今日の「日めくりッコンシャスプランカレンダー」の

コンシャスプランは

「すべてはわたし」です。

(来年の「日めくりッコンシャスプランカレンダー」も鋭意製作中です!

詳しくは、また後日お知らせいたします! どうぞお楽しみに!!)

 

目に映るものみんな、「わたし」の反映……

 

うーん

 

今日は、そんなコンシャスプランに通じるのか、通じないのか

すこし長い、いやかなり長い個人的な体験をシェアさせてください……。

 

 

先日、実家の父(妻であるみれいさんのお父さん)が

世界陸上をTV観戦しておりまして

ちょうどリレー競技で盛り上がっているところだったので

ぼくも隣の席で観させてもらったんです。

 

 

正直、リレーにはいい思い出がありません。

 

中学3年生の時に

クラス対抗リレーでアンカーをつとめました。

(高3の時、50メートルのタイムを計ったら5秒9でした。

記録では…、それぐらいの足の速さでした)

9クラスの中で1位でバトンを受けついだんです…

アンカーはたしか300m、グラウンド一周走ったと思うんですけれど…

残り100mぐらいのところで、

後ろから走って来た、中学2年生の子に抜かれてしまったんです。

 

そのとき1位だったら、うちのクラスが逆転総合優勝だったんです…。

担任の先生から卒業アルバムに

「あの時の根石(ぼくの旧姓)のごめんなさい、忘れないよ」と

書かれるぐらい、ぼくは意気消沈、悲劇のヒロインのごとく落ち込みまくりました。

 

リレーの悲劇は続きます…

 

こりもせず高校3年生のとき、

リレーで一番最初の走者になるんです。

1位で走っていたんですが、残り50mぐらいのところで

後ろの走者の人と腕がぶつかって

バトン落としてしまうんです。

それで

いきなり最初からうちのチームは

ダントツのビリになっちゃうんです。

あちゃー、ですよね。

 

「なんで、俺またリレーにでちゃったんだろう…」と

思ったことをはっきり覚えているんです。

いろいろ細かいところまで覚えているんです。

 

 

みなさんも、もしかしたら、

そういう思い出1つや2つあるかもしれませんね。

 

これはちょっと種類が違いますが

元銀行員だった実家の父は、今でも金庫の暗証番号が

何回やってもあわず、開店時間をむかえてしまう悪夢をみる、と

言っていました。退職して20年以上経っているのに…。

 

他の人からしたら、些細なことに思えるようなことでも

妙に詳細に覚えてしまっていることがあると思うんです。

実際に中学のリレーのこと、当時からの友だちに話したら

「リレーなんて種目あったっけ?」と言われました。

 

ぼくはそんなリレーのことや、部活などの失敗経験を

人生のことあるごとに、ふいに思い出したりして

恥ずかしくなったり、消極的になったり、していたんです。

 

していた、とお伝えしたのは

実はちょっと前に、今、体のメンテナンスをしてくださっている

郡上八幡の先生に、タッピングで、そういう、スポーツとか部活系の

嫌な記憶をはずしてもらったんです。

 

それはたしかにはずれていたと思うんです。

なんか、そのことがどうでもよくなったし、

そのことがほんとうにあったのか、どうなのか、よく思い出せなくなったんです。

そして思い出せたとしても、前みたいに嫌な気持ちがしないんです。

(前だと、思い出すだけで、心臓バクバク、「どうせ俺なんて…」という

自己憐憫に陥っていました…)

 

 

ようやくそんなこと気にならなくなった!

と思っていたけれど……

 

話がようやく最初に戻るのですが

世界陸上のリレー女子100メートル×4を観ていたら

どこかの国の人がバトンを落としたんです!!

ぼくは、それをめざとく見つけたんです。

(後ろの方の選手だったので、同じTVを観戦していても

ほとんどの人は気づかなかったかも)

 

それを観た瞬間…

 

心臓バクバク…

また、あの情景がおそってきたんです。

で、一瞬、また思い出してしまった!! 、と思ったんです。

 

でも、いや違う…

 

今、あたらしく作り出したんだ! と思い直したんです。

 

論理的におかしな文章かもしれませんが

過去を思い出したのではなくて

あたらしく記憶を作り出したんじゃないかと思ったんです。

 

 

「中学の体育祭の種目でリレーなんかあった?」という友人にとって

リレーは、なかったことも同然のようなものなんです。きっと。

 

ぼくにとって、苦しかったあの時のリレーが、

今でも思い出しては苦しめられるあのリレーが

細かいところまで覚えている(と思っている)あのリレーが、ですよ!

 

そんな過去がない、んです。

 

ぼくだけの過去なんです。

これは言葉にすると当たり前のようなんですけれど……

 

ということはですよ(興奮気味になってきました…)

もしかしたら逆もありえると思うんです。

 

つまりこのリレー事件を忘れているのがぼくで、

覚えているのが友人、というパターン。

 

この場合、友人はいつまで経っても

「あのとき、あいつはリレーのアンカーでありながら、一学年下の子に

抜かされて、あいつのせいで、ぼくたちのクラスは総合優勝できなかった」

という記憶(過去)を持っている。

そして、ある日、ぼくに、そのことを伝える。

「おまえ、リレーで抜かれたよな?」と。

そしてぼくが

「え?俺が抜かれた?覚えてないわ〜。めちゃくちゃださいな、俺、ガハハハハ!」

みたいなパターンも、多分、世の中にありますよね?

 

そこまで考えたときに、ものすごい癒しを得たんです。

 

「あっ逆でもいいんだ」「それもありなんだ」と。

 

書きながら…ぼくが気にしてきたことが、

ほんとうにたいしたことじゃないな、と思ってきてしまっているのですが…

 

このはなし、くどいですけれど

さらに会話形式にさせてください!(暴走! クリーニング祭りということで)

 

また、ぼくがこのリレー事件を覚えていて、友人が忘れているパターンに戻ります。

(どこかの居酒屋さんで中学時代の友人とビールでも飲みながら)

 

ぼく「ほんとうにあの時のことを思い出すだけで、自分がみじめに

思えてきて、恥ずかしくなってくるんだよね」

 

友人「リレー競技なんてあったっけ?おれも走ったのかな?」

 

「なに言ってんだ。おれはあの時のみんなの落胆した顔とか

「あーあ」って言ったあいつの顔とか、隠れて笑ってた後輩の顔とか

ぜんぶ、しっかり覚えてるんだぞ。3年生が2年生に抜かれるって…

情けなすぎだろう?」

 

「ふぅーん。そんなこともあったんだ。2年生のそいつがすごいんだな 」

 

「総合優勝を逃したんだぞ!ぼくの走りのせいで!

クラス全員が燃えて、一致団結していたあの体育祭で!」

 

「みんな覚えているのかな?

中学の体育祭の総合優勝が、今のおまえの、そしてそのときの

クラスメイトの人生にとってそんなに大事か? 」

 

「……とにかくぼくはあのことが忘れられないんだ…」

 

「まぁ、今夜は飲もうよ!おれがおごるよ!」

 

ぼくの言葉は、ぼくが言いそうなことを

友人のことばは、言ってもらいたいことを…セレクトしてみました。

 

ほ、ほんとうにくどいのですが…

逆バージョンもいかせてもらっていいですか??

友人がリレー事件を覚えていて、ぼくが忘れているパターン。

 

友人「中学の体育祭で、最後のリレー競技で、

おまえアンカーで抜かされたよな?」

ぼく「えっ、そんなことあったっけ??……

言われてみればあったかも…あった、あった!(さすがに思い出す)」

「俺ずっとそのこと考えると、悔しくてさ…」

「まじか、そんなに!? また、なんで!? 」

「だってさ…お前のせいで、総合優勝逃したんだぞ!」

「うそだろ?俺のせいなの??

そんなに総合優勝したいならおまえがアンカーやれば良かったじゃん?

あとは他の競技でがんばって1位とっておくとか…」

「……とにかく俺は、このことを思い出すと、悔しくて、そして

おまえが憎いんだ…」

「いや、お前ここまで(20年近く)その思いを抱いてこれたなら、

それだけでおまえが総合優勝だよ。すごいよ!すごい執念!

今夜は俺がおごるからさ! ほんと、おれのこと許して! ね?」

 

…………

 

…………

 

なんだか安い芸をおみせしてしたみたいで…すみません。

でも、このどちらの会話パターンもありえるんだと思ったとき

ほんとうにどうでもいいな、と思えるんです。

(会話パターンじたいが、どうでもいい、ということもありますが…)

 

もっといったら、今回の世界陸上で国を代表するような選手でも

バトンを落とすんだから、俺が落としてもしょうがないよな、と

TVを観て思うことも選択できるんですよね。

 

みれいさんの本の中に「現在が変わると過去も未来も変わる」というのが

あって、そういうのを何度も読んでいるのですが(そしていつも隣にいるんですが…)

僕自身、がぜん、この記憶だとか、過去ってことがよくわからなかったんです。

いや、今もぜんぜんわかっていないんだと思うんですけれど……

 

漠然と、

過去は、ほんとうに変えられるかもなぁ、と

実感こめて思えるようになりました。

 

 

ここまで読み進めていただいて……

オチもみなさんにお伝えできる明確な答えみたいなのはありません……

ただただ体験のシェアで、それが申し訳ないのですが…

 

今現在まだまだ「過去ってなに?」という状態で、

「いま、ここ」しかないんだとか、

「いま、ここ」と同時に過去と未来が起こっている

とか色々と頭で考えてしまっている状態です。

 

だから、ここから先のことをシェアさせていただくには

まだまだ時間がかかりそうです。

 

ちなみにみれいさんに、この話をしたら

「リレーをTVで観れるようになった時点で、記憶が変わっていると思うよ」と

言われました。

ほんとうにその思い出がつらいままの福ちゃん(タッピングされる前の自分)

だったら、リレーのシーンをTVで観ようとは思わなかったり、

無意識にタイミングをはずしてると思う」と。

たしかにそうだなぁ、と思いました。

 

 

……さらに余談ですが…

このことをさらにみれいさんと話していたら

かっこつけたい欲求が強い、見栄っ張り、失敗したくないという思いが強い

という自分が見えてきました……だから、そういう失敗がいつまでも残るし

そして、そういうことを引き寄せてしまう…んじゃないかと…。

 

そういう自分が、今もしっかりいるんです…

会社でも、会議をうまく取り仕切っている自分、とか

他のスタッフの前でダメだしされている自分をみせたくない、とか

そこらへんも自分が変われば、また違う世界が見えてくるんでしょうね。

 

ほんとうに「すべてはわたし」だなぁと思います。

 

……

 

なんかこの話、どんどん長くなりそうなので、今日はここまでとさせてください!

 

また明日から、ちゃんと編集部のこと、会社のこと、出版物のこと、商品のこと

書いていきます!! これからも宜しくお願いいたします!!

 

本日正午からmmaの7インチレコード発売です!

(福太郎)