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今日の編集部

春の植えつけ|無意識の整え方|自然と交流

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みなさん、こんにちは!

遅い時間のアップごめんなさい……あれこれしていたらこんな時間に……。

 

美濃は今日は一日じゅう雨。

昨日、ハーブや夏野菜の苗の植えつけをしたばかりで、

うれしい雨です。

 

昨年からほそぼそとですが、畑をはじめて

天気への感覚が変わりました。

「おお! このタイミングで雨! うれしい!」とか

「晴れ! ありがたい!」とか……

 

今、

『無意識の整え方』(前野隆司=著 ワニプラス=刊)を

ようやく読みはじめているのですが、

(この本、めちゃめちゃおもしろいです!! 大興奮。

またあらためて本のお話、させていただきますね)

前野隆司さんが、4人のかたがたと対談していまして

そのひとりめのかたが心身統一合氣道会会長の藤平信一さんという方で、

「氣」の交流についてかいてあって、

すごく納得!

 

氣のめぐりについて、

人と人はあたりまえですけれど、

植物と、とか

天気と、とか

目に見えない存在と、とか、

そういったものとも氣の交流はできるはず!と思い

実験しています。

(きっとできますよね)

 

特に植物、農産物に関しては、

ベースは、父や本に習うとして、

自分自身の感性もすごく大事にしてやってみようと思っていまして、

昨日も、どの順番で植えるとか、

どういう配置にするとか、

植物をじっと見て、感じて、

そうして植えつけを行ってみました。

 

「情報」として知っていることや

先人たちの「知恵」も重要だけれど、

自分自身で探りながら体得していくという態度も

自然相手にはとても大事だと思っているんです。

まちがえながら試行錯誤していくというか……。

氣を交流させながら……。

 

そうしたあとで

本格的に、どこかで、自然農などを習いにいきたいなと思っています。

 

 

 

先日もある場所で宿泊したときに

そこの建物が

完全に、「自然」の木のかたちなどをベースにしていて、

それに「人間」をあわせる、という建築になっていたんです。

 

たとえば木のカーブがあって

そのカーブにあわせてガラスがカットされている、とか。

まっすぐに木をカットしてしまえば、

簡単な話なのでしょうが、

木に人間をあわせているというか……。

 

その建物、すごく居心地がよかったんです。

 

自然農(自然農法/自然栽培)も、

現時点ではわたしの直観でしかありませんが、

「自然」のありように

できるかぎり人間をあわせていく、という点で、

なかなかセンスが必要だなと思います。

自然へのエンパシーが必要というか。

 

だから、

(適度に)草ぼうぼうにするとか、

わからない人にはまったくわからない世界なのかもしれません。

 

添加物がたくさん入ったものを食べて、

からだが悪くなったら薬で抑え、

テレビに大半の時間をゆだねて、

というような暮らしがベースになっていると、

冷えとりでいえば、めっちゃ冷えている生活をしていると、

あまりに「自然」を自分が押さえつけて暮らしているから

どこか思考停止になるのかな、と思うんです。

 

いい/悪いじゃなくて、

それが現実というか。

 

「自然」を暮らしに取り入れるバランスによって

自然農へのシンパシー(エンパシー)も生まれるというか。

 

逆に、からだから人工的なものが抜けて、

不調があっても自己治癒力を最大限に活かして整え、

自分自身が立ち上がる時間の過ごし方をしていると

「自然」への感性も高まるのかな、と思っています。

勘がはたらくようになるといいますか……。

感じられるようになるといいますか……。

 

本当に、自分で食べるものを自分でつくって

昔ながらの生活をすれば、

頭に血も登らなくなり、

わたしは、いつか冷えとりだって必要なくなると思っています。

 

冷えとりと都市生活はどこかセットで、

都市生活をしながら、

自然を取り戻すためのツール(思想)として、

冷えとりというのはたいへん有効なのですが、

さらにその先の世界も、もちろん広がっているのかな……と

想像しています。

 

ただ、その世界は、

完全に「都市的生活」を捨てた世界ですが(縄文的な)。

 

 

畑をやっていると

どこまでをコントロールするのか、

どこまでを自然にゆだねるのか、

また自分の意識、というか「氣」をどうやって

交流させるのか、とか

いろいろなことを感じます。

 

「自然」をどう見るか、ということとも通じるというか。

厳しいけれどやさしい、と見るのか

やさしいけれど厳しい、と見るのか、とかネ。

 

とても壮大な、「塩梅の世界」が広がっているように思います。

 

何をするにしても、

人間が先じゃなくて

自然が先にあって、

そこを使わせてもらっている、

という感覚が大切なのかな、と―—。

 

なんでもあたりまえに思っていることが

本当はあたりまえじゃないんだなあ、とか

いろいろ考えています。

 

 

では!

どうぞよい週末を☆

 

休みいっぱいで、ときどき働く、っていうのも

すてきですね〜。

ホント、ほんとうは

どうとでもなる世界なのかもしれません。

 

 

服部みれい、ど、えした!

 

 

 

チャオパシー!